日光街道 その4 南越谷→越谷宿→一ノ割(粕壁)
日光街道その4は、南越谷→越谷宿→一ノ割(粕壁)を歩きます。
距離は20,5Km、所要時間は5:10時間 23,748歩、消費カロリー1720kcal
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南越谷→越谷宿
南越谷駅からのスタート、本日は越谷宿を超えて春日部までの20kmオーバーのロングウォークが予測されます。まずは朝食でエナジーチャージ、万全の体制で臨みます。
駅前に「むさしの森珈琲」の看板、モーニングのメニューの充実度がすごいと聞いていたので初入店。メニューを見てビックリ!確かにすごい、選べない、お店もきれい、ソファーもゆったり。
コメダ的なドリンクにバタートーストとゆで卵が付いてくるパターンから、目玉焼きやスクランブル、オムレツやハムサラダ、ふわっとろパンケーキと豊富なラインアップです。
私たちはスープやサラダも付いている「オムレツモーニング」と「フルーツMIXパンケーキ」を注文。ほうれん草とチーズのオムレツ、濃厚クラムチャウダー、ふわふわパンケーキに大いに満足して出陣です。
獨協医大埼玉医療センター横を進んでいくとすぐに旧日光街道、北へ向かいます。瓦曽根ロータリーの右手裏通りには鉄格子に守られた「窮民救済の碑」。天保年間に大凶作が発生した際、飢餓に瀕した人々を、この地の名主と養子に出ていた子らが救ったことが記されています。昔の地方行政は民間主導的な面もあって、地元の名士と呼ばれる方々は立派な方が多かったんですね。
お隣には真言宗「照連院」の山門、その先には「輪違の宗紋」が扉に描かれた大きな本堂が見えてきます。本堂脇には江戸中期に造られた越谷市文化財の木像地蔵菩薩立像が安置されています。
瓦曽根秋山家の祖先は甲斐武田家氏の家臣、武田氏滅亡の際、勝頼の遺児幼君「千徳丸」をともなってこの地に潜居しましたが、千徳丸は早世。こちら秋山家墓所に「墓石供養塔」があります。街道を歩いていると各所で見られる家臣が主君を敬い忠義を尽くす話。主君の人間性やリーダーシップが素晴らしかったこともあると思いますが、このような関係はいつの世も大切にしてほしいものです。
街道を越谷駅方面に進むと「新町八幡神社」の鳥居と社殿、背景のタワーマンションが時代を感じます。街中にある神社で狛犬は比較的新しい感じですが、御神灯は年代を重ねたもの。神社の歴史は古く、こちら新町の人々に愛されてきた鎮守さまです。
住宅街に入り歩いていくと蔵を改造したオシャレな「まち蔵café」がありました。江戸末期に建てられたもの、このような景観が守られているのはありがたいですね。美味しいコーヒーがいただけます。
通りの向こうに大きな欅が見えてきました。こちら「中町浅間神社」には文化財の懸仏、天然記念物のケヤキがあります。幹回り7メートル、樹高はおよそ23メートルの大きさで樹齢およそ600年と推定されています。
日光街道へ戻り宿場の中心へ、現木下半助商店は「脇本陣四ツ目屋」跡、向かいが「塗師屋小泉市右衛門」跡、お隣が「鍛冶忠」、「金物屋」など素晴らしい蔵造りの建物が並びます。
旧大野家住宅とお隣分家の「はかり屋」は奥に土蔵を有します。現在は古民家複合施設として石畳の路地を奥へ進むと5軒のショップやビストロが営業しています。
街道は新町、中町から本町に入ります。鎮守の「市神社(いちがみしゃ)」の鳥居の奥には本町壱番組の台座に乗った狛犬と拝殿があります。市神は市がたつ場所に集まり、その場所を守護し幸運をもたらす商売繁盛の神さま、こちらの市も賑わっていたのでしょうね。
右手には「くわい大福」のポスターが張られた「岡埜製菓」さん。越谷はくわいの産地、お節料理でお目にかかるおめでたい縁起物ですが、大福があるとは知りませんでした。人生100年時代、健康長寿の大きな芽が出ることを願ってお土産に購入です。
「元荒川」までやって来ました。大沢橋の手前を右に折れて「元荒川橋」を超えて更に川沿いを歩き「越ケ谷御殿跡」を目指します。家康が鷹狩り時の宿泊などのために設営したもの、秀忠、家綱も訪れています。明暦の大火で江戸城が消失した際、越ケ谷御殿を江戸城二の丸に移すため解体されたと伝えられています。この辺りは町名も御殿町、自分の住所が御殿町なんていいですよね。
街道からは外れますが、ここまで来たので越谷総鎮守、「久伊豆神社」まで足を延ばしましょう。新宮前橋まで来ると川向こうには大きな注連縄、参道の入口です。参道は長い道のりで本殿が見えません。第一鳥居から石橋を渡り、第二鳥居、左手に緑の森公園を見ながら進むと正面にようやく社殿が見えてきました。
御祭神は大国主命、広い境内には拝殿、本殿の他、摂末社、南洋神社、祖霊社、稲荷神社、神楽殿、「足止めの狛犬」、「三ノ宮卯之助銘の力石」など多くの見どころがあります。池のほとりにある藤棚は見事で樹齢200年程の古木、県指定の天然記念物です。
「足止めの狛犬」は家庭を顧みないで遊びにばかり出ている誰かさん、家から離れないようにとの願いを込めて家族が狛犬の足に麻ひもを結ぶ習慣が昔からあったそうです。再雇用の私、お陰様でこのひもは必要なくなりました、家族の絆は大切です。
卯之助は越谷出身で力石などを持ち上げる興行を行いながら全国を回った日本一の力持ちといわれた人物。1831年の奉納で24歳の時、約190kgの力石を持ち上げたとされる文字が刻まれているのが「三ノ宮卯之助銘の力石」です。
神社の隣には浄土宗「天獄寺」。家康より十五石の寺願寄進朱印状が交付され秀忠、家光も立ち寄っている格式が高い寺院。黒塗りの山門に続き、二層の朱色の門が迎えてくれます。古くは小田原北条氏の城砦にも用いられたといわれています。入口にある庚申塚には江戸前期から中期のものと思われる庚申塔が並んでいます。
越谷宿→一ノ割駅
元荒川沿いを歩いて街道へ戻ります。大沢橋脇は大沢宿場跡公園になっており、「明治天皇大澤小休憩所」の石碑があります。東北地方巡幸の際、旧本陣福井家に御小休されたことを示すもの。あの岩倉具視や木戸孝允、大隈重信もお供に加わっていたそうです。
このあたりに大松本陣、虎屋脇本陣、玉屋脇本陣、問屋場があったそうですが、残念ながら今は往時の面影はなく静かな二車線の街道となっています。
少し先の左手に真言宗 智山派 梅華山「照光院」のピカピカの石柱、参道を進みましょう。右に稲荷神社の祠があります。阿弥陀如来と如意輪観音の石仏と朱色の山門、横には大沢小学校創設の地の石碑。山門の先には弘法大師像とかなり時代を経ていそうな朱色の鐘楼、本堂も堂々たる造り。
北越谷駅方面へ進み街道から右手に進むと街道横に「香取神社」の鳥居があり参道は二の鳥居へと続きます。大沢総鎮守で室町時代後期に下総香取神社の御祭神を分霊し勧請造立との沿革、現在の本殿は明治元年に再建とあります。
境内では古民具・骨董市開催中で、参道脇に露店が並んでいます。御朱印を頂いて街道へ戻って先へ進みます。
街道は東武スカイツリーラインを横切って先へ続きます。路傍には「古い庚申塔が三基」並んでいますが道標も兼ねているようです。
しばらく進むと未舗装の直線道路の先に門が見えます。「宮内庁埼玉鴨場」の標識が掛かっており、黒の重厚な門が威厳を放っています。この屋根がない、二本の門柱に横木を通してあるシンプルな造りの冠木門、スッキリした造りには品格を感じます。
中には12,000平方メートルの元溜と呼ばれる池があり、毎年2千羽を超える鴨などの渡り鳥が飛来するそうです。残念ながら中にははいれませんが、2月と3月に数回の見学会が実施されているようです。
住宅街の先、「大林寺」は曹洞宗の寺院。入口には供養塔、境内には出世大黒天、本堂も静かな佇まいで静寂が似合う寺院。すぐ先には大林村鎮守の「香取神社」。鳥居の前には神様をお迎えするのぼり旗を掲げる大きなポール、盛大な村のお祭りの様子が目に浮かびます。
街道は再びスカイツリーラインを横切り4号線のガードをくぐって進みます。青面金剛像や古い石仏が点在し、地蔵堂や「阿弥陀堂」が続く街道は歴史を感じます。
左手の大袋駅を過ぎてさらに進んでいくと4号線と合流、陸橋入口の交差点となります。「日本橋から30km」、春日部まで5kmの道標、これも一つの節目。ちょっとした達成感が味わえるのも街道歩きのいいところです。
せんげん台駅を過ぎて戸井橋が掛かる新方川を渡り、まっすぐ伸びた街道をひたすら歩きます。かなり疲れてきましたが、もう一駅、二駅は進めておきたいところ。シニアに無理は禁物ですが、もう少し頑張りたいと思います。
ようやく「大枝香取神社」までやって来ました。先程の香取神社と同様、下総香取神宮の末社。昔から街道沿いで五穀豊穣の神として崇められている村の鎮守さまです。お隣は「歓喜院」、香取神社が寺鎮守でした。本尊の十一面観音は武里観音として知られています。
街道を左に折れて野田岩槻線をしばらく進むと「西光寺」の参道が見えてきます。参道口には地蔵尊、庚申塔が並びます。日光街道は武里駅を過ぎて更に北へと続きます。
「建御雷(たけみかづち)神社」の社標から参道が続いています。元来は雷電社ということですから雷除けの雷神様ということでしょうか。境内には三峯社、浅間大神、富士浅間宮大権現の富士塚も木々に囲まれて祀られています。
先には浄土宗の「称名寺」、山門前の松の木と境内の大きな銀杏の木が目を引きます。地蔵尊、子宝に恵まれるという金精様が祀られています。
地蔵祠を過ぎて江戸から八里の「備後一里塚跡」を確認して進むと「善巧寺」が右手に見えてきました。本堂横には親鸞聖人旅姿の像、京都に生まれ、九十歳で波瀾の生涯を閉じられた旨の説明書きがありました。
本日の予定はここまで、一ノ割駅へ向かいます。駅前通りに羽子板もなか、「ちぐさ」の看板です。栗入りは粒あん、餅入りは白いんげんの白あん、選べないときは両方買いましょう。羽子板は春日部の特産品、いいお土産ができました。
ロングウォークでしたが春日部駅の一つ手前、目標だった東武一ノ割駅に到着しました。都心から離れてローカルチックないい雰囲気の駅、駅前には懐かしい養老乃瀧があります。学生時代、コンパで養老ビールのお世話になった事を思い出しました。たしか、激安の養老牛丼なんて言うのもありましたよね。
本陣1、脇本陣を4軒有した越谷宿は蔵造りの古い家屋が多く残された、旧街道の雰囲気を感じられる落ち着いた宿場でした。元荒川は季節の草花に包まれた土手沿いをゆったりと流れる往時を偲ばせてくれる風景を見せてくれます。次回、粕壁宿は舟運で江戸と結ばれ栄えた街、どのような展開になるか楽しみです。
↓↓ 日光街道 その5はこちら
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