東海道 街道を歩く その7 歴史を訪ねる シニアの健康ウォーキング 藤沢→平塚

街道ウォーク
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東海道 その7 藤沢→平塚

東海道その7は、藤沢→平塚を歩きます。
距離は17,6Km、所要時間は4:27時間 22,889歩、消費カロリー2714kcal

※画像はクリックすると拡大でご覧いただけます。
※スマホでも読みやすいように、改行が多くなっております。PCでは少々見づらくなっていることをご了承願います。

平塚 縄手道

藤沢→茅ケ崎

本日は、小田急藤沢本町駅からスタート。改札から街道に出てすぐ向かい側には「真源寺」、階段を上ると浄土宗 風早山「真源寺」の社号標とともに、立派な唐破風の本堂が現れます。本堂は新しいですが、古いお堂と石仏もあり歴史を感じさせる寺院です。

街道に戻ると「藤沢宿京見附跡」の案内。こちらで藤沢宿は終わり、江戸方が遊行寺の東門付近にありましたので宿場の範囲が広かったことがうかがえます。

真源寺
藤沢宿京見附跡

しばらく街道歩きが続き、二股まで来ました、右が旧道ということで進みますが昔の面影はありません。引地橋を渡ると人だかりが見えます。どうやら藤沢七福神めぐりのようで、こちらが「養命寺」となります。

木造薬師如来像が本尊ですが普段は非公開、十二年に一度、寅年の春に公開されるそうです。作風から1197年に製作されたもの。作者は当時を代表する仏師である運慶の一門とあり、国指定の重要文化財、機会があればぜひ拝ませて頂きたいものです。

右が旧道
養命寺

街道の反対側にお顔が真っ白なお地蔵さまがいらっしゃいます。「おしゃれ地蔵」と呼ばれており女性の願い事なら何でもかなえてくれる、ありがたいお地蔵様。満願のあかつきには、白粉を塗ってお礼をすると伝えられているそうです。

今日のお姿も、白粉がぬられて紅までさされているので、きっとどなたかの願いがかなえられたのでしょう。土地の言い伝えって大切です。

お隣には大きな貯蔵タンクが見えてきました。「メルシャン藤沢工場」です。メルシャンといえばワイン、コンビニでも売られているフランジアには私もお世話になっています。フランス語の感謝を意味する「メルシー」と人を意味する「アン」をプラスして「メルシャン」、お客様への感謝という意味が込められていたんですね。

こちらの正門脇に安置されているのが、「七面地蔵尊」。ここにあった榎の大木を伐採する際、身代わりとして安置されたそうです。

おしゃれ地蔵
メルシャン藤沢工場

街道は「聖観世音菩薩碑」を過ぎて、創業70余年の老舗和菓子屋さん御菓子処「丸寿」までやってきました。

明治神宮献上銘菓「大庭城最中」を買っていきましょう。大粒の粒あんがお城の中に詰まっています。大庭城は現在も遺構が残っている大庭氏の居城、城址公園になっています。あんが美味しくてお薦め。

御菓子処「丸寿」
大庭城最中

街道はそろそろ辻堂に入ってきました。小さな鳥居と、階段上に「稲荷神社」が見えてきましたのでお参りを済ませて先を急ぎましょう。平塚はまだまだ先です。

街道は国道1号線との合流、ここ四ツ谷の交差点を渡ると祠が見えます。「四ツ谷不動」、大山不動とも呼ばれ道標も建てられています。「これより大山みち」と側面に書かれており、右手の通りには大きな鳥居が。

稲荷神社
四ツ谷不動

大山阿夫利神社の一の鳥居で大山詣での人々が通った道、明神鳥居の額束には「天狗様」がいらっしゃいました。広重の浮世絵にも四ツ谷の立場として描かれています。この「お不動様」迫力があります。

お不動様
額束には天狗様

羽鳥交番前の交差点を過ぎ「四ツ谷の一里塚跡」を確認、松並木を歩いていけば「二ツ家稲荷神社」に到着です。石の鳥居が三っもあり、本殿近くには年代を感じさせるお狐様も鎮座されていました。

また、境内には寛文十年(1670)「庚申供養塔」もあります。かなり古いもので三猿のお顔もよく分からない状態ですが、これはこれで、ありがたみがありますね。市の重要文化財に指定されています。

四ツ谷の一里塚跡
二ツ家稲荷神社
お狐様
庚申供養塔

松並木の街道が続き、いよいよ茅ケ崎に入ってきました。サザンとえぼし岩の街、ユーミンの詩にも登場します。湘南っていう響き、なぜか気持ちが高ぶります。誰もが一度は暮らしてみたいと思うあこがれの地。

「明治天皇御小休所阯碑」を確認して進むと山門が見えてきます。浄土真宗本願寺派「上正寺」です。

いよいよ茅ケ崎へ
明治天皇御小休所阯碑

聖徳太子立像は太子自ら彫刻したという言い伝えを有しているとの説明書きがあり、室町時代の作と考えられているようです。また、上野寛永寺からもたらされた「石灯籠」もあり、家綱の墓前に奉納されたものとありました。葵のご紋も見て取れます。

小和田の交差点手前に「千手院」があります。本尊は千手観世音菩薩で1600年頃の開山。十王堂には閻魔十王様もいらっしゃいます。

寛永寺の石灯籠
上正寺 山門
上正寺 本堂
千手院

道を挟んで見えてくるのが、高野山真言宗の寺院「廣徳寺」。

現住職さんは18代目で約400年続く寺院です。ご本尊様は千手千眼観世音菩薩、本堂左手には観音坐像がいらっしゃいます。山門横の小僧さんの石仏がなんとも愛嬌がありますね。

廣徳寺 山門
廣徳寺 本堂

奥に進むと小和田村の鎮守、「熊野神社」です。参道入口の右側にある「鐘楼が朱色」で彩られています。朱色のものは初めて見ました、珍しいですね。拝殿に向かって右側に姥母神社、左に稲荷神社、参道途中に厳島神社、境内には小和田道祖神もあります。口が赤く塗られた魔除けの狛犬、迫力あるいいお顔。

熊野神社 朱色の鐘楼
熊野神社 拝殿

歩道の脇に少し登りで「旧道の痕跡」が残されています。江戸の旅人気分に浸りながら松並木の街道を更に歩いていくと「牡丹餅立場跡」。藤沢と平塚の間には、四谷、牡丹餅、南湖、八幡の四つの立場がありました。

立場は飲食ができる茶屋があり、こちらは牡丹餅が名物。紀州徳川家の専用飛脚中継所もあったとの説明書きもあります。ここからは「富士山」が綺麗に見えます。旅人も茶屋で休みながら、この富士山を眺めていたことでしょう。

旧道の痕跡
牡丹餅立場跡
富士山の眺望

茅ケ崎高校前の交差点を過ぎると「東海道の松並木碑」があります。街道沿いの黒松は幹回りが2,2メートルの大きな松が育っているとの案内、広重も描いたこの風景は大切に守って頂きたいですね。松並木と富士山の組み合わせ、日本で生まれて良かったと思わせてくれる素晴らしい景色です。歩くと分かります。

すぐ先には曹洞宗の「海前寺」。仁王像に守られた山門が見えてきました。上野寛永寺から移設された石灯籠や道元禅師の像、観音像や古い石仏が数多くあります。本堂の瓦屋根は大きく、石灯籠も二代将軍秀忠公に献上されたものだけあって立派なもの。

東海道の松並木碑
海前寺 仁王と山門

街道を本村の交差点を過ぎて先へ進むと、右手奥の方に茅ケ崎の鎮守「八王子神社」が見えてきました。境内には八坂神社、天満宮、護國社もある大きな神社。多くの武士が訪れ、あの新田義貞も立ち寄ったとされているそうです。

徳川将軍家から社領の寄進もあった、この地域の中心的存在。浜降祭には八坂神社として参加しています。

八王子神社
八王子神社 拝殿

茅ケ崎→平塚

相模線の高架を超えて、茅ヶ崎駅前までやって来ました。交差点角に大きな松の木があります。こちらが「茅ケ崎の一里塚」で江戸より十四里、昔は道の両側にありました。

今回は東海道7回目、思えば随分歩いてきたものです。昔の旅人も宿場や一里塚を眺めながら歩いてきた道のりを思い起こしたり、この先の旅について思いを巡らせたのでしょう。目の前は一里塚通りとなっています。

すぐ先、茅ヶ崎駅前の交差点右手には徳川将軍家の菩提所、上野寛永寺からもたらされた「寛永寺石灯籠」が四基並んでいます。四代将軍家綱、十代将軍家治に寄進された灯籠とあります。

茅ケ崎の一里塚
寛永寺石灯籠

東横インの前、歩道の真ん中に「クロマツの切株」が残されており説明書きがあります。この切株は高さ20m、太さ2,5m、樹齢が約200年で、腐朽による伐採されましたが、シンボルモニュメントとして残し記憶を継承するとあります。説明プレートには今はなき高さ20mの姿が写真で見ることが出来ます。

今度は街道の左側へ移動します。真言宗高野山「円蔵寺」の社号標が見えてきました。本尊は薬師瑠璃光如来で日光菩薩と月光菩薩が両脇にひかえています。茅ヶ崎駅側には山門があり厄除秘鍵大師の石柱がありますが、こちらは秘仏。

クロマツの切株
円蔵寺 山門

護摩堂、同行二人の石柱と大師像、「乃木大将像」と護国忠魂碑が境内にあります。像の横には203高地、血染の岩片、日露戦争の停戦条約が結ばれた水師営にあったナツメの木が奉納されています。あのロシアと戦争していた歴史、203高地、バルチック艦隊、東郷ターン、文献でしか知らない史実ですが、戦争の悲惨さは今も昔も変わりません。平和を願うばかりです。

円蔵寺 本堂
乃木大将像

この辺りは茅ヶ崎駅の北西方向、昔は富士山や丹沢、箱根の山々、江の島も眺められる景勝地だった所。諸説あるらしいですが、このことから十景坂とも呼ばれ、今は十間坂という地名になっています。

前方には人だかりです。どうやら「どんど焼き」のようで煙が上がっています。「第六天神社」に到着。第六という名前が気になり、ウイキ等で調べてみました。

元々は第六天魔王(仏道修行を妨げている悪魔)を祀る神社として創建されたものが神仏分離の際に、その名前から日本神話にでてくる神世七代における第六代のおもだるのかみ・かしこねのかみに祭神が変更されたとありました。

第六天神社は東京や埼玉にも多く見られるので気にはなっていたのです。もしかして第一から第六まであったりして、なんて妄想していたので、少しスッキリした感じです。

第六天神社 鳥居
第六天神社 本殿

広い境内を進むと狛犬に迎えられて本殿となります。梁の彫刻が見事なのと、本殿周りの松の木に目を奪われます。年神さまを見送るどんど焼で賑わいを見せる境内は活気があって、無病息災を願ってみなさんお団子をあぶっていらっしゃいます。うちの田舎では確か左義長と呼んでいました。御朱印を頂いて先を急ぎます。

どんど焼き おだんご
御朱印を頂きました

南湖入口を過ぎて、少し左に南湖通りを進むと高野山真言宗「金剛院」、芝生の中の石畳先に本堂があります。境内には六角形の朱色が美しい「長生殿」、金文字の扁額が掛かる大師堂もありました。

金剛院内に開校された学校(後の茅ケ崎小学校)に赴任した若松先生のお墓があります。明治時代の話ですが、南湖の生徒13名が学期末試験に落第したことに責任を感じて、割腹自殺したとの説明書きがありました。命がけの教育だったんですね。

金剛院 本堂
金剛院 長生殿

街道は緩やかに右にカーブして、先に橋が見えてきました。「関東の富士見100景」、茅ケ崎市からの富士と書かれたプレートが掛かっています。橋の向こうのど真ん中に見事な富士山の姿が現れました。

橋を渡ると「南湖の左富士之碑」、富士山と言えば常に街道の北側、東海道の上りでは右側に見えるはずですが、ここ南湖と静岡の吉原二カ所が左手に富士山が見える有名な場所。広重の浮世絵にも描かれています。以前歩いた中山道では板橋宿の先、清水坂に富士山を唯一右手に一望できる名所との案内がありました。中山道の上りでは富士山は常に左側に見えるものなのです。

関東の富士見100景
南湖の左富士之碑

向かい側には朱色の大きな鳥居「鶴嶺八幡宮大鳥居」が建っています。相模の国茅ケ崎の総社として平安時代から続く総鎮守。参拝したいところですが、街道からかなり先になってしまうので今回は断念します。

鳥居の先には「弁慶塚」。頼朝が落馬したのは義経の祟りとして、弁慶塚を築いて霊を慰めたものとか。大きな塚は駐車場の敷地内に行けば見られるようです。

鶴嶺八幡宮大鳥居
弁慶塚

平安時代の陰陽師、安倍清明が喉の渇きを癒したと伝わる清明井戸がある「下町屋神明神社」を過ぎると「でかまん」と気になる文字の看板が目に入ってきました。

東海道の名物まんじゅう、と書かれています。「でかまん菓子舗」さん、なかなかの店構えで歴史も感じさせてくれるウインドウには大きなでかまんが並んでいます。一番大きなものは30cm以上はありそうです。よく見るとまんじゅうには「でかまん」と焼き印が押されています。お祝いの席にはインパクトがあって良さそう。夫婦鮎もなか、なんて言うのもあっておいしそうでした。

160円の普通サイズと一回り大きい320円の「でかまん」を仕入れて次へ向かいます。ちなみに、さらに750円、1600円、2700円、3780円と続きます。帰ってから頂きましたが、皮が薄目で餡も甘さ控えめ、大きい方をペロッと食べちゃいました。1600円くらいまでは行けるかもです。

でかまん菓子舗
でかまんバリエーション
美味しくいただきました

「旧相模川橋脚跡」を左に見て、新湘南バイパス高架をくぐり街道を進んでいくと、日蓮宗の寺院「上国寺」の南妙法蓮華経と見事に彫られた社号標があります。本堂へ進むと法事でしょうか、太鼓とお経が聞こえてきました。

こちらにある木造日蓮坐像は市内の仏像彫刻の古いもののひとつで、日蓮像としては早い時期に造立された重要な物との説明書きがありました。

続いて、同じく日蓮宗の「信隆寺」が並びます。山門をくぐると大きな本堂と左手に「日蓮上人像」が建っています。こちらにも木造日蓮坐像があり、古いもので本堂にまつられています。こちらも市の指定重要文化財となっています。

上国寺
信隆寺
信隆寺 日蓮上人像

相模川を越えてくる悪霊を見張っているという「道祖神」を見て歩いていけば、いよいよ馬入川に差し掛かります。川幅も広く、「馬入橋からの富士山と丹沢山系」が見事な眺めです。

橋中央から「相模湾方面」を見渡すとウインドサーファーが、この強風の中数多く見られました。上流側ではジェットスキーを楽しんでいらっしゃいます。真冬とは言えマリンスポーツが盛んです、ここは湘南ですからね。

橋を渡り終えると、「陸軍架橋記念碑」があります。関東大震災で馬入橋が倒壊、即日渡船が運行されたものの数日後の豪雨で流失。急遽、陸軍工兵大隊が派遣され架橋工事が開始され、その事績を称えたもの。

馬入橋からの富士山と丹沢山系
道祖神
相模湾方面
陸軍架橋記念碑

向かい側には、ホテルサンライフガーデンがあり敷地内ですが「明治天皇馬入御小休所阯碑」があります。こちらには石油と砂糖の大問屋となって成功を遂げ、屋敷の周囲に石垣を構築し、自ら石垣と称した豪商の屋敷があったそうです。

お隣に目を移すと、本日3軒目の和菓子屋さんがあるではありませんか。それも「ちょんまげ最中」なる興味深い看板。こちらは「弘栄堂」さんで、ちょんまげ最中が看板商品のお店。

明治天皇馬入御小休所阯碑
ちょんまげ最中 弘栄堂

ちょんまげの男の子の顔がデザインされた最中で、粒あんと白あんの2種類がありますが、残念ながら既に白あんは売り切れ、粒あんを買って帰りましょう。

このちょんまげですが、このような騒動からきているそうです。

祭りの帰り道、一之宮寒川神社のみこしを担ぐ若者と平塚八幡宮のみこしを担ぐ馬入村の若者がけんかを始め、馬入の若者たちが一之宮の神輿を馬入川の深瀬に投げこんでしまう事件が起こりました。

乱暴をはたらいた馬入村の若者16人は打ち首断罪の判決を受けます。処刑の日、代官は若者たちの大切な丁髷だけを斬りおとし打ち首に代えたといいます。罪を憎んで人を憎まぬ名さばきに、みんな感謝したことでしょう。

お店の裏手の方に、この丁髷を埋めたところがあり「丁髷塚」があるというので見に行きます。

丁髷塚
ちょんまげ最中

馬入の交差点に戻り、本日のゴール平塚駅方面に向かいます。交差点のすぐそばには「馬入の一里塚」が。お江戸日本橋から十五番目。北側の塚には井戸が、馬入の渡しに向かって東側に川合所や川高札があったようです。

馬入の一里塚
平塚駅

平塚駅前の交差点を左折して進めば平塚駅に到着です。駅は大きくビルには平塚駅とLUSCAの表示。ラスカ平塚は食料品、ファッション、レストランと魅力がいっぱいの駅ビルです。デパ上シリーズでレストランめぐりをしている私としては気になるところですが、時間も遅いので帰路を急ぐことにします。

富士山を眺めながらの街道歩き、歴史ある神社仏閣、美味しい和菓子屋さんが3軒も。疲れも忘れる楽しいウォークでした。次回は平塚宿の中心部を歩き、いよいよ大磯へ向かいます。行ってみたかった旧吉田茂邸や島崎藤村邸などもあるので楽しみ倍増です。

↓↓ 東海道 その8はこちら

東海道 街道を歩く その8 歴史を訪ねる シニアの健康ウォーキング 平塚→二宮
その8は平塚から大磯、二宮まで17kmの街道ウォークです。歴史を感じる平塚宿では広重の浮世絵と今も変わらない素晴らし光景に出会い、大磯では藤村や吉田茂邸など文化と歴史に触れ、美味しいお土産を手に入れることも出来ます。もちろん源氏や徳川に所縁がある神社仏閣もあり御朱印も頂けます。

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