鎌倉街道その10は、鎌倉→🚃長谷→極楽寺→🚃腰越→江の島
距離は21,6Km、所要時間5:26時間 21,221歩、消費カロリー1353kcal
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鎌倉→名越バス停→江ノ電鎌倉
所沢からスタートした鎌倉街道歩きも今回で10回目、最終回となりました。前回に続き番外編として市内の神社仏閣を訪ねます。鎌倉駅周辺に加えて、江ノ電で長谷へ移動、さらに極楽寺から腰越に移動して江の島方面へのロングウォーク、どんな出会いがあるか楽しみです。
まずは、北条氏の滅亡と「鎮魂」の地から訪ねましょう。駅から若宮大路へ向かい「二の鳥居」を過ぎて進むと小町大路にでます。こちらを左折して八幡宮方面に歩いていくと右手に緑に覆われた参道が見えてきました。

ここはかつて、鎌倉幕府の実権を握り続けた北条氏の歴代執権の屋敷、当時小町邸があった場所「宝戒寺」です。秋になると白萩に埋め尽くされる萩寺という名でも親しまれています。
新田義貞の軍勢によって鎌倉が攻め落とされた際、北条高時ら一族が最期を迎えたのはここからほど近い東勝寺。屋敷跡に足利尊氏が、北条一族の菩提を弔うために建立したとのこと。このように敗者に対する敬意を払えるところが日本人らしくていいですね。
緑あふれる参道を進むと、正面が本堂、右手には聖徳太子様をお祀りしている「聖徳太子堂」、執権北条高時公をお祀りしている「徳崇大権現堂」、秘仏大聖歓喜双身大王が祀られている「大聖歓喜天堂」と並びます。左手には立派な宝篋印塔もあります。
本尊は、重要文化財の地蔵菩薩像。一般的に地蔵菩薩は柔和な表情をしていますが、ここのお地蔵様はどこか凛としており、激動の歴史を見守ってきた強さを感じさせます。北条一族のみならず、鎌倉の戦乱で亡くなったすべての人々の魂を救う「究極の守護者」として鎮座しているのでしょう。

山に向かい魚も泳ぐ清流、滑川に架かる「東勝寺橋」を過ぎて坂道を登っていくと、かつて北条氏の菩提寺であった「東勝寺があった場所」が左手に拡がります。奥の切り立った崖には「北条高時腹切りやぐら」。追い詰められた執権北条高時をはじめとする北条一族、および家臣らが最期を遂げた場所と伝えられています。
このあたりはとても静かで厳粛な空気が流れています。往時を偲んで一族の冥福を祈って静かに手を合わせましょう。現在、崖崩れの危険があるため、やぐらの直前まで行けないよう柵が設けられています。
小町通りまで戻り、本日訪ねる日蓮上人の数ある寺院の原点ともいえる場所「日蓮上人辻説法跡」に向かいます。1253年、房総半島から鎌倉に入った日蓮聖人は、この場所(小町大路の四角)に立ち、道行く人々に向かって仏法を説き始め、幕府や既存の仏教を激しく批判する過激な説法を行いました。住宅街の一角に立派な記念碑と、説法をしたとされる高座を模した石舞台が佇んでいます。隣には「鎌倉日蓮堂」があり、中には日蓮上人がいらっしゃいました。
先へ進むと住宅街の真ん中にセブンイレブンがありました。何か違和感があると思ったら、ロゴの色が渋めの色に変えられています。看板も低い位置、この高さでは見たことがありません、観光地らしい配慮ですね。因みにローソンも同様な措置が取られていました、これぞ日本の気遣い、気配り、素晴らしい!
右手には本覚寺の山門、夷堂橋を渡ると「妙本寺」の寺号標があり参道が続きます。総門に向かって進みましょう。広大な境内を有する妙本寺は、比企ヶ谷の静かな谷戸に位置しており、源頼朝の右腕として活躍した比企能員の館があった場所。二代将軍・源頼家の跡継ぎを巡る争い(比企の乱)で、北条氏によって比企一族はここで滅ぼされました。
総門の先、左手石段の入り口には「方丈門」があり右手を奥へ登っていくと「二天門」が見えてきます。 ちょうどノウゼンカズラが咲いており、朱塗りの弁柄色と相まって華やかな門となっていますした。持国天、毘沙門天、広目天、増長天が祀られており、屋根の下にある彫刻も見事です。
正面に現れる巨大な木造建築は「祖師堂」で日蓮聖人を祀るお堂、左手には大きな「日蓮聖人像」がいらっしゃいます。1838年に再建されたもので、鎌倉でも最大級の規模。その堂々とした佇まいは圧巻で、周囲を囲む比企ヶ谷の深い緑とのコントラストが素晴らしい景観です。
比企の乱の悲劇を伝える場所として、若狭局(頼家の側室で能員の娘)を祀る蛇苦止堂や、わずか6歳で亡くなった一幡の着物の袖を納めたと伝わる「袖塚」があり、歴史に思いを馳せることができます。

総門から横へ住宅街の細い路地を進むと「常栄寺」、 通称「ぼたもち寺」として親しまれるこのお寺には、日蓮聖人が幕府によって捕らえられ、処刑場(龍ノ口)へと連行される途中の話が伝わっています。
この地に住んでいた桟敷の尼という老女が、衰弱した聖人を不憫に思い、せめてもの供養にと「胡麻のぼたもち」を捧げました。聖人がそのぼたもちを食べた直後、処刑場で見事な「奇跡(光る物体が飛来し、処刑が中止された伝説)」が起きて命が助かったとのお話。このぼたもちは「命を繋いだ縁起物」として語り継がれるようになりました。
バス通りの大町大路に出て左折、すぐ左手が「別願寺」。 ここは、静かで奥深い歴史が刻まれた時宗の寺院。鎌倉時代中期、時宗の開祖である一遍上人によって開かれたと伝えられています。鎌倉公方、足利氏との深い関わりがあり足利氏の菩提寺として大きな勢力を誇っていました。
境内には、「足利持氏」の供養塔があります。持氏は後に将軍義教と対立し、永享の乱を引き起こし自害。その子成氏は鎌倉公方に復帰するものの、関東管領上杉憲忠を暗殺、鎌倉を追われ古河公方となります。その後、引き続き関東に睨みをきかせることになり、関東の戦国時代の重要な鍵を握ることに。扇谷上杉、山内上杉、太田道灌、北条早雲と名立たる武将と共に歩む激動の歴史は、興味深い壮大なストーリーが繰り広げられます。
すぐお隣は北条政子ゆかりの寺院「安養院」。正式名称を安養院田代寺といい、頼朝の妻である北条政子が、亡き夫の菩提を弔うために建てた「長楽寺」が前身となっています。政子の法名である「安養院殿」からその名が付けられたとのこと。坂東三十三観音霊場の第3番札所としても知られており、古くから多くの巡礼者が訪れる祈りの場でもあります。
本堂の裏手には、「北条政子の墓」と伝わる古い石造宝篋印塔があります。鎌倉幕府を支え、「尼将軍」として激動の時代を生き抜いた彼女の、静かな休息の地を感じることができます。 境内には「身代わり地蔵」や決まった日数内に願いをかなえてくれる「日限地蔵」(ひぎりじぞう)も祀られており、厄除けや諸願成就を願う参拝客に親しまれています。
大町エリアをさらに先へ進むと、静かな谷戸に位置するのが「安国論寺」、日蓮聖人が鎌倉で最初に草庵を結んだとされる「松葉ヶ谷」の地。寺名の通り、日蓮聖人が当時の最高権力者・北条時頼へ呈上した建白書「立正安国論」を執筆した場所として知られています。
国家の安泰を願い、命がけで直言した聖人の情熱が刻まれた聖地らしく凛とした空気が流れています。本堂の裏手への巡礼路を進めば眺めの良い由比ガ浜が一望できる富士見台、松葉ヶ谷法難で焼討ちに遭った日蓮聖人が 白猿に導かれて難を逃れ 一夜を明かされた南面窟があるのですが、こちらは時間の関係もあるので次回のお楽しみ。日蓮聖人が「立正安国論」を構想し、実際に執筆したとされる御法窟への拝殿、御小庵に手を合わせて次へ向かいます。
安国論寺からほど近い「妙法寺」は、鎌倉でも屈指の美しさを誇り、「苔寺」の通称で親しまれていて、日蓮聖人が草庵を結んだとされる「松葉ヶ谷」の伝承を今に伝える名刹です。安房から鎌倉にやってきた日蓮聖人が、この地に草庵を構えたのが始まりとされており、江戸時代には、第11代将軍・徳川家斉も参詣したと伝えられる、由緒正しきお寺。
「苔の階段」は 妙法寺の代名詞とも言える息を呑むほど美しい緑の階段です。現在は保護のために登ることはできませんが、下から見上げる光景は、鎌倉らしい湿潤な空気と静寂を感じさせてくれます。特に雨上がりや、木漏れ日が差し込む時間は非常に幻想的で、写真に収めたくなる美しさです。

鮮やかな朱塗りの仁王門には、力強い金剛力士像が安置されています。この門から先、苔の階段へと続くアプローチが、別世界へ入り込むような感覚を与えてくれます。 裏山を登ったところには、後醍醐天皇の皇子、悲劇の最期を遂げた「護良親王の墓所」があり、鎌倉時代の終焉に関わる歴史の重みを感じさせる場所。また、こちらからは「由比ヶ浜の海が一望」でき開放感のある景色を楽しむことができます。
江ノ電鎌倉→長谷→極楽寺
大町大路へ戻り名越からバスに乗車、時間を稼いで鎌倉駅へ向かい江ノ電で長谷へ向かうことにしましょう。JRのすぐ隣が「江ノ島電鉄の鎌倉駅」、情緒たっぷりの観光地らしい駅です。「頭端式ホーム」は終着駅ならではの構造で、無事カエルもいらっしゃいました。
いよいよ、この先「高徳院の鎌倉大仏」とのご対面となります。大仏さまの人気はすごくて、参道は海外からの観光客であふれています。何度見ても圧倒される美しさと存在感が人気のようですね。
鎌倉大仏(国宝・銅造阿弥陀如来坐像)最大の特徴は、屋根のない青空の下に座っていらっしゃること。建立当初(1252年頃)は巨大な大仏殿の中に納まっていましたが、14世紀から15世紀にかけての台風や大地震、津波によって建物が崩壊、以来雨風にさらされながらこの地に鎮座し続けています。
奈良の大仏様(東大寺)が聖武天皇という「国家」の力で造られたのに対し、鎌倉大仏は庶民や武士の寄付によって造られたと言われています。当時の流行であった中国(宋)の影響を受けた写実的なスタイルで、少し猫背でうつむき加減な姿勢は、参拝者と目を合わせようとする慈悲の表れとも言われています。
回廊の壁に、「大きな草履」が掛けられています。「大仏様にこれを履いて、日本中を歩いて人々を救っていただきたい」という子供たちの願いから始まった奉納品で、定期的に新しいものに編み替えられています。

海風を感じながら駅の方へ歩くこと数分、「長谷寺」は鎌倉の西方極楽浄土とも称される、圧倒的な見どころを誇る名刹。736年の開山とされ、奈良の長谷寺と同じく、一本の巨大な楠(くすのき)から彫り出された二体の観音像のうちの一体が、縁あってこの鎌倉の地に流れ着いたと伝えられています。
本尊である「長谷観音(十一面観音菩薩像)」は、日本最大級の木彫仏です(残念ながら堂内は撮影禁止)。その荘厳な姿を目の前にすると、自然と背筋が伸びるような感覚になります。全身に金箔が施され、暗いお堂の中に浮かび上がるお姿は圧巻、しばし言葉を失いました。必見ですね!
「弁天窟」は弘法大師が参籠したと伝わる洞窟です。壁面には弁財天や十六童子が彫られており、少しひんやりとした空気が漂う神秘的な空間です。中腰が続きますので腰痛持の私には少々つらい旅でした。
高徳院から江ノ電の線路と並行して住宅街を歩いていくと踏切の前に「御霊神社」があります。街道歩きの途中、何か所か訪れている、別名「権五郎神社」とも呼ばれている神社。この地を治めていた鎌倉氏一族を祀る神社です。 主祭神は、鎌倉幕府が成立する以前の伝説的な武将、鎌倉権五郎景政。彼は「後三年の役」で、目に矢が刺さりながらも屈することなく敵を倒したという猛勇の持ち主でしたね。
鳥居の目の前、江ノ電の踏切を渡り少し歩けば角に良い感じの建物が目に入ってきました。店先に掲げられた重厚な看板が長い年月を感じさせてくれる「力餅家」。創業が元禄年間まで遡る、鎌倉でも指折りの老舗中の老舗。お店の佇まいそのものが、タイムスリップしたかのような風情を醸し出しています。名物「権五郎力餅」は、添加物を一切使わず、つきたてのお餅をたっぷりのこし餡で包んだ、シンプルながらも飽きのこない味わいです。今日中にいただきましょう。

力餅家さんから極楽寺坂に向かう途中、鎌倉十井の一つ「星の井」があります。昔、井戸の中に昼間も星の影が見えたことからこの名が付いたそうです。道の両脇に山が迫ってきます、左手に少し登った中腹にある「成就院」。ここは、鎌倉の中でも屈指の「海の見える絶景スポット」として知られるお寺。
三代執権・北条泰時が京都の神護寺の名僧を招いて建立。北条氏ゆかりの寺院として栄えましたが、新田義貞の鎌倉攻めで一度焼失。その後、元禄時代に再興され今日に至ります。真言宗の大覚寺派に属し、古くから修行の場としても重んじられてきました。極楽寺坂を登りきり、山門前から振り返ると、由比ヶ浜の弧を描く海岸線と鎌倉の街並みが一望できます。
風が吹き抜ける心地よい、高台にある祈りの場といった趣の成就院から極楽寺坂を下ります。江ノ電の赤い橋を渡った先に静かに佇むのが「極楽寺」、心落ち着く名刹です。
北条重時によって開かれ、開山には高僧・忍性上人が迎えられました。忍性上人は、貧しい人々や病に苦しむ人々の救済に生涯を捧げた「社会福祉の先駆者」のような人物。 かつては巨大な伽藍を誇り、寺域には療養施設や薬草園などもあった、一大医療センターのような役割も果たしていました。
趣のある「茅葺き屋根の山門」は、極楽寺のシンボルです。門をくぐり、真っ直ぐに伸びる「桜並木の参道」は、春には見事な花のトンネルになります。 本尊の千手観音様は、人々の苦しみを救い上げようとする忍性上人の精神を象徴するような、温かみのある仏様。 忍性上人が多くの人々に食事を振る舞うために使った巨大な釜や、薬を作るために使った鉢も残されています。
また、お寺のすぐ前にある「極楽寺駅」は、「関東の駅百選」にも選ばれている風情ある木造駅舎。私の年代は何と言っても中村雅俊さんの「俺たちの旅」に続く勝野洋さんの「俺たちの朝」の想い出がつまっているの場所、長谷直美さんも良かったな~。江ノ電がトンネルへ吸い込まれていく様子を眺めるのも、鎌倉らしい風景の一つですね。テンション上がってきました!

極楽寺→腰越→江の島
この後は、極楽寺駅から江ノ電で移動です。稲村ヶ崎から七里ヶ浜、スラムダンクの聖地となり世界中から多くのファンが訪れる鎌倉高校前駅を過ぎれば目的の腰越駅。踏切を渡り大通りを少し歩くと「満福寺」があります。
ここは、源頼朝の弟でありながら、鎌倉入りを許されなかった悲運のヒーロー源義経の物語が詰まった場所。平氏を滅ぼした最大の功労者である義経は、兄・頼朝に会うために鎌倉を目指しました。しかし、頼朝は義経が許可なく朝廷から官位を受けたことなどを怒り、鎌倉への入都を拒否します。
義経はこの満福寺に留まり、兄への忠誠と許しを乞う切実な書状、いわゆる「腰越状」を執筆しました。しかし願いは届かず、彼はここから京へと引き返すことになります。そして北陸でのピンチを勧進帳でクリア、奥州藤原氏を頼りますが最後は弁慶と共に悲しい最後となりました。

本堂には、武蔵坊弁慶が義経の言葉を代筆したとされる「腰越状」の下書きが展示されています。力強い筆致からは、当時の張り詰めた空気感が伝わってきます。弁慶が書状を書く際に墨をすったとされる「弁慶の硯池」や、義経が腰掛けたと伝わる「義経腰掛石」、弁慶の指紋がついたという「弁慶の手形石」など、伝説を裏付けるような遺構が点在しています。
間近に海岸線を眺めてから駅の方へ戻ると江ノ電は路面区間に、線路を横目に不思議な感覚で細い道路を歩いて進みます。この先にある「龍口寺」は、日蓮聖人の歩みの中でも最大のクライマックスを迎える場所。
ここはかつて、幕府の刑場があった場所、時の執権・北条時宗に『立正安国論』を呈上し、幕府を厳しく批判した日蓮聖人は、捕らえられてこの地で処刑されそうになりました。まさに首を斬られようとしたその瞬間、江の島の方角から満月のような光る物体が飛び去り、処刑役の目がくらんで刀が折れたという伝説が残っています。この「奇跡」によって処刑は中止となり、聖人は佐渡へと流刑になりました。これを龍ノ口法難と呼びます。

日蓮聖人が処刑を待つ間、法華経を唱えたとされる場所に建てられた御敷皮堂や神奈川県内で唯一の本格的な木造五重塔など、高台からの眺めも素晴らしい場所。本堂は 江戸時代末期に再建された、重厚なケヤキ造りの建築で、内部には日蓮聖人の像が祀られています。
大町の「安国論寺」で書状を書き、「ぼたもち寺」で尼さんに励まされ、そしてここ「龍口寺」で絶体絶命の危機を脱する……。日蓮聖人の鎌倉におけるドラマを今日一日で辿った満足感があります。南無妙法蓮華経。
これで無事予定はすべて終了、「小田急片瀬江ノ島駅」へ向かいます。江ノ電の江ノ島駅は左手、右手は湘南モノレールの湘南江ノ島駅、踏切を渡ってお土産店がずらりと並ぶ「すばな通り」を進みます。目の前に江の島が見えてきました。潮風に吹かれながら弁天橋を渡れば片瀬江ノ島駅に到着です。
リニューアルされた駅舎は、竜宮城を模した非常に華やかなデザインです。駅構内には新江ノ島水族館が協力した大きなクラゲの水槽もあり、幻想的な雰囲気の中で旅を締めくくることができます。

全10回の鎌倉街道歩きもこれにて終了となりました。所沢を出発して新小平→分倍河原→多摩センター→町田→瀬谷→ゆめが丘→湘南深沢→鎌倉、北鎌倉→鎌倉→長谷→江の島、一部電車やバス移動も入りましたが全歩行距離は162.3kmとなりました。
いざ鎌倉とは言ってみたものの、途中厳しい道のりもあり戦国武将たちの命懸けの行軍の気持ちを少しわかった気がします。街道沿いには歴史を感じられる神社仏閣や記念碑などが多く、知見が深まり貴重な経験も出来たと思います。さて、次はどこを訪ねるか?考えるのもまた楽しい物。また、お会いしましょう。







































































