鎌倉街道 街道を歩く その4 歴史を訪ねる シニアの健康ウォーキング 多摩センター→町田

鎌倉街道 街道を歩く その4 歴史を訪ねる シニアの健康ウォーキング 多摩センター→町田 街道ウォーク
Photo by ゆう
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鎌倉街道 その4 多摩センター→町田

鎌倉街道その4は、多摩センター→町田
距離は13,3Km、所要時間3:25時間 14,490歩、消費カロリー995kcal

※画像はクリックすると拡大でご覧いただけます。

※スマホでも読みやすいように、改行が多くなっております。PCでは少々見づらくなっていることをご了承願います。

多摩センター→小野路宿

途中、「多摩モノレール」に乗り換えて多摩センターへ向かいます。全長16km、東京郊外を南北に走り、東大和市と多摩市を結びます。モノレールは地上10m~20mくらいを走りますので眺めが素晴らしい!今日は天気も良く、奥多摩の山並みから富士山まで見渡せます。

「多摩センター」は京王・小田急・モノレールの3路線が乗り入れるターミナル、駅周辺は日本最大級のニュータウン。充実したショッピングセンターと広大な公園、そして「サンリオピューロランド」がありハローキティちゃんに会える「サンリオの街」でもあります。

多摩モノレール
多摩センター

駅構内にサラリーマン時代にお世話になった「カレーショップC&C」がありました!二日酔いの朝に気合を入れるため、ポーク辛口を頂くのが定番でした、結構辛いのですがクセになる味だったな~。朝からカレーが食べられるうちは、まだまだ現役と自負しております。あと何年食べられるのでしょうか…なんて考えながら、本日の街道ウォークのエネルギーチャージ。

カレーショップC&C
モーニングカレーはコロッケと玉子付き

神奈中バスで前回のゴール、恵泉女学園大学まで行き「南野2本ケヤキ」から街道ウォーク出発となります。歩き始めてすぐ「鎌倉古道の道標」があり、近くの山道が古道の本路跡ではないかとの案内があります。

南野2本ケヤキ
鎌倉古道の道標

左方向、雑木林へ続く未舗装の細い道があります。少々不安を感じながら先へ進むと、これぞ古道と呼べる雰囲気の山道が続いていました。足取りも軽く、鎌倉道らしい切通しの道を進み簡易舗装の小路へ出ると「石久保子育地蔵尊」が二股の角にいらっしゃいます。

左の細い道へ進みます
古道らしい雰囲気
石久保子育地蔵尊

その先が、調布の布田宿と小野路をつなぐ布田道の切通し、「関屋の切通し」です。街道の関所があった場所とされ、関屋城砦もあったとされています。新選組、近藤勇らも通いし道と案内にはありました。

先には、なんとも素晴らしい日本の原風景が続き、まさしく日本昔話の世界。心が穏やかになる丘陵に挟まれた里山、保存してくれている地元の方々に感謝です。

関屋の切通し
日本の原風景が

ひっそり佇む「稲荷神社の祠」を過ぎると街道に出て「小野路宿」が始まります。こちらも都心から一時間あまりとは思えない昔懐かしい雰囲気、黒塀が残された街並みが続きます。

稲荷神社の祠
小野路宿
小野路宿略図(交流館資料)

小野路宿は鎌倉街道上道の宿駅として栄え、江戸時代には東海道と甲州街道を結ぶ脇街道や、大山詣り(大山街道)の宿場として賑わいました。

小島家
小野路宿通り

交差点まで歩くと「小野路宿里山交流館」があります。江戸時代の旅籠を改修した、歴史と里山の魅力を伝える交流拠点で、里山散策や小野路宿の歴史探訪の際の休憩所、情報収集の拠点として活用されています。

建物は江戸時代に小野路宿にあった旅籠、旧「角屋(かどや)」を改修・整備したもので当時の建物の風情が残されています。軒先には干し柿、庭先には大根が干されており、子供のころに帰れます。

小野路宿里山交流館 入口
小野路宿里山交流館 庭

お隣の高台には「小野路小野神社」。平安時代中期972年頃、小野篁の七代孫にあたる小野孝泰が、武蔵国の国司としてこの地に赴任。祖先である、平安時代の公卿、学者・歌人として知られる小野篁の霊をこの小野路の地に祀ったことが始まりと伝えられているそうです。

神社に祀られ名前が付けられている歴史上の人物は多いですね。家康・秀吉・信長や楠木正成、明治天皇や桓武天皇、崇徳天皇、乃木大将、東郷平八郎、二宮尊徳、菅原道真など有名人がそろっています。

小野篁は菅原道真の先輩にあたる漢学者といいますから、ここは天満宮のさらに上のクラスの神社ということになるのでしょうか?ありがたや~。朝夕に別当寺清浄院の僧が鐘を撞き旅人に時を知らせたとあります。

小野路小野神社
小野路小野神社 拝殿

小野路宿→町田

小野路宿を後にして、大山道を進みます。途中から旧道に入り突き当りにあるのが「小野路一里塚」。家康の遺骨を日光東照宮に移したときに街道の整備とともに造られたとあります。

町田GIONスタジアムの横を抜けて奥へ進みます。突如山里に現れる高台にあるスタジアムはJリーグクラブ「FC町田ゼルビア」のホームスタジアム。「天空の城 野津田」と呼ばれており、ナイターゲームでは周辺の夜景が非常に美しいことでも知られています。

小野路一里塚
竹林の中を進みます

ドッグランの横から農村伝道神学校方面へ高台を下り住宅街を抜けると芝溝街道に出ますので左折します。すぐ、土地の神様を祀る「地神齋」が立っている交差点がありますので横断して鶴見川へ向かいます。

地神齋
鶴見川 丸山橋

丸山橋を渡り、少々分かりにくい細い路を七国山方面に向かって進むと「伝鎌倉井戸」。鎌倉時代から江戸時代にかけて、軍事や交通の要衝であった七国山を往来する人々や馬の喉を潤したとされる、歴史的な古井戸で町田市の指定史跡です。

ここで、新田義貞の登場です。鎌倉攻めで軍勢を進める途中、この場所に井戸を掘り軍馬に水を与えたという言い伝えがありました。昭和五十年代ごろまで湧水が認められていたそうですが、現在は史跡として残っているだけでした。

伝鎌倉井戸
伝鎌倉井戸

住宅街の小路を下っていくと、まもなく18号線、鎌倉街道の「今井谷戸の交差点」にでます。並行する旧道に入り地神塔を過ぎて、よく整備されたなかよし散歩道を歩いていくと左手が日向山公園が見えてきます。日向橋から先へしばらく進むと左手に宏善寺の山門が見えてきました。

住宅街の中を進みます
今井谷戸の交差点

「宏善寺」は、鎌倉時代に起源を持つ格式高い日蓮宗の古刹、「花の寺」としても知られています。日蓮聖人が鎌倉から佐渡へ配流される途上、この地にあった真言宗の小庵に立ち寄り、日蓮宗に改宗させたという伝説が残されています。

宏善寺 山門
宏善寺 仁王門

仁王門は明治時代に再建された入母屋造の門で、江戸時代中期に制作されたと伝わる金剛力士像が安置されています。四季折々の花が咲き誇る自然豊かな境内で、しだれ梅、桜、紫陽花と参拝者の目を楽しませているそうです。

宏善寺 花の寺
宏善寺 本堂

先の左手には「養雲寺」の山門です。天台宗の時代を経て浄土宗に改宗した経緯を持ち、かつては門前で「六斎市」と呼ばれる定期市が開かれ、地域経済の中心地としても賑わっていた歴史があります。

本堂に祀られている阿弥陀如来(中尊)と両脇侍像(観音菩薩・勢至菩薩)は、室町時代中期の作と推定されており、町田市の有形文化財に指定されています。高台にあるので境内からの「丹沢山系の眺め」が素晴らしかったです。

養雲寺
養雲寺 丹沢山系の眺め

恩田川を渡り鎌倉街道に出ると「菅原神社」の鳥居が見えてきました。みなさんご存じの学問の神様として有名な菅原道真公(天神様)を祀る神社。町田市には菅原道真公を祀る主要な神社が三つあり、この菅原神社は「町田三天神」の一つ。他は町田天満宮、南大谷の天神社。

木の温もりが感じられる美しい社殿の他、境内には、火伏せの愛宕社、水の神様弁天社などがいくつか鎮座しています。

菅原神社 鳥居
菅原神社 拝殿

境内には「井出の沢古戦場」があります。南北朝時代の1335年、鎌倉幕府が滅亡した後、最後の執権「北条高時」の遺児、「北条時行」が、信濃国で挙兵し、鎌倉幕府の再興を目指して南下。

これを足利尊氏の弟である直義が迎え撃ちますが大敗、時行軍はそのまま鎌倉へと進撃。井出の沢の戦い後、勢いに乗った北条時行軍は鎌倉を奪還しましたが、その支配はわずか20日ほどで終わりました。

この地は周辺の平地から一段高くなっており、古くは砦のような城(井出沢城)が築かれていたと推定されています。北側の恩田川なども天然の防衛線として機能しており、軍事的な要衝だった訳ですね。

本日はここまで、小田急の町田駅まで向かい終了です。

井出の沢古戦場
小田急線 町田駅

町田駅周辺には小田急百貨店の他、マルイ、東急ツインズなど大規模な商業施設が多数あり、「西の渋谷」や「西の新宿」とも呼ばれ賑わっている若者にも人気の街。もちろん、小田急ロマンスカー停車駅です。

今回の街道歩きは里山歩きと宿場の雰囲気が味わえる充実のコース。いざ鎌倉!という勇ましい雰囲気はなく、日本人が忘れかけていた大切な事や物を思い起こさせてくれる価値ある時間を過ごすことができました。

所沢を出発して、鎌倉まで約半分くらいまで歩いたことになります。次回からは後半戦、神奈川県に入り大和市方面へ向かいます。

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