川越街道 街道を歩く その1 歴史を訪ねる シニアの健康ウォーキング 板橋宿→成増(下練馬宿)

川越街道 街道を歩く その1 歴史を訪ねる シニアの健康ウォーキング 板橋宿→成増(下練馬宿) 街道ウォーク
Photo by ゆう
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川越街道 その1 板橋宿→成増(下練馬宿)

川越街道その1は、板橋→成増を歩きます。
距離は14,3Km、所要時間4:04時間 18,465歩、消費カロリー1750kcal

※画像はクリックすると拡大でご覧いただけます。

※スマホでも読みやすいように、改行が多くなっております。PCでは少々見づらくなっていることをご了承願います。

川越街道はお江戸日本橋から川越城に至る約43kmの街道。室町時代、太田道灌が川越城と江戸城を築いたころ、二つの城を結ぶ重要な役割を果たした道で、東京では254として親しまれている国道です。

中山道の板橋宿、平尾追分で分岐となります。中山道は歩いているので、ここ平尾追分から川越街道歩きは出発。主な宿場は板橋宿、上板橋宿、下練馬宿、白子宿、膝折宿、大和田宿、大井宿、川越宿。名産の川越芋は「栗より(九里・四里)うまい十三里」の宣伝文句として有名です。

板橋宿→下練馬宿

「JR板橋駅」から出発、まず駅前「近藤勇の供養塔」にお参りして「平尾追分」に向かいます。中山道の街道歩きでは、ここ「平尾追分」から右の板橋宿へ進みましたが今日は左、旧川越街道に入ります。

JR板橋駅
平尾追分 右前方ゲートへ進むと板橋宿

交差点の「板橋区制施行70周年記念植樹」のケヤキが目印、いい感じに色づいてきています。「四ツ又馬頭観音」が首都高速の下に見えてきました。1734年に造られ交通の要衝である、ここ四ツ又で道しるべとして知られていたそうです。中山道から分岐した川越街道、雑司が谷へ至る高田道(現在の池袋方面)に向かう道が交差する賑わいを見せていた場所なんですね。

板橋区制施行70周年記念植樹
四ツ又馬頭観音

山手通りを横断して旧川越街道に位置する「遊座大山商店街」を進みます。懐かしい感じの商店街、遊座という響きが楽しそうでいいですね。商店街が終わると東武東上線の大山駅、踏切を渡るとテレビ番組の取材でもよく登場する「ハッピーロード大山」。アーケード街が延長560mも続く商店街は、雨の日でも楽しく買い物ができるのが魅力です。1979年開店の行列ができるクレープの店「ピエロ」、歴史を感じるお店の看板が良い感じ。

遊座大山商店街
ハッピーロード大山 ピエロ

商店街のアーケードが終わると川越街道、右手すぐ「下頭橋通り」(旧川越街道)との分岐になります。ここにあるのが「弥生町2番井戸の跡」、今は道ばたに寂しく残された井戸ですが、多くの人の喉を潤してきたことでしょう。

「下頭橋通り」(旧川越街道)
弥生町2番井戸の跡

街道を少し離れて石神井川に続く古道、鎌倉街道に入って「轡(くつわ)神社」へ向かいます。由来は家康の乗馬のくつわを祀ったとか、馬蹄を祀ったからといわれているそうです。また、百日ぜきにも霊験がある神として信仰をあつめており、全快した方の麻とわらじが奉納されていました。

街道に戻ると「豊敬稲荷神社」、このあたりが「旧上板橋宿」となります。街道沿いの神社ですがこじんまりと静かで、迎えてくれるお狐さまは凛々しい顔立ち。街道には古い家屋も残されていました。

轡(くつわ)神社 前が鎌倉道
轡(くつわ)神社 拝殿
豊敬稲荷神社

石神井川に架かるのが「下頭橋」、名の由来は諸説あるそうですが、川越藩主を江戸屋敷の家臣がここまで出迎えて頭を下げたからというのがしっくりきました。

橋の手前に「下頭橋六蔵菩薩」の祠があります。旅人から喜捨を受けていた六蔵の金をもとに石橋が架け替えられたという説による、六蔵の遺徳を讃えて建てられたものとの説明書き。かわいそうに、この六蔵さん、ある冬の朝亡くなっており体の下から今まで恵んでもらったお金が出て来たそうです。貯めていたんですね。

下頭橋
下頭橋六蔵菩薩
下頭橋からの石神井川

下頭橋といえば、東京でラーメン好きな方は、あの背油ギンギンのこってり「下頭橋ラーメン」が浮かぶ方が多いのではないでしょうか。私も環七の土佐っ子からのファンですが、さすがに今は少々脂がきつい感じです。

川越街道に向かい板橋中央陸橋に向かいます。環状七号線と川越街道の交差点、さすがに大きくて交通量も多く都会らしい風景です。この現代的な風景とは対照的に庭園風の緑に包まれた空間があります、真言宗「長命寺」。石段を登ると本堂が見えてきました。江戸時代前期の開山で付近の神社の別当でもあった歴史ある寺院です。境内には多くの古い石仏もいらっしゃいます。

長命寺
長命寺 本堂

川越街道から東武東上線のときわ台駅に向かって歩きます。見えてくる大きな杜は天照大御神がまつられた「ときわ台天祖神社」で鎌倉時代の創建と考えられています。江戸時代には神明宮と称され上板橋宿村の鎮守、明治になって村社と定められました。境内には伊勢神社、月読神社、日枝神社、北野神社、稲荷神社など末社も祀られています。

ときわ台天祖神社
ときわ台天祖神社

川越街道に戻ると「五本けやき」が国道のど真ん中で大切に守られています。街道拡幅工事の際、屋敷林の一部を残すことを条件に、旧上板橋村長だった飯島さんが土地を提供され残されたのが「五本けやき」。いまも生き続けている樹木たち、感慨深い話です。

街道はここで旧道に分かれます。旧道を進むと「子育て地蔵尊」が祀られています。もとは上板橋村の栗原に建っていて、この地に移されましたが放置されていたようです。これを憂慮した宝田豆腐店主が大正時代に店舗隣の現在の場所に移し祀ったとあります。大変だったこのお地蔵様の過去の話を聞くと、有難みが増します。

川越街道 「五本けやき」
子育て地蔵尊

下練馬宿→成増

「下練馬宿」へ入りました。「古い商店」も残っており宿場の雰囲気が漂っています。このあたりは下宿と呼ばれ、本陣、脇本陣、問屋場の他、鍛冶屋、紺屋、鷹狩の餌となる「けら」を扱う「けらや」もあったとあります。そうです、あの昆虫のおけらです。

蛇足ですが、お金がない状況をオケラといいますが理由をご存じですか?私は府中で競馬の帰りに肩をがっくり落として「おけら街道」をよく歩いたので、調べたことがあるんです。自慢にはなりませんが。。。

オケラが前脚を上げている状態がバンザイ、お手上げに見える。また、泳いだり・走ったり・鳴いたり・飛んだりと多芸なオケラ、これをどれも一流の能力がないケラ芸、器用貧乏とみて貧乏つながりでお金がないことをオケラと呼ぶなど諸説あるようです。昆虫の世界もスペシャリストが重用されるんでしょうね。

古い商店
下練馬宿

環状八号線と交わる場所に「下練馬の大山道道標」があります。旧川越街道とふじ大山道の分岐点、富士・大山信仰が盛んだったことがうかがえます。「上部の不動明王」も迫力あります。脇には、「左東高野山道と刻まれた角柱」がありますが、これは先ほど訪れた「長命寺」への道しるべ、山号は東高野山でした。

下練馬の大山道道標
上部の不動明王

右手に「北町浅間神社」の鳥居と旧川越街道の石柱、左奥には「下練馬の富士塚」があります。東海道で訪ねた品川神社にも大きな富士塚がありましたが、東京には多くの富士塚が存在します。

この近辺だけで、5か所も富士塚が存在しており、富士山信仰が盛んだったことがうかがえます。正面が天祖神社、左手の浅間神社の鳥居をくぐって山頂に向かいましょう。

北町浅間神社 左上が富士山頂
下練馬の富士塚 天狗さま

かわいいお猿さんや烏天狗、大天狗様が迎えてくれますが、思いのほか険しい道のりが続いています、足場も悪くヒールはNGですね。山頂には奥宮がありがたく祀られており、富士山の方向も示されています。山頂から見下ろす眺めもなかなかのもの。

下練馬の富士塚 入口のお猿さん
下練馬の富士塚 山頂からの眺め

街道の右手は東武練馬駅、駅前の街道沿いには「北町聖観音堂」。石柱の先仁王門がありお堂へと続きます。観音像は高さが270cmで練馬区内最大の石仏、1682年の銘があり往来の人々の分岐道の目印にもなっていたとあります。

仁王像も阿行、吽形ともに迫力ある重厚な造りで目を引きます。表の街道沿いには江戸時代の造立と思われる馬頭観音も並んでいました。

北町聖観音堂 
北町聖観音堂

街道を進むと右手に本陣跡の公園に黄金に輝くオブジェが見えてきました。大根?、「下練馬献上大根碑」とあります。五代将軍綱吉が一時期この地に療養しており大根を栽培させたところ良い大根が取れたそうです。その良質な大根を江戸城に戻ってからも献上させたとの説が、ゴールドの大根が神々しい。

北町聖観音堂 仁王門
下練馬献上大根碑

街道歩きも後半に差し掛かり、雰囲気のいい和菓子屋さんが見えて来たので寄っていきましょう。いま坂どら焼き、「神馬屋」の看板がかかっています。明治八年創業のどら焼き専門店で昔ながらの手作りを守っているとのこと、小倉にこしあん、定番からブルーベリーや抹茶あんなどの創作どら焼きなど種類は豊富。帰ってから頂くのが楽しみ。

神馬屋
小倉 こしあん 抹茶あん

旧街道から国道254に合流となり進むと地下鉄下赤塚駅入口脇に「鎌倉古道」と書かれた武者の案内オブジェが立っています。至はやせ、至かまくらとの表記もあり、赤塚城、荒川早瀬の渡し、鎌倉方面は石神井城方面に続くこの古道、いつかは歩いてみたい鎌倉道です。

しばらく国道歩きが続きます。歩道は広く歩きやすいのですが、結構歩きましたので、緩やかな上り坂が足にじんんわりと効いてきます。

坂を登り高台まで来れば、まもなく本日のゴール成増。このあたりは小次兵衛久保という地名で呼ばれていた場所で「小治兵衛窪庚申尊」として庚申塔が祀られています。我が家の近所の庚申塔と比べると随分立派な祠で驚きました。また、至るところで見かける三猿に乗った青面金剛は座した珍しいパターン、この面白さが街道歩きの魅力でもありますね。

鎌倉古道
小治兵衛窪庚申尊

今日はここまで、板橋や練馬区にも風情ある宿場の跡が見られることを知りました。川越街道は五街道ではありませんので参勤交代のような派手な歴史はありません。しかし、庶民の営み、息吹が感じられる活気ある魅力的な街道、通行量は多かったようですね。見どころも多いこの街道、この先も楽しみです。

次回は白子宿から膝折宿方面へ向かいます。

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