シニアの健康ウォーキング 街道を歩く 歴史を訪ねる 甲州街道 その5 谷保→日野

日野本陣 街道ウォーク
photo by ゆう
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甲州街道 その5 谷保→日野

甲州街道その5では、谷保→青柳→万願寺→日野まで歩きます。
距離は14.1Km、所要時間は3:26時間、消費カロリー1,116kcal、歩数16,073

※画像はクリックすると拡大でご覧いただけます。

谷保→青柳

今回はJR南武線谷保駅から出発。

谷保から日野方面に向かいます。
途中街道を少し外れて万願寺方面へ寄ってみようと思います。
前回、近藤勇の出身地である調布の上石原を訪ねました。

新選組で忘れちゃいけないもう一人
土方歳三の生家を訪ねてみたくなったから。

現在記念館は閉館とのことですが、ここまで来たら寄らない手はないと思います。
甲州街道ウォークとしては、多少回り道とはなりますがお付き合いください。

谷保天満宮に向かえばすぐに甲州街道。
左手に遠藤由晴と谷保の案内ボードを見て進むと、その先には国立第一小学校の前身である「潤澤学舎跡」の案内と隣には「馬頭観世音の石碑」が。

JR谷保駅
潤澤学舎跡案内
馬頭観世音石碑

さらに進むと右奥
巨木が目に入ってきます、桜でしょうか?
臨済禅宗建長寺派宝林山「永福寺」です。
本尊は釈迦如来像で脇仏として木彫りの阿弥陀如来像と不動明王像が安置されてます。

街道沿いにある200年以上前に建てられた「元上谷保村の常夜燈」。

大正時代までは村人が、順番に毎日夕方になると灯りを灯していたそうです。
近隣住民の連帯意識、一つの物を守っていく大切さを改めて考えさせられます。

甲州街道から脇に入ると臨済宗建長寺派「南養寺」。
総門、鐘楼、大非殿、禅宗の客殿型本堂は江戸中期に建てられたものです。

街道に戻り少し歩けば「五智如来」。
仏教でいう五種類の智(大円鏡智、妙観察智、平等性智、成所作智、法界体性智)を備えた仏のことで、大日如来の別名とも言われています。

元上谷保村の常夜燈
永福寺
南養寺
五智如来

国立市に残る3つの常夜燈のうちの一つが「元青柳村の常夜燈」です。

青柳地蔵堂の先、甲州街道沿いの鳥居の先は長い参道が続いています。

こちらは「青柳稲荷神社」。
多摩川の洪水により青柳島から移住して開拓したここ青柳と日野市石田から移住したの石田の鎮守様です。

元青柳村の常夜燈
青柳稲荷神社

青柳→万願寺

青柳神社から多摩川沿いに歩いていきます。
視界が開けていますので、今日は川向うに富士山も見えます。
立川公園、野球場を過ぎて旧甲州街道に合流すれば「日野の渡し跡」。

石碑には、日野の渡しの出来たのは・・・と案内文が刻まれています。
向かい側には年代物の馬頭観音も。

私たちも多摩川を渡ります。
渡しではなく、立派な立日橋で。

上には多摩モノレールが通り眼下には多摩川の雄大な流れが、風が心地よい。
対岸へ着いてから左へ土手を少し進むと「日野渡船場跡」。

立日橋から見る多摩川下流方面
日野の渡し跡
日野渡船場跡

江戸時代、甲州街道は青柳付近から万願寺渡船場で多摩川を渡り日野宿に至っていた。

途中貞享元年、青柳より上流の柴崎から日野渡船場で多摩川を渡り、日野宿へ至る道筋に改変された。
これに伴い正式な渡しとなり、日野宿の経営となったと説明があります。

ここから少し街道からはずれてモノレール下を歩きます。土方さんに会うためです。

すぐにその名も甲州街道駅を通過して中央自動車道の高架を過ぎると、「万願寺の一里塚」が見えてきます。
日本橋から九里目にあたります。
一里塚として想像していたものより大きいです。これくらいの高さがあったんですね。

発掘調査では道に沿って、やや楕円形の直径九メートル、高さ三メートルの塚が検出されたとあります。

ここを通ったであろう、参勤交代の大名や甲州勤番、お茶壷道中の役人の姿が目に浮かびます。

多摩モノレール 甲州街道駅
万願寺の一里塚

さらにモノレール下を進むと万願寺駅が見えてきます。結構歩きましたよ。
その先の交差点を渡り右奥の住宅街にあるのが「土方歳三資料館」です。

歳三の生家は、ここより約300メートル東にある石田寺の北方にあったそうです。
こちらの資料館には愛刀や直筆書簡、池田屋事件で使用した鎖帷子などが展示されています。

残念ながら現在は長期休館中。
大掛かりな資料整理する前向きな準備期間とのことですから再開を期待しましょう。
庭先の銅像は見ることが出来ました。

土方歳三資料館
庭先の銅像
歳三の生家 土方歳三資料館|東京都日野市

来た道を甲州街道駅方面に戻ります。
途中、気になる看板が目に入ってきます。「とうふ処三河屋万願寺店」

店頭には出来立てのがんも、生揚げ、お豆腐の他、卯の花ドーナツ、おからコロッケ。

おみやげに京風がんもとドーナツ、そしていなり寿司も購入、豆乳ソフトも美味しくいただきました。

三河屋 万願寺
店内で揚げたてを
がんもが何種類も
京風がんも おからドーナツ 稲荷ずし 豆乳ソフト

万願寺→日野

甲州街道駅の先を左折して日野方面へ。
左手に見える日野警察署を過ぎれば新奥多摩街道の交差点に到着。

右手に「東の地蔵」があり、ここが日野宿の江戸口。祠前には馬頭観音があります。

日野宿は1605年八王子宿を整備した大久保長安によって開設され、「日野の渡し」を管理しました。
宿内家数は423件、うち本陣1、脇本陣1、問屋1,旅籠20軒、人口1556人と甲州道中宿村大槻帳にあります。

石造りの「有山家」(屋号「綿十」)を左手に見て進むと川崎街道入口交差点。

明治17年建立の「高幡不動道標」、高幡不動尊金剛寺は関東三大不動のひとつ。
土方歳三の菩提寺です。

東の地蔵
有山家
高幡不動道標

そしてすぐお隣、江戸から数えて10番目の宿場日野の「日野宿脇本陣」に到着です。
隣の上佐藤家と交代で名主を勤め幕末に本陣となりました。
門脇に「天然理心流佐藤道場跡」碑があります。

日野宿脇本陣の入場券は200円、都内に現存する唯一の本陣建築を見ることが出来ます。

玄関の間、広間、控えの間、上段の間など部屋ごとに装飾が施されています。
一度は住んでみたいと思わせる、日本家屋のすばらしさを感じることが出来ました。

ボランティアのガイドさんが親切に説明してくれます。ぜひ立寄ってじっくりとご覧いただくことをおすすめいたします。

日野宿脇本陣 入口門
脇本陣玄関
控えの間
歴史を感じる調度品

向かいの日野宿交流館の隣、問屋場・高札場跡。
前半は下佐藤家、後半は上佐藤家が勤めたそうです。

味噌、醤油、酒を扱う万屋の店蔵、渡邉家を見て日野市役所の交差点を左折。

少し歩くと浄土宗三鷲山「大昌寺」。
「時の鐘」は日野宿に時を告げ親しまれていたそうです。

日野駅方面に進むと「日野八坂神社」。
天然理心流近藤周助(近藤勇の養父)の門人が奉納した額があります。

上佐藤家本陣門
大昌寺
奉納額案内板
日野八坂神社

本日のゴール日野駅のすぐ前にあるのが宝泉寺。
臨済宗の禅寺で広い境内は凛とした空気が張り詰めています。
本堂には釈迦が臨終に際して横たわり、弟子や動物たちに囲まれている様子を描いた、「紙本着色涅槃図」があり、市の指定有形文化財になっています。

鳥羽伏見の戦いで戦死した、新選組副長助勤六番隊組長「井上源三郎」の墓はこちら。

紙本着色涅槃図
宝泉寺 山門
宝泉寺 本堂
宝泉寺 鐘楼

今回訪れた日野の渡し、本陣跡の建物、土方をはじめ新選組の軌跡など歴史を身近に感じることが出来る街道歩きならではの経験でした。

実際に歩いてみると日野の街は、何か懐かしさを感じられる心安らぐ街並みです。

思わず住んでみたくなる、落ち着ける雰囲気が素晴らしいところ。
駅の雰囲気も、とても気に入りました。

↓↓その6はこちら

シニアの健康ウォーキング 街道を歩く 歴史を訪ねる 甲州街道 その6 日野→高尾
甲州街道その6は日野から八王子を経て高尾まで約20kmを歩きます。浅川を渡り横山宿、八日市宿、八幡宿、千人町へ八王子の街を進みます。そして、ユーミンの実家も訪ねます。高尾へのイチョウ並木、歴史ある寺社仏閣はどれもすばらしかったです。楽しい街道歩き、今回も満足の道中でした。

↓↓街道を歩く 準備編はこちら

シニアの健康ウォーキング 街道を歩く 歴史を訪ねる 準備編
シニアの健康に欠かせないウォーキング。健康は歩くことからはじまります。でも、近所のウォーキングは飽きちゃいますね、そんな方にお薦めなのが街道歩き。お江戸、日本橋を起点に整備された東海道、中山道、甲州街道、奥州街道、日光街道の五街道では宿場や本陣跡、一里塚、由緒ある寺社仏閣など歴史を訪ねる旅も楽しめます。日帰りのコース設定で無理なくチャレンジしてみましょう。
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