大山街道 街道を歩く その7 歴史を訪ねる シニアの健康ウォーキング さがみ野→本厚木

大山街道 街道を歩く その7 歴史を訪ねる シニアの健康ウォーキング さがみ野→本厚木 街道ウォーク
photo by ゆう
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大山街道 その7 さがみ野→本厚木

大山街道その7は、さがみ野→本厚木
距離は12,2Km、所要時間3:15時間 17,435歩、消費カロリー1.253kcal

※画像はクリックすると拡大でご覧いただけます。

※スマホでも読みやすいように、改行が多くなっております。PCでは少々見づらくなっていることをご了承願います。

さがみ野→海老名

本日の街道歩きは「さがみ野駅」から、小田急線の海老名駅で相鉄線に乗り換えです。まずは朝食、今回も駅そばにしましょう。前回は東急の「しぶそば」でした、小田急線は「箱根そば」。朝食はさっぱりと「蒸し鶏と梅肉長芋おろしそば」に決定、オクラも入っていて元気が出そうなメニュー、パワーチャージ完了。

箱根そば
蒸し鶏と梅肉長芋おろしそば
さがみ野駅

さがみ野駅を出て、踏切をわたり街道歩き開始。市道になっており交通量は比較的多め、相鉄線と並行して真っ直ぐ街道が続きます。「大塚本町の交差点」が見えてきました。この辺り、大山詣でが流行った頃は宿場町。旅籠や商店が並びにぎわっていたそうですが、今は面影はありません。

かしわ台の駅を過ぎると左右に見えてくる大きな敷地はパブコ、トラック用のボディーを作っており敷地内には、ずらりとピカピカのトラックが並んでいました。

さがみ野 相鉄線踏切
大塚本町の交差点
かしわだい動物病院

右手の「かしわだい動物病院」の脇、細い道で少々不安ですが進んでいくと住宅街の一角に少しだけ盛り上がった「富士塚」が現れます。隣の「庚申塔」には「阿つぎ」「大山」「東」などの刻まれた文字が見て取れますので道標の役目も果たしていたようです。

街道に戻ると赤坂のバス停の横に「不動明王座像」があり、下は道標になっていますが文字は風化して読めません、かなり時代は古いもののようです。山を切通した際、崖面が赤土だったため赤坂、なるほど地名って面白いですね。

庚申塔 富士塚
赤坂のバス停
不動明王座像

少し先にも「古い道標」が残されています。右 国分 厚木 左 大塚 原町田と刻まれているのが分かります。そして「渡辺崋山ゆかりの道」の案内も。少年期にお世話になったお銀さまを訪ねた道とのこと、時間があれば歩いてみたい道ですね。

街道は「望地」の交差点までやってきました。これで「もうち」と読みます。ここで街道は厚木街道を横断して望地道下公園に向かい坂道を登ります。公園手前の角に分かりにくいですが「馬頭観世音」を見ることができます。

古い道標
渡辺崋山ゆかりの道
馬頭観世音

公園脇を進むと、この辺りは高台なので「大山方面」が見えてきました。厚木街道に戻る途中、これまた分かりにくいですが「道祖神」が道路わきにひっそりと佇んでいます。

大山方面の眺望
道祖神

街道は目久尻川を渡ります。土手には「石橋供養塔」が建っています。河川の氾濫により橋が流されないよう、村の有志で寄付を募り頑丈な石橋を架けた歴史があるそうです。

目の前に広がるのが伊勢山自然公園で道沿いには「切り株の中に祀られた変わった地蔵尊」が見られました。街道に大きな石碑が建っています。「史跡逆川」とあり、大化の改新のころ、条里制による海老名耕地のかんがい用と運送用に掘られた川との説明がありました。

石橋供養塔
切り株の中に地蔵尊
史跡逆川

この辺りから国分宿、料亭や旅籠、公共施設もあり海老名村の中心として賑わったそうです。庚申塔や道標などの石塔も並んでいる街道を右折して進んでいけば「国分寺跡」に到着。

天平時代、741年聖武天皇の詔勅により全国に建てられた国分寺と国分尼寺、相模の国の国分寺がこちら。東西160m、南北123mの回廊に囲まれて金堂や七重の塔がありました。目の前に拡がる敷地跡、規模の大きさが実感できます。

国分寺跡
七重塔の跡
案内ボード

お隣の郷土資料館「温故館」には発掘された遺物が数多く展示されておりスタッフの方が丁寧に説明してくれます。こちらの建物は1918年に海老名村役場庁舎として完成、その後耐震補強もされ移築工事が平成23年に完成した建物。国登録有形文化財に登録されています。

街道には「海老名の大ケヤキ」県指定天然記念物です。船のつなぎ用の杭が発芽して大きくなったものと言いますから驚きです。根回り15,3メートルの大木で樹齢は600年近いもの、昔はこのあたりまで相模湾が入り込んでいました。

郷土資料館「温故館」
海老名の大ケヤキ

海老名→本厚木

海老名駅の方へ進みます。ビナウォークというテラスと公園があり、先ほど訪ねた国分寺にあったとされる「七重の塔」のモニュメントがあります。バザールも開催されており地元の方の憩いの場として親しまれているようです。

海老名と言えば東名高速のサービスエリアのイメージでした。街は歴史もあり商店街も大きい、小田急・相鉄・JRと交通の便も良く住環境が素晴らしところです。

「七重の塔」のモニュメント
海老名駅方面

小田急とJRの高架橋を渡り相模川の手前までやってきました。ここまで来ると目の前に拡がる山並みも大きく、いよいよ大山が迫って来たという感じです。

少し住宅街を入り「總持院」へ向かいます。大きな石柱の先に山門が見えてきます、754年創建の歴史がある末寺19ヶ寺を有し隆盛を誇った真言宗の寺院。歴史があるこの地ですから、新田義貞、足利持氏、北条氏康、秀吉、家康と歴史の名だたる人物との関わりもあり、本堂には葵の紋所も見られます。境内には美しい蓮の花が咲き気持ちを和ませてくれました。

總持院 山門
總持院 本堂
總持院 蓮の花

山門を出て、表の道を奥へ進むと「有鹿神社」(あるか)の鳥居が見えてきます。相模の国で最古の神社、神奈川県のへそとして親しみをこめて「お有鹿さま」と呼ばれてきたそうです。縄文の頃より、ここ有鹿の泉は水信仰され、農耕の安全と豊穣を祈る場所でもあったとあります。

身体は神職、頭はパンダのパンダ宮司がキャラクターとして存在し、絵馬や御朱印にも登場する親しみやすい神社でもあります。

有鹿神社 鳥居
有鹿神社 拝殿

街道へ戻り住宅地の中を進むと、市の古文書や地図などの整理保管を行っている「海老名市歴史資料収蔵館」があり、その先には「庚申塔」が見られます。相模川沿いに出ると「あゆみ橋」と「大山のパノラマ」が広がります。

大山方面のパノラマ
庚申塔
あゆみ橋

対岸は厚木宿、橋を渡り上流方向へ少し歩くと「旧厚木村渡船場跡」です。常に五艘の船が備えられ利用されていたそうです。この地を訪れた渡辺崋山はこの場所を描いた「仮屋喚渡」を残しており崋山の記念碑も建っています。

相模大橋方面に街道を戻ります、この通りは昔ながらの商店が続き、シャッターには浮世絵風の商いを表す画が描かれ街道の風情を残しています。右手には大きな鳥居、「厚木神社」に着きました。

平安時代より疫病厄除けとして牛頭天王が祀られ、厚木のお天王様として親しまれてきた場所、旧称は牛頭天王社で厚木村の鎮守。境内には厚木稲荷神社、水天宮もある大きな神社です。

旧厚木村渡船場跡
厚木神社 鳥居
厚木神社 拝殿

小田急線を超えて住宅街に入ると、「寶安寺」の山門、こちらは臨済宗のお寺で座禅会の案内もあります。この辺りは厚木宿の中心に近く、大山詣の旅人が泊まる旅籠や商店も多くあり、檀家に支えられてお寺も栄えていたことが想像できます。きれいに手入れされた庭が広がる立派な寺院で蓮の水鉢が並んでいますが、花には少し早かったようです。

寶安寺 山門
寶安寺 本堂
小田急 本厚木駅

本厚木の駅に到着、本日はここまでです。ロマンスカーも停車する大きな駅、厚木なかちょう大通りをはじめ、駅前ロータリー、駅ビルにはテナントも数多く入ってにぎわっています。

赤坂御門を出発して七回で本厚木までやってきました。仕事では何度か来ていますが、まさか歩いてここまで来ることになるとは思いもしていなかったので感慨もひとしおです。

大山の山並みも大きく迫ってきて、いよいよという感じ。次回は愛甲石田方面へ向かいます。街を離れて山に向かっていく街道の開始となるようです。装備も少し考えて臨みたいと思います。

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