大山街道 その3 二子玉川→鷺宮
大山街道その3は、二子玉川→鷺宮
距離は12,4Km、所要時間3:32時間 16,683歩、消費カロリー1406kcal
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二子玉川→溝の口
二子玉川駅を出て多摩川を越えて二子新地に向かいます。二子橋からの多摩川や二子玉川方面の眺めもなかなかのもの、楽天本社のクリムゾンハウスが目立ちます。橋を渡れば東京都とはお別れ。
二子橋の交差点に「ふたごばし親柱」、二子の渡しの説明書きがあります。橋がない時代は、大正十四年まで二子の渡しで多摩川を渡っていたそうですが、川幅から想像しても難所だったことでしょう。河原には茶屋などがあり賑わっていたことでしょう、風情があっていいものです。
土手沿いに少し歩くと二子公園、「岡本かの子文学碑」が見えてきます。かの子は明治生まれの歌人であり純文学の小説家、そして岡本太郎の母でもあります。この碑は、岡本太郎氏が制作したもので、台座には「この誇りを亡き一平とともにかの子に捧ぐ」と刻まれ、母を想い「誇り」と題されています。
お隣は「二子神社」、もとは神明社と呼ばれ村社でした。創建は1641年といわれており歴史がある街道沿いの神社、渡し場の近くでもあり賑わった様子が目に浮かびます。
新地といえば、大阪の北新地のイメージが強いですが新しく開発された土地、歓楽街の事をさすそうです。ここ二子新地も歓楽街が開かれ新地と呼ばれるようになった歴史があるわけです。二子玉川の二子は歴史的に見ても二子新地の後輩ということですね。
二子宿を進んでいくと岡本かの子の生家である大貫家の案内があり、その先には「光明寺」の山門が見えてきます。江戸時代初期に二子村から街道に面するこの地に移された真宗大谷派の寺院。本堂には「二子学舎」が置かれて近代小学校の場となったそうです。
街道を進み高津図書館入口の公園内に「国木田独歩碑」があります。武蔵野地区に住むものとしては、短編集「武蔵野」でなじみが深い小説家。溝の口を訪れた時、旅館亀屋に一泊し、このことが作品「忘れ得ぬ人々」のモデルとなり、記念として建てられたもの、題字は島崎藤村が書いたものだそうです。
街道沿いには、明治に建築された蔵造りのお店が残されています。「田中呉服店」は重そうな瓦屋根が重厚感を醸し出しており二階の格子窓も見事です。地震が多い関東で、この建物を残していくのは大変なことでしょう。
高津の交差点までやってきました。角には川崎信用金庫さん大山街道推しです、三回目のウォークですから、この絵も頭に刷り込まれてきました。隣の年金の受け取り予約のプレゼントが気になる歳ごろの私。
江戸期にこのあたりで唯一の薬屋だった「灰吹屋の蔵」が今でも残っており昭和三十五年まで店として使われていたそうです。きれいに保存された建物とイラストが街道気分を盛り上げてくれています。川越街道ウォークで蔵は沢山見てきましたが、やはり蔵がある街並みは落ち着きます。
大山街道ふるさと館に到着、入口脇に「大山道の道標」があります。府中方面へ向かう府中道と大山道の交差する角に建てられたもの。高幡不動参詣路と大山参詣路の交差点でもある要所、正面には是より北、高幡不動道、南川崎道と刻まれています。
「大山街道ふるさと館」は川崎市が運営する大山街道にまつわる歴史的資料が展示されている、街道ウオーカー必見の場所。こちらで、少し勉強してから先へ進むことにします。
あの真っ赤な大山街道の案内にある旅人が担いでいる刀のようなものが展示されています。大きな刀は「納太刀」といい、開運や厄除けを祈願して大山阿夫利神社へ奉納した太刀でした。大きさを競ったともあり親しみがわきます。
街道には商店が多くなり賑わってきました。「二ヶ領用水に架かる大石橋」は常夜灯もある立派なものです。十四年に及ぶ難事業だったようで、川崎のほぼ全域にあたる稲毛・川崎の二ヶ領を潤したとあります。
大鳥居の先には「溝口神社」。江戸時代までは赤城大明神と親しまれ赤城社と呼ばれた溝口の総鎮守、川崎市内でも最も尊い神社の一社として広く信仰を仰いでいるといますから、しっかりとお参りして先を進みましょう。古社らしく樹齢三百年以上といわれる「楠」や樹齢五百年以上といわれる「けやき」が大切に保存されています。
溝の口→鷺宮
お隣には池上本門寺に次ぐ賑わいがあるという日蓮宗の「宗隆寺」。大山道の中心的な寺院で、日蓮上人の命日である御会式の前日夜には万燈練り供養が行われます。益子焼の陶芸家、人間国宝の濱田庄司の墓があります。ヤクルトスワローズの村上宗隆選手のファンの聖地でもあります。
大山街道の案内板、「さかえ橋の親柱石」を過ぎて溝の口駅に向かう途中、左手に「丸屋燃料店の蔵」があります。南武線の踏切を渡り進むと左手に「庚申塔と大山道標」が祀られています。
街道は上り坂になってきました。こちらは「ねもじり坂」と呼ばれており、昔はもっと急で荷車にとっては難所であった場所。
坂の上には西国巡礼から戻った村人が子を授かったお礼に建てたという「笹の原の子育て地蔵」があります。お堂は新しく地元の方に大切に守られているのが分かります。お堂の前には時代を経た秩父、坂東と刻まれた西国供養塔も見られます。
梶ヶ谷駅前を過ぎて左手の庚申塔を確認して進むと厚木街道・246です。さすがに交通量は多く歩道橋を渡って旧街道へ入ります。住宅街の中に「宮崎大塚古墳」がぽつんと現れます。結構大きく丘のよう。下草が綺麗に駆られた階段があり頂上へ登れそう、供養碑があり、眺望も良し。
慎重に階段を下りて宮崎台の駅方面へ進みます。駅には「電車とバスの博物館」が併設されており子供や鉄道ファンで賑わっています。渋谷と二子玉川を走っていた玉電の車両も展示されているとのことで寄り道をすることにします。
路面電車車両だったデハ200型が展示されており車内に入れるのでテンションあがります。他にも、バスや電車、旧駅舎、Nゲージや運転シミュレーターなどが充実した大人も子供も楽しめる博物館でした。
街道はアップダウンを繰り返しながらマンションが立ち並ぶ住宅街を進みます。尾根のような場所で、とにかく坂道が多いエリア、足腰が相当鍛えられて身体には良さそうですが、シニアが暮らすには厳しそうです。
坂を下ったところが宮前平の駅。駅前にあるのが「小台八幡神社」ですが、長い階段が続いており、また上りとなりいます。さすがに足が悲鳴をあげ始めております。
階段を少し上ると「正徳4年の庚申塔」が迎えてくれますが、いつになくお不動様のお顔が険しく見えます。階段はまだまだ続いています。頂上に到着、拝殿が神々しく見えます。
駅へ下って、田園都市線のガードをくぐり旧大山街道を進みます。ここも上り坂が続きます。上りきったところが「小台公園山頂」となっており遠く二子玉川方面が見下ろせます。
再び坂道を下っていけば「鷺沼駅」に到着。本日はここまでです。旧街道は歩きやすく、街道の説明標識もよく整備されていました。ウォーカーに優しい気遣いが感じられるコースです。
次回は荏田宿から青葉台方面を目指します。