川越街道 街道を歩く その4 歴史を訪ねる シニアの健康ウォーキング 大井宿(新河岸)→川越宿

川越街道 街道を歩く その4 歴史を訪ねる シニアの健康ウォーキング 大井宿(新河岸)→川越宿 街道ウォーク
photo by ゆう
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川越街道 その4 大井宿(新河岸)→川越宿

川越街道その4は、大井宿(新河岸)→川越宿を歩きます。
距離は11,8Km、所要時間3:46時間 16,076歩、消費カロリー1546kcal

※画像はクリックすると拡大でご覧いただけます。

※スマホでも読みやすいように、改行が多くなっております。PCでは少々見づらくなっていることをご了承願います。

大井宿(新河岸)→喜多院

新河岸駅前を真っすぐ進むと川越街道(国道254)、さらに先へ進むと旧街道となります。不老川にかかる「御代橋」の向こうには富士山が、昔は富士山を眺めながらの街道歩きだったんでしょうね。

左手には「長田寺」の山門が見えてきました。1592年当地を領していた長田氏が創建といわれる曹洞宗の寺院。曹洞宗の大本山は福井の永平寺と横浜の總持寺の2つ、道元が開き瑩山が広めました。

関東の方には横浜總持寺は鶴見大学や石原裕次郎さんやアントニオ猪木さんのお墓があることでも有名ですね。こちら、長田寺は山門横の2本のイチョウが見事。本堂手前には桜の古木もあり歴史を感じさせてくれます。

御代橋
長田寺 山門
長田寺 本堂

街道は緩やかな坂道に、「烏頭坂」に入ってきました。今は住宅街の中を道路が続きますが、往時は杉並木があったそうです。新河岸で荷揚げされた荷物は問屋街へ運ぶとき、ここを通らなくてはいけないので難所であったとあり、「うとふ坂 こえて苦しき 行末を やすかたとなく 鳥の音もかな」という歌も詠まれていたそうです。確かに、この坂道を荷車引くのは想像しただけでつらくなります。

烏頭坂
岸町熊野神社

高台へ続く階段の先は「岸町熊野神社」、創建は江戸時代初期と伝えられています。「都内見晴らし台」からは素晴らしい眺望。合祀された月見稲荷、名前の由来は月形の岸村が見下ろせる高台にあることからこう呼ばれたとあります。

拝殿の手前には勝運の八咫烏、開運・縁結びのたぬきが迎えてくれます。また、一の鳥居が昨秋完成したばかりとあって白木の美しさがひときわ目立っていました。

都内見晴らし台
岸町熊野神社 拝殿
岸町熊野神社 一の鳥居

街道はJR埼京線と東武東上線、国道16号を横切って進みます。陸橋からは遠くまでよく見えます、川越市内はすぐそこ。16号をさいたま市方面に少し歩くと左手に「富士浅間神社の杜」が見えてきました。先ほどの熊野神社同様、鳥居の向こうには急な階段が見えます。それもそのはず、こちらは高さ五メートル、周囲四十二メートルの円墳で頂上に浅間神社が祀られているとのこと。

16号の陸橋から川越市内方面
富士浅間神社の杜

源頼家が分霊したことに始まり、太田道灌再営、北条氏臣・中山角四良左衛門が再興との由緒で歴史ある神社、浅間信仰で江戸中期に栄えたともあります。拝殿後ろの本殿は溶岩を積み上げて出来ており、神の使いのお猿に守られています。本殿後ろには噴火口を表す穴も。

富士浅間神社への階段
富士浅間神社 拝殿
富士浅間神社 溶岩でできた本殿

街道はいよいよ街中に差し掛かってきました。大きなマンションの手前に菅原道真を祀った菅原神社があります。このあたり町名が菅原町、神社の隣には有名な川越祭りに繰り出す山車、菅原道真の山車庫もありガラス張りなので間近に見ることが出来ます。想像以上に大きくて立派、必見です。

山車紹介
伝統ある川越まつりを紹介します。

拝殿の隣には合祀された稲荷神社の赤い鳥居、天神様らしく梅ノ木も。学問の神様として川越の受験生を導いてきたのでしょう、大きな御神木があり、思わず見上げてしまいました。

菅原神社 鳥居
菅原神社 拝殿

JR川越駅を過ぎて本川越駅の手前に大きな石柱が、「川越八幡宮」の参道です。創建千年まで、あと五年の幟が並びにぎやかです。1030年に源頼信公によって宇佐八幡宮から勧請されたと伝えられる歴史ある神社。境内も広く拝殿の他川越三峯神社も祀られています。

「民部稲荷神社」は衣食住を守ってくださる神様、民部と名乗っていたお狐様が捻挫や打ち身の手当の仕方を教えて去ったとの伝説から、足腰の健康にご神徳があるとされている。腰痛持ちの私にはありがたい神様です。今は葉が散っていますが大イチョウも見事。

川越八幡宮 参道
川越八幡宮 拝殿
民部稲荷神社

喜多院→本川越駅

街道を川越工業高校方面から「喜多院」へ向かいます。往時を偲ばせてくれる入り組んだ路地や旧家が多いのが川越の魅力の一つ、住宅街を抜けて喜多院の「どろぼう橋」を渡ります。

喜多院は江戸幕府の御朱印地で川越藩の町奉行は手が出せません。いわゆる治外法権、それを知っていて逃げ込んだ盗賊は捕り方からは逃れましたが寺男たちに捉えられ諭されます。その後、改心して祈りを重ね真人間になり無罪放免の許しを得たとの由来が説明書きにありました。

喜多院へ向かう住宅街
喜多院 どろぼうばし

喜多院の創建は平安時代まで遡り、1599年あの有名な天海僧正が第27世の法灯を継ぎます。1638年の川越大火で焼失した際、江戸城の別殿が移築されました。そのお陰で、こちらには現在も家光誕生の間、春日局化粧の間が当時のまま残されています。

国指定重要文化財の「客殿、書院、庫裏、慈眼堂、鐘楼門、山門」をはじめ、他にも有形、指定文化財を多数擁しています。五百羅漢は日本三大羅漢の一つに数えられており、さまざまな表情の羅漢様に会うことができます、時間が許す限りじっくり見てまわりたいものです。

喜多院 慈眼堂
喜多院 多宝塔
喜多院 客殿

慈眼堂に鎮座する木造天海僧正坐像は、まるで生きているかのような迫力。108歳まで生きたともいわれている南海坊天海、家康の側近として、続き秀忠、家光にも仕えたという計り知れない凄さを感じます。「気は長く 勤めは堅く 色うすく 食細くして こころ広かれ」との言葉を残されているとありました。

境内には川越城主であった「松平大和守家の廟所」もあり、石門の定紋が彫り込まれた石扉や五輪塔が見事です。

喜多院 慈眼堂
喜多院 山門
天海僧正像
松平大和守家の廟所

今回川越街道歩きのゴールとしている、「川越城本丸御殿」へ向かいます。住宅街を抜けていくのが近道なのですが路地が多くて迷いそうなので、少々遠回りですが国道254に出て新河岸川沿いを歩いて向かうことにしました。

まもなく初雁公園野球場が見えてきますので、国道を渡り進みます。右手に市立博物館が見えてくれば向かいが川越城跡、きれいに整備された広大な敷地に本丸御殿や土塁、三芳野神社があります。トイレが綺麗なのがうれしいですね、観光地として大切なことだと思います。

川越城は1457年扇谷上杉氏の命により太田道灌らによって築城された名城。その後河越合戦で勝利した北条氏の支配下に、秀吉が北条氏を滅ぼした後は徳川家康の領地となります。御殿の一部は公共の施設に利用されており喜多院同様に広大な敷地だったことがうかがえます。本丸御殿の一部、玄関・大広間は1848年に建てられたもの、現存している貴重な建物です。

川越城跡
川越城本丸御殿

漆喰のような白壁と大きな切り妻の瓦屋根、まるで蔵のような建物は「川越市立博物館」です。蔵造りの街並みを中心とした街並みの「復元模型」は見事で喜多院や川越城がいかに大きかったかが一目瞭然分かります。

川越市立博物館
川越城下 復元模型

複製ですが迫力ある「天海僧正坐像」を目の前に見ることが出来ますし、再現された蔵造の街並みは蔵の構造などもじっくり見ることが出来ます。博物館の職員の方による案内もあって、丁寧に歴史についても説明していただけるので川越の街の知見が深まりました。

天海僧正坐像
蔵の街 復元
蔵の街 大きな鬼瓦

街道歩きはこちらでゴールですが、せっかく川越まで来たのですから蔵の街を散策して帰りたいと思います。札の辻へ向かう途中、「川越城中ノ門堀跡」があります。旧城内に残る唯一の堀跡ということです。実際に土塁を見ると高さと勾配が急なことに驚き、行く手を阻んだことが実感できます。

川越城中ノ門堀跡
堀跡 土塁

大澤家住宅、時の鐘、河越酒店、観光協会、くらづくり本舗、亀屋と定番の建物が続きます。今日もすごい人、人、そして車は渋滞、昔の街並みを残すということは現在の便利さを放棄することを意味するわけですから、守っていく地元の方の努力には頭が下がります。素晴らしい蔵造の街並みを今でも眺めることができることに感謝。

時の鐘
観光協会
亀屋
亀どら 草餅 豆大福 

本川越駅に到着、川越街道は板橋宿を出発して全4回で完結、最後に1783年創業の旧川越藩御用達の亀屋さんで、亀の形をした「亀どら」(つぶあんとこしあん)、草餅と豆大福を買って帰ります。

江戸時代の賑わいを感じることが出来る小江戸川越、中山道から板橋宿で分かれて上板橋、下練馬、白子、膝折、大和田、大井と全4回にわたり宿場を訪ねながら歩いてきた街道歩き。

街道には今も人々の生活や活気がみなぎっており、江戸時代と変わらない残された風景や神社仏閣が気持ちを癒してくれる素晴らしい健康ウォークでした。やはり歩くから分かること、肌で感じることは多く、街道歩きを続けていきたい、そう思わせてくれる川越街道でした。さて、次はどの街道を歩きましょう。

YouTubeで川越街道1と2のスライドショーがご覧いただけます

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