大山街道 その1 赤坂御門→池尻大橋
大山街道その1は、赤坂御門→池尻大橋を歩きます。
距離は14,4Km、所要時間3:47時間 17,622歩、消費カロリー1783kcal
大山街道は、江戸の赤坂御門から相模の大山までを結ぶ街道、正式名称は矢倉沢往還。大山は雨乞いの神様として信仰されており、江戸時代には大山詣りが庶民の間で流行しました。
五街道を歩いていると、至るところに大山への道標が残っていることからも大山詣りが盛んだったことがうかがえます。大山街道は参詣者が通る道として整備され、相模地方の特産品を江戸に運ぶ道としても重要な役割を果たしました。
全長約60kmの大山街道は国道246号線とほぼ同じルートを通っています。赤坂から青山、表参道、渋谷、三軒茶屋から用賀、二子玉川へと続き多摩川を越えて神奈川へと入ります。
この街道沿いには、参詣者を迎えるための宿場町や茶屋などが数多くあり、今も当時の面影を残す史跡や建造物がいくつか残っています。今回の街道歩きは、これらを巡りながらの街道ウォークとなります。
※画像はクリックすると拡大でご覧いただけます。
※スマホでも読みやすいように、改行が多くなっております。PCでは少々見づらくなっていることをご了承願います。
赤坂御門 → 表参道
地下鉄赤坂見附駅から出発場所となる「赤坂門跡」へ向かいます。平河町方面へ坂道を登っていくと左手に堀や土手の遺構が見えてきて、赤坂御門の石垣の一部を見ることが出来ます。1636年に筑前福岡藩の黒田忠之により築造、大山街道の出発点となっています。赤坂見附、今は無き赤坂プリンスホテルがランドマークでした。あのビルのキラキラ感、窓を使った巨大クリスマスツリーが見られないのは、私世代にとって少し寂しい感じです。
交差点まで戻るとお堀に「弁慶橋」がかかっており、釣り堀が見えてきます。江戸城普請の大工の棟梁、弁慶小左衛門が架けた橋であることから、弁慶橋と名付けられたといわれているそうです。武蔵坊弁慶とは関係ないようです。
街道(国道246)を進むとずらっと並ぶ赤い提灯が目を引きます。「豊川稲荷東京別院」には本殿をはじめ、奥の院、三神殿、身代わり地蔵、大黒堂、子だき狐、大岡越前守御廟などがあり、美味しそうな稲荷ずしが並ぶ茶店もあります。
大岡越前守忠相公が日常信仰されていた豊川稲荷のご分霊をお祀りしてある曹洞宗の寺院です。数多くのお狐様が迎えてくれ、その数に圧倒されます。
国道246から左に分かれて登っていく道が旧大山街道、「牛鳴坂」です。昔は路面も悪く車を引く牛も苦しんだことからついた名前とのこと。坂道を登っていくと左手に山脇学園が見えてきます。こちらにあるのは老中屋敷の表門を移築したもので、「旧三河岡崎藩上屋敷表門」。この規模の長屋門は貴重な存在、重要文化財です。
山脇学園所有のこの門は志の門と呼ばれているそうです。私たちの時代は山脇学園短大を赤短、青山学院短大を青短と呼んでおり女子大ブーム真っ只中、3女子大はトン・ポン・ツー(東京・日本・津田)なんて呼んだりもしていましたね。
途中、弾正坂を下ると右手が「とらや 赤坂店」です。店舗は建て替えられており昔の面影はなく近代的なガラス張りのオシャレなビルに、3階は喫茶店になっています。営業時代、ここぞというときはズッシリと重い「とらやの羊羹」、新正堂の「切腹最中」と共に絶大なる効果を発揮したものです。建て替え前の赤坂本店時代が懐かしいですが、高層ビルから低層ビルに建て替えたとらやさんの先見の明には老舗のすばらしさを感じます。
右手は広大な「赤坂御所」が続きます。左手にはビルが立ち並びますが、その合間に緑のオアシスがひらけます。こちらは「高橋是清翁記念公園」、首相、蔵相を務めた高橋是清の邸宅があったところ、池を中心とした和風庭園は落ち着ける場所です。高橋是清は2.26事件により、この世を去っています。この地で83歳でした。
246は青山ツインビル、ホンダ青山ビルを通過して、樹木伐採で問題になっている神宮外苑へ。絵画館前の「外苑いちょう並木」の交差点から右手に伊藤忠、オラクル、青山墓地への入り口を過ぎると竹林のエントランスが高級料亭を思わせる、浄土宗 「梅窓院」の石柱が見えてきます。
地名にもなっている青山家の菩提寺で、1643年に青山公の下屋敷に建立とのこと。このあたり一帯は南青山、東京でも一等地ですが青山家の敷地だったんですね。本堂は近代的なオシャレなつくりで目を引きます、さすが青山ブランドは違いますね。
南青山三丁目の交差点を過ぎ、おしゃれな青山通りが続きますが表参道の手前を一歩裏手に入ると別世界。朱塗りの山門には仁王像と風神雷神像、創建1601年の「善光寺」は浄土宗の寺院、石柱には信州善光寺別院とあります。本堂も立派で長野の善光寺を思い出させてくれました。境内には蛮社の獄で投獄された高野長英記念碑や芭蕉句碑もあります。
表参道→池尻大橋
通りは表参道の交差点を過ぎてスパイラルビル、骨董通りへと続き左手には赤レンガの壁が美しい「青山学院」が見えてきました。箱根駅伝でもすっかり有名になりましたが、我々の時代は、何といってもサザン桑田さんの出身校ということで人気でしたね。右手に国連大学を見ながら、青山通りを左折して六本木通りを横断、並木橋方面へ歩いていくと大きな鳥居が見えてきます。
階段を上り、赤門の先に「金王八幡宮」の拝殿が見えてきました。渋谷氏の祖である河崎基家が1092年に創建したといわれる八幡宮。現在の社殿は江戸初期の建築様式をとどめている貴重な建物とのこと。境内には一枝に一重と八重の花が入り混じって咲く珍しい「金王桜」があります、神楽殿も素晴らしいい。
お隣には天台宗の寺院、渋谷山 「東福寺」があり都会にあると思えない静かな場所で癒されます。宇田川橋から移転された宇田川地蔵、区指定の有形文化財、木造薬師如来像、銅造菩薩立像、木造不動明王立像を保有しています。
六本木通りへ戻りお向かいの渋谷クロスタワーへ、東邦生命ビルのほうが我々世代にはピンときます。聖地となった「尾崎豊の碑」を見て、金王坂から宮益坂をくだります。「宮益坂上」の交差点は仁丹ビルが目印だったところ。
宮益坂を下りていくと、ビルの合間に鳥居と長い階段の参道が続きます。「宮益御嶽神社」には「宮益不動尊」、明治天皇御小休所址の記念碑があります。炙り不動は苦しみや病気をあぶりだすと信仰を集めています。酉の市や節分祭も開かれており、都会ならではのビルに囲まれた神社。日本狼の石像という珍しい狛犬も要チェックです。
坂を下りきると渋谷駅、そして忠犬ハチ公像がありますが、ご存じのとおりのすごい人でシニアはスルーです。スクランブル交差点を渡り道玄坂を上ります。なぜ、道玄坂?なのか。江戸時代、和田義盛の子孫、大和田太郎道玄がこの坂に出没し山賊のようにふるまったとの伝説や道玄庵という庵があったためという諸説あるそうです。
坂の途中には「しぶや百軒店」。実は若かりし頃は渋谷に住んでいたのでこの辺りは良く訪れていました。古くからの名店も多く、名曲喫茶やラーメンに洋食、小料理屋さんと思い出深い花街です。
坂上交番前の交差点脇には、「与謝野晶子歌碑と道玄坂道供養碑」があります。大和田太郎道玄の由来話や、与謝野晶子が母を思ってこの地から西空に連なる相州の山々を眺めていたことなどが紹介されています。
坂を上りきると246と合流となり代官山へ続く旧山手通りを過ぎて進んでいきます。江戸から厚木までの厚木街道にあった四十八坂のうち、急で一番大きな坂であったという「大坂」へやってきました。坂道を下る脇道が旧大山街道となります。
再び246へ戻り、山手通りを過ぎると鳥居と氷川神社の石柱、階段を上って「上目黒氷川神社」に向かいます。
旧上目黒村の鎮守で天正年間(1573~1592)に甲州武田信玄の家臣であった加藤氏が上野原よりこの地に迎えたとの由緒、高台ですから富士山を見ることが出来たのでしょう、富士塚も見られました。街道沿いの鳥居の横には「大山道の道標」があります。
街道を進み、未来都市を彷彿とさせる大橋JCTを過ぎて目黒川を渡れば、本日のゴール池尻大橋駅となります。大山街道1回目は赤坂から青山、渋谷と東京を代表する繁華街を歩いてきました。
今まで気がつかなかった史跡や神社仏閣が街中にあることを知り、現在の繁栄が先人たちの努力、歴史が作り上げていることを改めて認識することができました。学び多き街道ウォーク、次回は神奈川県との都県境までのウォーキングを予定しています。
大山街道 街道を歩く その2 はこちらです ↓↓
