鎌倉街道 その6 大和→ゆめが丘
鎌倉街道その6は、大和→ゆめが丘
距離は15,6Km、所要時間4:17時間 21,275歩、消費カロリー1,025kcal
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大和→上飯田
前回ゴール瀬谷駅のお隣、小田急江ノ島線「大和駅」からスタート。相鉄線も乗り入れており、都心や横浜へのアクセスが便利な活気ある街。相鉄線沿いに進み、図書館・ホール・生涯学習センターの複合施設「シリウス」前を通過して街道方向へ向かいます。
住宅街を進むと延喜式内相模十三社「深見神社」の案内板が見えてきました。
凛とした空気が漂う参道と鳥居、横にある1791年建立の「相模國十三座之内深見神社」と記された社号標は、大和市の重要文化財に指定されていました。推定樹齢500年、社殿横の天然記念物「ハルニレ」も見事。
深見神社は485年創祀とされる古社で、領主であった坂本氏が鹿島神宮を勧請したという伝承から、「鹿島社」とも呼ばれてきたそうです。主な祭神は闇龗神(くらおかみのかみ)、武甕槌神(たけみかづちのかみ)、建御名方神(たけみなかたのかみ)などオールスター。武運長久、勝利をもたらす神として信仰されており、源頼朝も崇敬したと伝えられています。
引き続き相鉄線沿いに進み、境川に架かる鹿島橋を超えて右折。先の三叉路のど真ん中に石塔が見えてきました。交通の妨げと思われる危ない状況の石塔は「地神塔」でした。ここまでして、守らなければいけないものもある!地域住民の動かせない気持ちも分かります、利便性が全てではありませんよね。
街道左手には瀬谷山「寳藏寺」の石柱、参道を進みます。こちらは、高野山真言宗の寺院で別称は瀬谷山不動院、本尊は大聖不動明王。境内には天満宮、弁財天を奉安したお堂もあります。
また、神奈川・静岡の両県に渡る「ぼけ封じ富士見楽寿十ヶ所観音霊場」の5番霊場でもあります。しっかり観音様にお願いして先へ進みます。
厚木街道を渡って緩やかな坂道の先、左手に「西福寺」が見えてきました。創建1534年の真言宗豊山派の寺院、大きくはありませんが、本堂と境内の落ち着いた雰囲気は心が和みます。
本尊は不動明王、福徳円満の神様として親しまれている布袋尊も瀬谷八福神として祀られています。寺名の由来かつて、極楽浄土があるとされる西を正面として境内の地形が扇状に広がっていたことから、「西福寺」と名付けられたと言われています。樹齢千年以上の椎の木も必見。
お隣は地域特有の民間信仰と深いつながりを持つ神社「左馬社」、読み方はさばしゃ、さましゃとも。祭神は源義朝、名前の由来については、「左馬頭(さまのかみ)」という役職に由来するという説や、源義朝公の霊を祀ったという伝承もあります。
義朝はあの源頼朝・義経の父、坂東武士団をまとめ上げた武将。保元の乱で後白河方として勝利しましたが、平治の乱で平清盛に敗れます。その後の清盛と頼朝の対決はみなさんご存じのとおり、参拝にも力が入ります。
また、「七サバ神社」と呼ばれるうちの一つ。境川の流域に点在する「サバ」と名の付く神社(左馬、佐波、佐婆、鯖など)を巡る「七サバ参り」または「サバ参り」という厄除けの民間信仰の一社です。
先ほどの西福寺が別当でした。神仏習合の姿が残っており境内には梵鐘があります。1861年に鋳造されましたが太平洋戦争で供出したため、1957年に氏子の協力で新たに再鋳造されたもの。神社の境内にある吊鐘は区内唯一のものとあります。
街道沿いある「道祖神・地神塔・庚申塔」を目印に二股を右方向へ、住宅街を進みば中原街道です。中原往還は小田原北条氏が支配していた頃の街道。徳川家康が中原(平塚)に御殿を建てたため、整備されたものです。
街道沿いの立派な山門は日蓮宗白東山「宗川寺」。江戸時代には、中原街道の重要な中継地点である「問屋場」が東方に置かれており、交通の要衝として栄えていた地域。瀬谷の問屋場は江戸と中原間5駅の中宿で栄えたそうです。
創建1625年、 地元の住人であった石川宗川の篤い信仰心に、北山本門寺第12世日賢上人が感銘を受け、「題目堂」として開山されたのが始まりとされています。
瀬谷八福神の一つ、福禄寿も祀られています。境内の山門脇には、夫婦銀杏と呼ばれる大きなイチョウの木があります。古くから安産や育児の信仰を集めてきたとされています。「横浜の銘木」にも指定されており、秋の紅葉はさぞかし見事なことでしょうね。
中原街道を横断し住宅街を進み相沢川を過ぎると現れる大きな道路は環状四号線。歩道橋を渡った先には「全通院勢至堂」の石柱と石塔群です。
急な階段を上ると本堂が見えてきます。曹洞宗の寺院で、瀬谷山徳善寺別院として、その名の通り勢至菩薩を祀っています。 創建年代は不詳ですが、当初は阿弥陀堂として建立されました。
本尊の勢至菩薩像には、面白い伝承が。江戸時代の寛永年間頃、隣の大和市深見村の中丸左源太が夢のお告げにより、鹿島神社の旧跡から勢至菩薩像を発掘したと伝えられています。その菩薩像がこのお堂に移され、お堂は「勢至堂」と呼ばれるようになったとか。
この勢至菩薩は「智慧さずけのお勢至さま」として、人々の信仰を集めています。また、瀬谷八福神めぐりの一つとして、寿老人も祀られていました。境内には「横浜市の名木古木」に指定されている藤の大樹があり見事な花を咲かせるそうです。
住宅街を少し離れて、のどかな田園風景を見ながらの街道歩きが続きます。地名である「柳明」に由来する、大変由緒ある神社「柳明神社」に到着です。「柳明」は江戸時代からあるこの地の小字。
この場所には、鎌倉郡観音二十四番札所の一つ「大石寺」というお寺がありましたが、明治時代初期に廃寺となります。村境の伊勢山に祀られていた神明社(お伊勢宮)を跡地に遷座したのが、現在の柳明神社の始まりとされています。神仏習合の歴史を持ち、廃寺となった寺院の跡地に遷座、興味深い由緒を持つ神社ですね。
廃寺となったとき本尊の観音像を阿久和村の寺院に預けましたが、その後、村に不幸が続きます。そのため、境内に観音堂を建てて観音像が再び安置、境内社として「観音堂」があります。
上飯田→ゆめが丘
趣のある街道が続きますが、昔はこのあたり商家が立ち並び栄えていたようです。東海道新幹線の高架をくぐった先、右手には大きな団地が拡がります。左手の階段の先は「本興寺」の境内となります。
「本興寺」は、日蓮宗の本山で日蓮の孫弟子にあたる日什上人を開祖とする宗派の流れ、日什門流八別格本山の一つに数えられています。山門の石柱に大きく本山と刻まれています。
山門から参道を進むと1785年建立の真っ赤な仁王門が迎えてくれます。本堂の欄間もすばらしく境内には桃や桜がありますので春にも訪れてみたいですね。広大な墓地の中には鐘楼や大きな石造りの五重塔も見ることが出来ました。
現在本興寺のある飯田は、1282年に日蓮大聖人が池上でご入滅後、ご遺骨を身延に奉じる途中ご一泊された地と伝えられています。
続いて、「いちょう団地」の中をのんびり歩いていくと、ベトナム料理のお店が点在し古き良き昭和の雰囲気も漂っています。上飯田西公園を過ぎると左手が「飯田神社」で、先ほどの「左馬社」とも関係が深く、境川沿いの歴史と信仰の中心地にある神社です。
別称は飯田大明神、鯖明神(サバ神)。祭神は左馬頭源義朝を主神に大山咋大神、宇迦之御魂大神です。地元の伝承では、源義朝の家臣である飯田五郎家義がお祀りしたことに由来すると伝えられています。
縄文時代、境川沿いは入り海。土手からは縄文時代後期の人々が使った注口土器が出土しており、この地が非常に古い時代から人々の生活の場であったことを物語っています。
今回のルートは古道らしく神社仏閣が多く、続いて左手には「神明神社」が鎮座、天照大神が祀られています。
住宅街を進むと大きな銀杏の木が見えてきます。「無量寺」は、静かな環境の中にあり、地域の人々に長く信仰されてきた浄土宗のお寺。本尊は阿弥陀如来像。江戸時代の地誌『新編相模風土記稿』にも記載されている古い寺院です。
鎌倉安養院の深誉呑霊上人が開創と伝えられています。ご本尊の阿弥陀如来像は、1702年に鎌倉の仏師、後藤左近によって作られたと伝えられています。浄土宗の寺院名に多い「無量」は、阿弥陀如来の別名である「無量寿仏」(無限の寿命を持つ仏)や「無量光仏」(無限の光明を持つ仏)に由来、極楽浄土の教えを象徴しています。
すこし先には、「三柱神社」です。その名の通り「三つの神社」が合祀されたことで成立した、比較的新しい神社ですが、祀られている神様は古くからこの地域を見守ってきた鎮守様たち。
御祭神は食物と五穀豊穣の神「豊受姫命」(稲荷社)、山や農耕の守護神「大山咋命」(山王社)、学問の神様「菅原道真公」(天神社)。創建は大正元年12月に三社を合祀、五穀豊穣、学問、厄除けなど、多様なご利益を併せ持つ神社となっています。
境内には「蚕霊神鎮座」と刻まれた碑が立っています。これは、かつて泉区一帯で盛んだった養蚕農家が、蚕の霊を慰めるために建てた供養塔です。地域の産業の歴史を伝える重要な史跡です。
養蚕で栄えた地区だけあって、古道沿いに大きな旧家が続きます。やはり門がある家屋は趣があります、長屋門も立派。農園直売所の右手へ進むと小川と田んぼの中をいい感じの古道が残っています。
民家の脇の細い道の先にはひっそり佇む「日枝社」。御祭神である大山咋命は、全国の日枝神社・日吉神社で祀られる神様で、山王様として親しまれています。古くから農業・土地の守護神として、また、方除けや厄除けの神様として、地域の人々の生活を見守ってきました。
日枝社の境内やその手前には、石の鳥居や赤い稲荷社(稲荷神)、そして馬頭観音(ばとうかんのん)などが並んで祀られています。
田園風景の先左手に大きな長屋門、「美濃口家長屋門」です。江戸時代に上飯田村の名主を代々務めた旧家です。当時の農村の支配層の暮らしぶりを伝えています。美濃口春鴻は江戸中期の相模を代表する俳人でもありました。長老として大磯にある鴫立庵の後見もしています。
白い漆喰壁と、どっしりとした重厚な木造の造りが特徴の長屋門。門の両側に部屋がある造りのことで、かつては使用人の住居や物置として使われていました。
前回に続き、本日もロングウォークでしたが間もなくゴール。最後に今回何度も登場している「左間神社」に立ち寄ります。境内は「風致保安林」に指定されており、大きな樹木が立ち並ぶ、非常に静かで落ち着いた雰囲気。拝殿は珍しい朱塗りの拝殿が印象的な神社です。
あとひと踏ん張り、相鉄いずみ野線「ゆめが丘」の駅が見えてきました。初めて訪れる駅、鉄骨とガラスを多用した曲面的なデザインが特徴の近未来的な雰囲気です。「関東の駅百選」にも選ばれているそうです。
旧街道沿いには、移設が出来ないため神社仏閣が残っているのが魅力の一つで歴史を自分の足で感じることが出来ます。今回のルートは特に神社仏閣が多く往時を偲ぶことができました。いよいよ、この先鎌倉まで先が見えてきました。次回、7回目は藤沢方面を目指して進みます。






















































