日光街道 街道を歩く その1 歴史を訪ねる シニアの健康ウォーキング 日本橋→南千住

日光街道 街道を歩く その1 歴史を訪ねる シニアの健康ウォーキング 日本橋→南千住 街道ウォーク
photo by ゆう
スポンサーリンク

日光街道 その1 日本橋→南千住

日光街道その1は、日本橋→南千住を歩きます。
距離は18,2Km、所要時間は4:50時間 23027歩、消費カロリー2245kcal

※画像はクリックすると拡大でご覧いただけます。

※スマホでも読みやすいように、改行が多くなっております。PCでは少々見づらくなっていることをご了承願います。

日本橋→蔵前

甲州街道、中山道、東海道のシーズン1に続き「日光街道」スタートです。

昨年秋からスタートして冬空の下歩いた東海道、そして季節は春に向けて進行中。街道沿いの早咲きの桜を愛でながら日光街道を北へ向かいます。

起点となる「日本橋」に立つのも4回目。いつもは欄干の彫刻の美しさに目を奪われていたのですが、今日は視点を変えて橋の脇から階段を降りて眺めてみました。横から見る美しいアーチも風格を感じるところがお江戸日本橋。

出発前に「三越」の向かい側、前から気になっているお店「八木長本店」に立ち寄ることにします。八代将軍吉宗の頃、1737年創業、鰹節など各種だしが揃う老舗。

店内では東・西・野菜の出汁3種類が試飲できるのでお勧めです。にぼしや野菜のだしと「かつおせんべい」を仕入れて出発。

日本橋
三越
八木長本店

日光街道は三越の前を進みますが、すぐ先の「室町三丁目南の交差点」を右折します。すぐ右手奥にあるのが、家康公も参詣された「福徳神社」。芽吹稲荷とも呼ばれ、真赤な鳥居が印象的です。

主祭神は倉稲魂命(うかのみたまのみこと)、五穀主宰の神様。秀忠公も福徳とは、まことにめでたい神号であると称賛されたとあります。江戸時代は富くじの興行地でもあったことから、宝くじ当選祈願の人でも賑わっています。若い方が多いと思ったらコンサートチケットの当選祈願でした。

室町三丁目南の交差点を右折
福徳神社 鳥居
福徳神社 拝殿

誠実で親切な馬込家の召使だった於竹さん。羽黒山のお告げによれば、大日如来の化身であるとのこと。その於竹さんが愛用していたという「於竹大日如来井戸跡」がすぐ先にあります。この辺り、今でも老舗が多いのは江戸時代の名主であった譜代の家臣「馬込勘解由」が家康公ゆかりの地より商人を集めたからとあります。

繁栄は一朝一夕にあるものではありません、いつの世もリーダーの存在は大切だと思います。多様性の時代だからこそ、まとめる立場の人も必要だと思うのですが、何かと要求や文句が多い世の中になってしまいました。今まで以上に利他の精神が問われますね、頑張れリーダー。

物資の集散地、商売発祥の地とし、大いに賑わった歴史があり、鎮守様として「宝田恵比寿神社」が祀られています。商家にとって大切な行事であった「べったら市」「恵比寿神祭」が今でも盛大に執り行われています。江戸名物の大根の麴漬け「べったら漬け」は、我が家の食卓でも人気者。

ここで、街道を少し離れて人形町方面に向かい「椙森神社」を目指します。創建は古く平安時代に平将門の乱を鎮めるため藤原秀郷が戦勝祈願をしたところとあります。江戸城下の三森(烏森・柳森・椙森)の一つに数えられています。

於竹大日如来井戸跡
宝田恵比寿神社
椙森神社 鳥居

こちらも当たりくじの富興行が行われ、大いに人々を楽しませた場所。境内には「富塚の碑」が立っています。富くじといえば時代劇にも登場しますね、箱の中に入ってる木札を長いキリのようなもので突くシーンが印象的です。

福徳神社に続いて、こちらも参拝したわけですから今日は宝くじを買ってみましょう。なんでも9月2日がくじの日、10月3日がとみの日ということで御朱印を頂くとご利益がありそうです。

椙森神社 拝殿
椙森神社 手水鉢と冨塚の碑

「小伝馬町」まで戻ります。「大安楽寺」は江戸伝馬町処刑場跡で供養の為の延命地蔵菩薩があります。伝馬町牢屋敷跡の十思公園にはこの地で処刑された「吉田松陰の碑」、「石町時の鐘」があります。

処刑もこの鐘の音を合図に執行されたのですが、延命を祈るかのように遅れることもあり、情けの鐘とも言い伝えられているそうです。

衣類繊維問屋が多く並ぶ馬喰町に向かって歩いていくと、右手に「サカゼン本店」の看板が目に入ってきます。直輸入で安くてお得と聞いてアルマーニのスーツをチェックしに来たことを思い出しました。ずいぶん昔、若かりし頃の話ですが、当時はみんなミラノスタイルのソフトスーツに憧れがあったものです。

馬喰町の交差点を過ぎれば、右が隅田川と両国橋、まっすぐ進めば神田川と浅草橋、浅草橋へ向かいます。

小伝馬町 交差点
大安楽寺
石町時の鐘

橋の手前に年貢の徴収・治水・領民紛争の処理などを行った「関東郡代屋敷跡」の解説ボードがあります。浅草橋からは神田川にずらりと並ぶ「屋形船」の景観が見事。揚げたての江戸前の天ぷらを肴に一杯やりながら、東京湾の景色を楽しめる屋形船は情緒があってお勧めです。

貸し切りも出来るので会社の暑気払いや同窓会なども楽しいですね。途中、おみやげ専用船なるものが海賊船のように船を横付けしてくるのにはビックリしました。また機会があれば利用したいです。

橋を渡ると浅草橋公園、「浅草見附跡」があります。浅草観音への道筋にあたるこの浅草御門は、江戸防衛の要で江戸三十六門の一つ。警護の人が配置され浅草見附とも呼ばれました。

関東郡代屋敷跡
屋形船
浅草見附跡

総武線の浅草橋駅を過ぎて一本裏の通りへ入ると「銀杏岡八幡神社」、境内には衣食住をつかさどる神様を祀る此葉稲荷もあります。

八幡太郎義家公が奥州平定へ向かう際にこの地に立寄られ、隅田川の川上から流れてきた銀杏の枝を丘の上に刺したて朝敵退治を祈願。奥州から戻ると銀杏の枝は大きく繁茂しており、御神意に感謝し太刀一振を捧げ八幡宮を勧請との由緒。

銀杏岡八幡神社
シャレた御朱印

街道沿いには、600年創建といわれる、江戸時代には団子天王社と呼ばれていた「須賀神社」です。道路を挟んで少し入ると「第六天榊神社」、榊皇大神である第六天魔王が祀られています。境内には芸能の神様を祀る七福稲荷神社、明治時代の公立図書館である、浅草文庫跡碑もあります。

須賀神社
第六天榊神社

蔵前一丁目の交差点脇には「天文台跡」があり、北斎の「鳥越の不二」にも描かれていること、伊能忠敬の師である高橋至時らが寛政の改暦に際して観測した場所との案内ボードがあります。今も昔も暦は大切な物、天文方は世襲制であったことからも、要職であったことがうかがえます。

交差点を蔵前橋と反対方向へ歩いていくと右手に「鳥越神社」の鳥居が見えてきます。こちらも源義家が登場します。この地を通り、名も知らぬ鳥が越えるのを見て浅瀬を知り大川を渡ったということから、祀られていた白鳥明神を鳥越大明神と名付け、神社名も鳥越の名を用いるようになったとあります。

天文台跡
鳥越神社 鳥居
鳥越神社 拝殿

蔵前→南千住

街道にもどり蔵前一丁目の交差点を渡り蔵前橋へ向かいます。左手に少し奥にある「楫取稲荷神社」(かじとり)。米蔵造営の石を運搬する船が遠州灘で度々遭難していましたが、稲荷の示現を得てより後は、航海の安全を得ることが出来たとあります。その神徳に感謝して創建された神社。

蔵前橋手前には「浅草御蔵跡碑」があります。浅草御蔵は天領からの年貢米などを保管した倉、大阪、京都二条の御蔵とあわせて三御蔵といわれる重要なものであったそうです。

今で言えば公務員の給料を保管している場所ですから、その重要度がうかがえます。蔵前という地名の謎が解けました。

楫取稲荷神社
浅草御蔵跡碑
蔵前橋

隅田川を走る水上バス、後ろに聳えるスカイツリー、すっかり東京らしい風景として定着しましたね。隅田川デッキに降りると川面はすぐ目の前、蔵前橋の横からの姿も素敵です。

水上バスとスカイツリー
蔵前橋

デッキから上って通りに戻ると、「首尾の松跡」です。首尾は上々といいますが、何の首尾かは諸説あるようです。

街道に戻り厩橋方面に歩いて一本裏通りに入ると「蔵前神社」。すごい人です。美しい黄色が華やかなミモザが咲き始め、早咲きの桜と相まって人気のスポットとして知られているようです。黄色とピンクが織りなす美しい光景は一見の価値あり。

五代将軍綱吉公が、京都、男山の石清水八幡宮を勧請したもの、江戸城の鬼門除けの守護神、徳川将軍家祈願所の一社として尊崇されてきました。

落語の舞台にもなっており、記念碑では「元犬」「阿武松」など紹介されています。また、忠臣蔵でお馴染みの赤穂義士「堀部安兵衛」の名代が討ち入り直前に成功祈願に来ていたことが最近発見されたそうです。

首尾の松跡
蔵前神社
蔵前神社 ミモザと桜

すぐ先が榧寺(かやでら)です。その昔、樹齢1000年の榧の大木があって、その根で作られたという秋葉大権現像が残っています。御守護の力で今も炎厄から守られているといいます。家康の葬儀を執り行った観智国師が第一世となり建てられた浄土宗のお寺。本堂には大きな葵のご紋が輝いています。

駒形橋に向かって歩くと街道沿いに「おすわさま」として親しまれてきた「浅草駒形諏訪神社」があります。承久の乱の後、諏訪大社の御分霊を勧請したものと伝えられています。お賽銭箱には諏訪大社と同じ「梶の葉」の神紋が描かれています。

榧寺
浅草駒形諏訪神社
浅草駒形諏訪神社 梶の葉

お隣のバンダイ本社の先が有名な「駒形どぜう」。1801年創業といいますから200年以上続く、どじょう料理のお店です。江戸の大火で店が類焼した際に、「どぢやう」の四文字では縁起が悪いと有名な看板書きに頼み「どぜう」とかいてもらったのが、のれんの由来とのことです。

確かに、この「どぜう」という響きはいいですよね。江戸の末期には他のお店も真似て、どぜうに書き換えたともあります。泥臭いイメージから、食わず嫌いの方もいらっしゃるとおもいますが、どぜうなべはぜひお試しください。柳川鍋もおすすめです。

「駒形橋の交差点」まで来ると、スカイツリーも目の前に迫ってきます。ここから見る、スカイツリー、アサヒグループ本社ビル、浅草むぎとろ本店、そしてこれから訪ねる駒形堂の景色が浅草らしくて好きです。

駒形どぜう
駒形橋の交差点

交差点を渡って「浅草寺駒形堂」にやって来ました。628年に浅草寺の御本尊「聖観世音菩薩」さまが、隅田川より現われてはじめて奉安された地。

ご本尊様は馬頭観音、建立も古く942年で北斎や広重によって描かれた、江戸では名高いお堂であったとあります。この美しいフォルム、描きたく気持ち分かる気がします。菩薩さまが現れた地ですから境内には浅草観音戒刹碑があり、魚鳥殺生禁断の地とする法度が出されました。

ここからは並木通りを正面の「雷門」に向かって歩きます。今日も国内外の観光客が大勢いらっしゃいます。存在感抜群の雷門、風雷神門ともいい風神・雷神が浅草寺を守っています。大提灯は幅が約3m、重さが約700kあり、底には龍の彫刻が施されています。

浅草寺駒形堂
雷門

「仲見世通り」を進みましょう。しかし、すごい人。私世代の方は原宿の竹下通りが思い起こされ懐かしさを感じるのでは?竹の子族とかなつかしいですね。

朱塗りの楼門が見えてきました、山門の「宝蔵門」。仁王様と日本橋小舟町の大提灯、裏面には大わらじが迎えてくれます。街道歩きの身としては、このわらじに触れて健脚祈願です。

仲見世通り
五重塔と宝蔵門

「本堂」の創建はご本尊が現れた推古天皇36年(628年)、幾度も消失し最も長いのは家光が願主となって再建された慶安の本堂で昭和20年の消失まで約300年とあります。現在の本堂は昭和33年完成のもので、2010年にチタン瓦に葺き替えられています。

こちらの提灯には志ん橋(新橋)の文字、当時から浅草寺で宣伝していたとは新橋の人々は広告センスあったんですね。さすが、今もサラリーマンの聖地として名高い新橋。私もサラリーマン時代は、色々お世話になりました。

浅草寺 本堂

堂内の天井絵やご本尊がいらっしゃる御宮殿は人が少ないときにゆっくり、じっくりと拝みに来ようと思います。

本堂脇から馬道通りに向かいます。二天門前の交差点を渡った先、花川戸公園内に「姥ヶ池跡」があります。娘が旅人の身代わりとなって天井からつるした石の下敷きになって死んでしまいます。

この手口で金品を老婆は旅人から奪っていたのですが、娘が旅人の若者に恋して身代りになっていることを知らなかったのです。老婆は悔いて池に身を投げて果ててしまいます。里人はこの池を「姥が池」と呼んだそうです。

「言問橋」までやって来ました。スカイツリーが大きくなりました。裏道を進むと「江戸猿若町市村座跡碑」がマンションの前に石碑があります。この辺りは江戸時代天保末期から芝居町が形成され江戸歌舞伎が栄えた場所。黒・緑・柿色の三色、猿若町、歌舞伎の粋を感じます。

言問橋とスカイツリー
姥ヶ池跡
江戸猿若町市村座跡碑
待乳山聖天 山門

街道を隅田川沿いに少し進むと黄色の派手な山門が見えてきました。ここ「待乳山聖天」(まつちやましょうてん)は浅草寺の支院で創建は601年と古く、隅田川を臨む名所で浮世絵にも描かれている場所。

本堂入口上をはじめ、各所に大根と巾着の絵がありますが、これはご利益を表したもの。大根は一家和合、巾着は商売繁盛。大根は境内で買い求めることが出来て、お供えする参拝者が大勢いらっしゃいます。聖天さまに清めて頂いた大根は、お下がりとして配られていました。

大根は体に良く、胃腸の調子も整えてくれるので大根おろしで頻度高めに頂いております。健康だけじゃなく、一家和合の御利益もあるとは、ありがたさが増しました。

待乳山聖天 提灯には大根
待乳山聖天 拝殿上に大根と巾着
池波正太郎生誕の地碑

山門を出てすぐ横には、「池波正太郎生誕の地碑」が顔写真入りであります。鬼平犯科帳や剣客商売で有名ですが、私は池波さんの食に関するお話が大好きで、神田や中華街で軌跡を尋ねています。ファンの一人として池波さんの心のふるさと待乳山聖天を参拝できて良かった。

お隣の「今戸神社」は新選組「沖田総司」終焉の地として、また縁結びのパワースポットとしても知られ、訪れる方も大勢いらっしゃいます。大きな招き猫が福を呼んでくれそうです。

今戸神社 拝殿
今戸神社 招き猫
今戸神社 御朱印

日光街道はスタート早々見どころが多く、時間も大分経過してしまいました。街道に戻って先を急ぎます。一本裏通りには、境内に吉原遊郭太夫の名跡、二代目高尾太夫の墓がある浄土宗「春慶院」。

先には、源義家が陸奥に向かう際、この地で愛馬「青海原」が絶命し葬ったと伝えられる「駿目塚」があります。

春慶院
駿目塚

そして「東禅寺」です。甲州街道では新宿の太宗寺、中山道では巣鴨の真性寺、東海道では品川の品川寺で拝んできた「江戸六地蔵」、日光街道はここ「東禅寺」に鎮座していらっしゃいます。品川に次いで2番目の銅造地蔵菩薩坐像となります。

東禅寺 江戸六地蔵

境内に老夫婦の立派な胸像があるので、調べてみるとあんパンを考案した木村屋さんの創業者ご夫婦のお姿でした。私もあんぱんは大好物、こしあんも良いけど、つぶあんや白、うぐいすもいいですね。偉大な発明品だ。

泪橋の交差点までやって来ました。東海道を歩いたとき鈴ヶ森刑場跡近くにもありましたが、こちらは小塚原刑場跡の近くです。東海道同様、罪人と家族の別れの場所ということです。

東禅寺
東禅寺 木村夫妻像
泪橋交差点

荒川区に入りました。前方には南千住の駅、道路標識にも日光街道の文字も登場。JRの陸橋を渡ると、小塚原刑場跡です。磔・獄門など刑罰の他刀の試し切りや腑分け(解剖)も行われたとあります。

こちら、「浄土宗延命寺」には、無縁供養のために建てられたといわれる「首切り地蔵」も鎮座されています。大きくて目を引く立派なお地蔵様です。

線路の向こう側にある「回向院」には安政の大獄により刑死した橋本左内、吉田松陰らが葬られています。また、杉田玄白らが刑死者の解剖に立ち会い、後に解体新書を翻訳したことなどの記念碑もあります。

延命寺 首切り地蔵
観蔵記念碑 解体新書
回向院 吉田松陰らの墓所

南千住の駅前を過ぎてしばらく先へ進み左へ進むと「西光寺」です。芝増上寺の末寺で本尊は阿弥陀如来。笹の枝にさした白団子を供えて祈願すれば霊験があるとされることから「笹の団子の如来」とよばれています。

国道4号線にでて少し駅の方へ戻ると曹洞宗の「円通寺」が右手に見えてきます。観音様が屋根の上で金色に輝いていますのですぐに分かります。

西光寺
円通寺

791年に坂上田村麻呂によって開かれたと伝わる曹洞宗の寺院です。戊辰戦争で戦死した彰義隊士の墓があり、上野の山、寛永寺に建っていた「黒門」も移設されています。弾痕が数多く残っていて戦いのすさまじさが伝わってきます。

「寺号額」は縁のある、軍艦奉行で函館五稜郭の戦いでも知られている榎本武揚の書とのこと、達筆です。

弾痕が残る 黒門
寺号額 榎本武揚書

ゴールの南千住駅に向かいますが、先程回向院のそばに、「重盛の人形焼き」がありましたので寄りたいと思います。名称や七福神のイラストなど人形町の重盛と同じなので暖簾分けなんでしょうね。

帰ってから頂きましたが、あんが限界まで入っていて食べ応え十分、大変美味しく頂きました。ベビーカステラのような、あんなしバージョンもあったので次回はぜひこちらも試してみたいと思います。

重盛商店
人形焼き 五個入り

南千住の駅に到着して本日は終了。改めて駅前を見てみるとタワーマンションも聳え立つおしゃれな街、昔のイメージとは随分変わりました。日本橋を出て、台東区から荒川区へと歩いてきましたが神社仏閣の多さには驚かされます。

江戸らしさ、江戸のの情緒が感じられるコースという印象です。立ち寄り先が多く、北千住までは届きませんでしたが、次回は千住宿をじっくり満喫できそうです。

↓↓ 日光街道 その2はこちら

日光街道 街道を歩く その2 歴史を訪ねる シニアの健康ウォーキング 南千住→竹の塚
日光街道 街道を歩く その2 歴史を訪ねる シニアの健康ウォーキング 南千住→竹の塚
旧街道を歩く、日光街道その2は千住宿を歩き竹ノ塚まで17kmの街道ウォーク。千住大橋を渡り、芭蕉像や矢立初めの地、蔵造りの建物やだんご屋さん、荒川を渡り徳川ゆかりの安穏寺、吉宗公が座られたという将軍石がある鷲神社など巡ります。

甲州街道 中山道 東海道 kindle本作ってみました

Kindle Unlimited 会員の方は無料でご覧いただけます。よろしくお願いいたします。
↓↓リンクからサンプルもご覧いただけます↓↓

タイトルとURLをコピーしました