鎌倉街道その9は、北鎌倉→鎌倉
距離は18,6Km、所要時間5:40時間 24,262歩、消費カロリー1789kcal
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北鎌倉(円覚寺)→荏原天神社
前回は湘南モノレールの湘南藤沢駅から化粧坂を超え鶴岡八幡宮までのウォーク、鎌倉街道歩きは埼玉県の所沢から全8回で無事ゴールとなりました。幕府があった鎌倉はご存じの通り、頼朝からはじまり北条氏、室町・南北朝時代には足利幕府の鎌倉公方が置かれた歴史ある街。由緒ある神社仏閣も数多く残っています。
そこで、鎌倉街道歩きの番外編として市内の神社仏閣を訪ねようと思います。数も多いので厳選して2回に分けて巡ります、今回は北鎌倉から報国寺までの11か所を巡ります、もちろんすべてウォーク🚶♀️➡️で。
円覚寺 鎌倉五山 第二位
横須賀線「北鎌倉駅」で下車、駅前に位置する「円覚寺」からスタート。今日は6月の土曜日、あじさいの時期ということもあり観光地としての鎌倉は駅も参道も満員御礼状態です。
東口をでると、すぐに「寺標が見え総門」に向かいます。 鎌倉時代の1282年、鎌倉幕府第8代執権の北条時宗によって創建。時宗が深く帰依していた中国の高僧、無学祖元を招いて開山、国家の鎮護と禅の普及、そして何より元寇による戦死者を、敵味方の区別なく平等に弔うために建てられました。

元寇といえば、教科書に出てきた黒い球体が炸裂している蒙古襲来の絵巻物が目に焼き付いています。あの時代、国を守るために防戦すさまじく戦った武士には頭が下がります。しっかりお参りしましょう。
鎌倉五山の第二位に列せられる名刹、階段の先には「山門」。山門(三門)は三解脱(空・無相・無願)を象徴するといわれる仏殿へ至る門、その先には仏殿が迎えてくれます。本尊の「宝冠釈迦如来」が祀られており、天井の「白龍図」が非常に印象的で迫力があります。
奥へ進むと左手には「妙香池」、その先左奥には「国宝の舎利殿」があります。子供の頃30円切手の図柄にもなっていたので馴染みの建物なのですが、現在は残念ながら非公開で入口までとなっています。
そのほか、 「方丈への唐門」、北条貞時が寄進した関東最大の梵鐘、洪鐘など広大な境内は見どころは沢山。奥へ進むほど徐々に登っていく感じがいい雰囲気で、歩いていて気持ちがいいです。
また、夏目漱石の小説「門」の舞台にもなっており、主人公の宗助が煩悩を断ち切り、悟りの門を開こうと駆け込む寺としても登場します。「三四郎」「それから」より続く初期三部作の最終章の「門」は読まれた方も多いのではないでしょうか?再読してから訪れるのも楽しいと思います。
浄智寺 鎌倉五山 第四位
総門を出て横須賀線の踏切を渡り線路沿いに進みます。すぐ右手には北条時宗の夫人、覚山志道尼によって開創された「東慶寺」が見えてきます。夫の時宗を弔うとともに、女性の救済を目的として建てられた尼寺。三門が新築工事中でした。
さらに街道を少し進んだ場所にある「浄智寺」は、鎌倉五山の第四位に列せられる格式高い禅寺。円覚寺派に属しており、非常に静かで趣のある佇まいが魅力。1281年、鎌倉幕府第5代執権・北条時頼の三男である北条宗政が亡くなった際、その菩提を弔うために、妻と兄の北条時宗らによって創建されました。
参道入口の苔むした石橋の横には「鎌倉十井」の一つに数えられる名水「甘露ノ井」。その先、「鎌倉石が使われた参道」が続き、「鐘楼門」が迎えてくれます。上層が鐘楼になっており、1340年の銘がある銅鐘が吊るされているそうです。この参道の静けさは癒されますね。
本堂の「曇華殿」に安置されている「三世仏坐像」が素晴らしい、向かって「左から阿弥陀・釈迦・弥勒如来」で、それぞれ過去・現在・未来を象徴しています。

奥へ進むと鎌倉江の島七福神の一つである布袋様の石像が、やぐらの中に祀られています。なかなかユーモラスなお顔で、お腹はみんなから撫でられてピカピカでした。私もしっかり、ナデナデさせていただき次へ急ぎます。
明月院 あじさい寺
浄智寺から線路を渡り左右のカフェを見ながら小川沿いの明月院通りを進み、程なく総門前に到着。1160年頃、平治の乱で亡くなったこの地の武将、山内首藤俊通を供養するため、子の経俊が「明月庵」を建てたのが始まりとされています。
鎌倉幕府の第5代執権・北条時頼が建立した「最明寺」を前身とし、北条氏とも非常に深い関わりがあります。「明月院」は、「あじさい寺」として知られていて、 境内に植えられた約2,500株の「ヒメアジサイ」が一斉に青く染まる光景は圧巻。その澄んだ青色は「明月院ブルー」と呼ばれています。
両脇からあじさいがせり出した、花のトンネルは見事なんですが、シーズン真っただ中の土曜日ですからあじさいより人の方が多い状態。本堂にある円窓は「悟りの窓」と呼ばれ、明月院のシンボル。窓越しに見える奥の庭園は、まるで一幅の絵画のような美しさと言われています。さすがに今日は撮影の列も長蛇で30分以上待ちそうなので、後ろの方からパチリと。今日は先を急ぐことにしましょう。
長寿禅寺 諸山第一位 足利尊氏ゆかりの寺
室町幕府の初代将軍、足利尊氏が邸内に創建。尊氏の菩提を弔うために、息子の足利基氏(初代鎌倉公方)堂宇を建立したと伝えられています。「長寿禅寺」は尊氏の戒名長寿寺殿に由来するもの。以前は非公開でしたが、現在は春(4月~6月)と秋(10月~11月)の、金・土・日・祝日(雨天中止)のみ特別に拝観することができます。今日は拝観可能日でラッキーでした。
美しい苔庭と書院は必見、 書院から眺める庭園は鎌倉でも屈指の美しさでしょう。黙って庭を眺めているだけで身も心も整うようです、軸も見事です。本堂には本尊の「釈迦如来」が鎮座し右手には足利尊氏像が。観音堂には聖観音像が祀られています。奥へ進むとやぐらに、尊氏の遺髪が納められたといわれる墓(五輪塔)があります。
また、横の道を進むと「亀ヶ谷坂切通し」となります。 以前超えてきた化粧坂同様、鎌倉七口の一つで北鎌倉(山ノ内)と扇ガ谷を結ぶ重要な路。あまりの急坂に、亀も引き返したことから「亀返坂」と呼ばれ、それが「亀ヶ谷」に転じたという説があるそうです。
建長寺 鎌倉五山 第一位
街道へ戻り、前方右手に「第六天社」を見て進むと、鎌倉五山の第一位であり、日本初の本格的な禅寺として知られる「建長寺」の「天下門」が見えてきました。亀ヶ谷坂を下りきった先に現れるその広大な境内は、まさに鎌倉禅宗の頂点にふさわしい威厳に満ちています。これぞ別世界!広大な境内には鎌倉学園中学校、高等学校があり、サザンの桑田さんはこちらの出身です。
鎌倉時代の1253年、第5代執権・北条時頼によって創建され、蘭渓道隆(大覚禅師)が初代住職を務めました。総門で拝観受付を済ませて奥へ進むと、後深草天皇直筆といわれる「建長興国禅寺」の見事な扁額の「三門」が目の前に、思わず立ち止まって動けなくなるほどの迫力。

上野の国で一夜の宿を乞うた旅僧(実は時頼)に老夫婦が秘蔵の鉢植えの梅・桜・松などを惜しげもなく炉にくべて暖を取ってくれた「鉢の木の話」は有名だと思いますが、ほかにも「狸の三門」という伝説もあります。
寺から残飯などをもらっていた古狸、再建の際、恩義を感じて僧に化けて寄付を集めて回ったという話です。義理堅い狸が寄付を求めて回るという話は少々悲しい結末なのですが、それだけ山門の再建には相当な苦労があったということですね。
重要文化財である法堂の天井には、日本画家・小泉淳作による巨大な「雲龍図」が描かれています。今にも降りてきそうな迫力、一方で本尊の「千寿観音」の優しいお顔は対照的、この場にいると不思議と優しい気持ちになります、悟りが開けたかも。。。
東京の芝増上寺から移築された、方丈の正門として使用されている国宝の唐門は桃山風唐破風。金箔の細かな装飾が美しく、建長寺の中でも華やかな意匠を誇っています。
仏殿の前には、開山の蘭渓道隆が中国から持ってきた種子を創建の際にまいたと伝わる「樹齢約760年のビャクシン」が並び、歴史の深さを感じさせてくれます。非常に広い境内をもつ建長寺、さらに奥にある、というか山の上にある「半僧坊」、鎌倉の街を一望できる絶景を楽しむこともできるそうなので、ここは気合で足を伸ばしてみたいと思います。
参道の鳥居の先、階段をのぼって進みます。30分弱掛かりましたがようやく頂上が見えてきました、半僧坊大権現に仕える「多くの天狗様」がいらっしゃいます。さすが、ここまでくると眺めも最高、来たかいがありました。天狗様の肩越しに見る相模湾、貴重なありがたい体験です。

半僧坊は建長寺の守り神として、明治時代、当時の建長寺の住職が「半僧坊大権現」という霊験あらたかな神様を勧請したのが始まり。半僧坊大権現は天狗の姿をして現れたと伝えられており、天狗たちの姿は圧倒的な迫力がありました。
圓應寺 閻魔様のお寺
建長寺の向かい側に見える階段の先、閻魔様を祀る「圓應寺」は1250年の創建。 当初は海岸近くの由比ヶ浜にありましたが、江戸時代に現在の建長寺の向かい側(山ノ内)へと移築されました 。
本尊は、亡くなった人が冥界で出会う「十王」のうちの一人、閻魔大王 。鎌倉時代から「閻魔様のお寺」として庶民の信仰を集めてきました 。本堂には、閻魔大王を中心に、人が亡くなった後の49日間、7日ごとに裁きを下す10人の王(十王)の像が並んでいます 。

それぞれの王がどのような役割を持っているのかを説明書きを読みながら拝観できます。まるで死後の世界を予行演習しているかのような厳粛な気持ちになります 。本尊の閻魔大王坐像は、運慶の作という伝承があり、その表情が怒っているようにも、どこか笑っているようにも見えることから「笑い閻魔」と呼ばれているとか。
荏柄天神社→報国寺
荏原天神社 日本三古天神
圓應寺を後にして「巨福呂坂洞門」から鶴岡八幡宮方面へ向かいます。アーチ状の落石防護施設のお陰で、現在は安心して通り抜けることが出来ますね。巨福呂坂は現在通り抜け出来ませんが、山の尾根を越えて建長寺の前へ至る道は鎌倉七切通の一つ。新田義貞の鎌倉攻めでは、堀口貞満を大将とする軍がここを破って鎌倉に攻め入っています。
洞門を抜けて坂を下っていくと左手に丸山稲荷の手水舎があります。こちらから入って鶴岡八幡宮の前を抜けて、「大蔵幕府跡碑」方面へ向かいます。八幡宮は前回訪ねたので今回は一礼して失礼します。
鎌倉宮の案内看板、左手に清泉小学校を見て先へ進みます。この辺りは風情がある小路で気持ちよく歩けます。「東御門の碑」を過ぎると「荏柄天神社の社号標」が見えてきました。「ビャクシンの木2本」が交差して鳥居の様相を良い感じで醸し出しています。
朱塗りの鳥居の先に階段、そして神門、先には鮮やかな朱塗りの社殿が現れます。日本三古天神の一つに数えられる荏柄天神社は源頼朝が仰いだ「鬼門の守護神」、 創建は1104年ですから、頼朝が鎌倉に入るよりもずっと前からこの地に祀られていたわけです。ご神木の大銀杏は樹齢900年とか。

日本三古天神、あと二か所は福岡の太宰府天満宮、京都の北野天満宮で 御祭神は菅原道真公。 学問の神様として有名ですが、鎌倉時代には「正直者の神」としても武士たちの信仰を集めまたそうです。
鎌倉宮 大塔宮(護良親王)
荏柄天神社から東へ数分歩くと、見たことがない真っ白な鳥居が見えてきました。本日の8番目の訪問先、鎌倉幕府が滅亡へと向かう後醍醐天皇による建武の新政の悲劇の舞台となる「鎌倉宮」、通称「大塔宮」に到着。
主祭神は、後醍醐天皇の皇子であり、倒幕の立役者の一人である護良親王です。足利尊氏らと共に鎌倉幕府を倒した文武両道の英雄でしたが、倒幕後は足利尊氏と対立。この地にあった東光寺の土牢に幽閉され、最後は足利直義(尊氏の弟)の命により、28歳の若さで暗殺されるという非業の最期を迎えられました。
鎌倉宮は1869年に明治天皇によって創建されました。「建武の中興」に尽力した親王の忠義を称えるためです。また、境内には親王の身の回りのお世話をされた持明院南御方をご祭神とする南方社、親王の身代わりとなって戦った村上義光公をご祭神とする「村上社」があり、身代わりさまと呼ばれる木造がいらっしゃいました。
更に、拝観入り口から奥へ進むと「土牢跡」、明治天皇御在所の「宝物殿」があり、乃木希典、勝海舟、山岡鉄舟、山本五十六、伊藤博文の書など貴重な資料が残されています。
杉本寺 鎌倉最古の寺
鎌倉駅の方へ少し戻って金沢街道沿いを二階堂方面へ進みます。左手に見えてくる階段が「鎌倉最古の寺」として知られ重厚な雰囲気が漂っている「杉本寺」です。奈良時代の734年に行基によって創建されたと伝えられていますので、鎌倉幕府が成立する約450年も前からこの地に存在していることになります。
茅葺き屋根の歴史を感じさせる「山門」には、鎌倉時代の名仏師・運慶が彫ったと伝えられる迫力ある「仁王像」が鎮座し、参拝者を迎えてくれます。
杉本寺のシンボルとも言えるのが、鎌倉石で造られた「苔の階段」です。長い年月の間にすり減り、青々と苔むしたその姿は非常に幻想的で、まさに「歴史が眠る場所」という風情があります。先日テレビ番組でも取り上げられていましたが、苔の専門家が管理監修もされているそうです。現在は苔の保護のため通行は禁止されており、横にある新しい階段から本堂へ向かいます。
階段を登りきった場所にある本堂は、素朴ながらも威厳のある茅葺き屋根が特徴。本堂の中には、それぞれ異なる時代に作られた3体の十一面観音が安置されています。本堂内は靴を脱いで上がることができ、間近で時代を経た神々しい観音様のお姿を拝観することが可能です。
浄明寺 鎌倉五山 第五位
杉本寺から街道を進むと報国寺の交差点、すぐ先に位置するのが浄妙寺です。 臨済宗建長寺派の寺院で、室町時代に定められた鎌倉五山の第5位に列せられています。
1188年、源頼朝の重臣であり足利氏の祖である足利義兼によって創建されました。足利家にとって非常に重要な菩提寺であり、境内裏手には足利氏の墓所もあります。
堂々とした本堂は銅板葺きの大きな屋根が特徴的で、中央が少し膨らんだ「起(むく)り」と呼ばれる珍しい形状をしています。中には本尊の釈迦如来坐像が安置されています。 茶室「喜泉庵」では、美しい枯山水庭園を眺めながらお抹茶と季節の和菓子をいただくことができます。
報国寺 竹の寺
街道に戻り、本日最後に訪ねるのは「竹の寺」として世界的に有名な「報国寺」です。1334年、足利尊氏の祖父・足利家時が開基となり、天岸慧広(てんがんえこう)を開山として創建されました。
鎌倉公方(足利氏)の菩提寺でしたが、1438年の「永享の乱」で将軍義教、関東管領上杉憲実に敗れた鎌倉公方・足利持氏の子、義久がこの寺で自害し、鎌倉足利氏は滅亡へ。華やかな竹林の奥には、そんな哀しい歴史も眠っています。
本堂の裏手に広がる約2,000本の孟宗竹の竹林は圧巻です。 一歩足を踏み入れると、外の音が遮断され、竹の葉が擦れ合う音だけが聞こえる異空間が広がります。 木漏れ日が竹の節を照らす様子は、まさに「静寂を形にしたような」美しさ。
竹林のさらに奥の岩肌には、鎌倉特有の横穴式墳墓「やぐら」があります。 ここには足利家時や、悲劇の最後を遂げた義久公の墓が祀られており、禅寺としての厳格な雰囲気を感じさせます。

北鎌倉からの神社仏閣巡りも本日はこちらで終了、報国寺入り口のバス停から鎌倉駅へ向かいます。もう少し回りたかったのですが時間切れ、あとは次回へ持ち越しとなります。最終回となる10回目は、今回予定していましたが行けなかった、北条氏歴代執権の屋敷があった宝戒寺からスタート。鎌倉幕府終焉の地北条高時腹切りやぐらから大町方面、江ノ電に乗り長谷、極楽寺、稲村ケ崎方面へ向かいたいと思います。




























































