鎌倉街道 街道を歩く その5 歴史を訪ねる シニアの健康ウォーキング 町田→瀬谷

鎌倉街道 街道を歩く その5 歴史を訪ねる シニアの健康ウォーキング 町田→瀬谷 街道ウォーク
Photo by ゆう
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鎌倉街道 その5 町田→瀬谷

鎌倉街道その5は、町田→瀬谷
距離は15,5Km、所要時間4:08時間 23,107歩、消費カロリー2,578kcal

※画像はクリックすると拡大でご覧いただけます。

※スマホでも読みやすいように、改行が多くなっております。PCでは少々見づらくなっていることをご了承願います。

町田→南町田

前回のゴール小田急町田駅から出発。「原町田大通り」から旧町田街道へ入ると賑やかな商店街です。すぐ左手に「浄運寺」の石柱が見えますので奥に進みます。

日蓮宗の寺院で創建は1577年、日明が開山、矢部淡路を開基として草庵が建てられたのが始まり。境内の墓地には、原町田村代々の名主であった武藤氏の墓が並び、典型的な名主墓地となっています。境内は広々として気持ちがいい空間で、癒しの休憩スペースも用意されていました。

原町田大通り
浄運寺 本堂

また、かつて名主武藤家を襲って討ち取られた野盗を弔うために建てられた「武藤塚」もあります。毘沙門天を祀っており、「原町田七福神めぐり」の一つにもなっています。

稲荷神社もあります。地域住民の厚い信仰を受けていた浄運寺が、五穀豊穣や後に広まった商売繁盛、家内安全の神として広く親しまれていた稲荷神を、寺の守護神・鎮守として祀ったと考えられます。

浄運寺 日蓮上人像
浄運寺内の稲荷神社

旧町田街道を進み大通りへ進みます。左奥の近代的なタワーの上に金色の相輪のようなものが目に入ってきます。こちらが「勝楽寺」で浄土宗の寺院、創建は1573年に源蓮社光誉上人を開山、三橋新右衛門を開基として創建されました。本堂には阿弥陀三尊像(町田市指定文化財)が祀られています。

原町田七福神の寿老人(じゅろうじん)も祀ってあります。目に入ったタワーは無量寿の塔、地上9階地下1階建てという巨大な納骨堂でした。

勝楽寺 無量寿の塔
勝楽寺 山門
勝楽寺 本堂

JR横浜線方面へ歩いていくと、線路に架かる陸橋の先に大きな鳥居が見えてきます。こちら、「町田天満宮」は町田三天神の一つで、ご祭神はご存じ菅原道真公。創建は1580年前後と推測されています。

境内には 神の使いとされている「撫で牛」が奉納されています。自分の具合の悪い部分と同じ箇所を撫でると病気や怪我が治るとか。

町田天満宮 鳥居
町田天満宮 撫で牛

現在の社殿の隣には、明治27年(1894年)に再建された「旧社殿」が境内社として残されています。祀られている神様は、金比羅宮(大物主神)、八雲社(素戔嗚尊)、西ノ宮(恵比寿神)、聖徳太子が合祀されています。

原町田七福神の恵比寿神も祀られています。境内には、千本鳥居(約10本ですが)が連なる出世稲荷社があり、仕事運や出世を願う人々の信仰を集めています。

町田天満宮 拝殿
町田天満宮 旧社殿

住宅街を進んでいくと「金森杉山神社」です。ご祭神は日本武尊(やまとたけるのみこと)、創建は江戸時代前期の1683年。この地域の旗本であった高木伊勢守の一族が、下屋敷内に守護神として社殿を造営・奉斎したのが始まりと伝えられています。

境内には樹齢数百年とされる「タブノキの巨木」が御神木として聳え立っており、静かな威厳を与えています。境内には、古くから祀られていた稲荷社(末社)があります。鳥居をくぐった左手には、庚申塔など様々な石塔類が集められており、地域の歴史を伝える貴重な場所となっています。

金森杉山神社 鳥居
金森杉山神社 拝殿とタブノキ

左手に緑に包まれた小高い丘が見えてきました。稲荷神社の小さな祠も祀られている金森天神山ふるさとの森です。こちらにあるのが「金森天満宮」。比較的小さな祠と鳥居、社号標、そして菅原道真公の歌碑などがあり、きれいに管理が行き届いていました。古くから地域に親しまれてきたことがうかがえます。

金森天満宮 鳥居
金森天満宮 祠

境川の鶴金橋を渡れば神奈川県、歴史を感じさせる山門は「泉龍寺」です。南北朝時代には既に存在した浄土宗の「西光庵」という堂宇からが始まりと伝わっています。永禄年間(1558年頃)に、雪天透瑞(せってんとうずい)和尚らによって曹洞宗に改宗され、「泉龍寺」と改称。

ご本尊の木造釈迦如来坐像は、北条高時の持仏であったものが、北条氏滅亡の際に家臣によってこの地に運ばれたと伝えられています。

開創430年記念事業として建立された「三重塔」は、総高約22メートルの木造で、塔内にはご本尊である釈迦如来坐像が安置されています。荘厳な姿は、境内のシンボルとなっています。

泉龍寺 山門
泉龍寺 三重塔
泉龍寺 本堂

境川へ戻って町田線から途中左方向、旧道に入ると「常楽寺」が右手に見えてきます。曹洞宗の寺院で、ご本尊は薬師如来。武相寅歳薬師如来霊場の第20番札所となっています。本日は町内のイベント会場になっておりビンゴゲームの真っ最中!人であふれていましたので参拝は遠慮させていただきました。

境川 鶴金橋より
常楽寺

先へ進むと左手高台への階段と鳥居が見えてきます。林の中にひっそりと鎮座する神社は「町谷八坂神社」。御祭神は素戔嗚尊(すさのおのみこと)ですから、疫病退散と勝運のご利益が得られそうです。鶴間熊野神社の境外社のようですね。

すぐお隣が、その「鶴間熊野神社」です。鎌倉街道上道沿いあり、かつて鶴間村の鎮守として地元で大切にされてきた歴史ある神社。御祭神は伊邪那岐命、伊邪那美命、古事記の国生みに登場する主役の神様です。

町谷八坂神社
鶴間熊野神社 鳥居

創建は不詳ですが、熊野信仰が盛んになった数百年前、紀伊国の熊野本宮大社から勧請して祀られたと伝えられています。現在の権現造りの社殿は、1971年に再建されたもの、朱塗りの拝殿が鮮やかで立派。

大通りに出ると国道16号線、この大和・保土ヶ谷バイパスの幹線道路を横断。陸橋からは訪れた大山がよく見えました。

鶴間熊野神社 拝殿
国道16号 遠く大山が望めます

南町田→瀬谷

続いて鶴間パークウォークを歩きます。東急田園都市線を過ぎると南町田グランベリーパーク、緑あふれる公園の横を気持ちよくウォーキング。まもなく国道246号線、陸橋の先に見えてきた寺院は「圓成寺」。

戦国時代に創建された、長い歴史を持つ浄土真宗本願寺派のお寺。ご本尊は阿弥陀如来立像、創建は1538年頃と伝えられています。開創者は後北条氏綱に仕えていたこの地の領主、山中修理亮(やまなかしゅりのすけ)が出家し、空存(くうぞん)と名乗って当寺を開創したとされています。

町田市指定有形文化財となっている聖徳太子立像が安置されています。これは室町時代後期(寄木造、高さ52.2cm)に造られたとされる貴重な仏像です。 境内には、大きな桜の木やイチョウの木があり、緑が多いのが特徴です。多摩の浄土真宗寺院には珍しく、大きな鐘楼が立っていることでも知られています。

国道246号 奥が圓成寺
圓成寺 本堂

246号方面へ戻り境川に架かる鶴間橋を渡り先へ進むと、旧鎌倉街道「新田義貞進撃の路案内」が立っており旧道が残されています。すぐ先は「大山阿夫利神社御分霊社」があり義貞の進軍ルートの案内と「新田義貞像」が祀られています。大山街道沿いの重要な場所にあり、以前大山街道歩きの際にも立ち寄った場所。

御祭神は大山祇大神、大雷神、高龗神、いずれも、大山阿夫利神社の御分霊。江戸時代、大山詣でが盛んだった頃、この場所は街道沿いの下鶴間宿に入ってすぐの地点。旅人が、ここで道中の無事を祈願し、草鞋を履き替えるなどの準備をした場所と伝えられています。

新田義貞進撃の路案内
大山阿夫利神社御分霊社
新田義貞像

交差点に戻り「観音寺」を参拝しましょう。こちらも大山街道沿いの歴史的なスポット。高野山真言宗の寺院、ご本尊は十一面観音菩薩、 創建年代は不詳ですが、戦国時代の1532年~1555年頃と推定されています。

観音寺は霊場の札所として知られています。ご本尊の十一面観音菩薩は秘仏であり、12年に一度、卯年の4月にのみ御開帳されます。

寺院に伝わる厨子と木造地蔵菩薩半跏像が、大和市の重要文化財(有形文化財)に指定されています。この地蔵菩薩像は、室町時代末期頃の造像とされています。当初は「金亀坊(きんきぼう)」と称していたと伝えられており、境内には「金亀坊稲荷」が祀られています。

観音寺 山門
観音寺 本堂
観音寺 金亀坊稲荷

246号を再度横断して、工場が並ぶ道を東名高速方面に進みます。東名のガード下をくぐると「八幡社」(相州瀬谷 若宮八幡宮)が高台に鎮座しています。その名の通り「勝運の神様」として信仰を集めている神社で幟に、勝運の文字が見て取れますね。御祭神は応神天皇(誉田別命)で瀬谷村北部の鎮守として祀られていました。

戦国時代の1558年~1569年頃、この地域の旧家である岩崎氏の祖、岩崎丹後守が勧請したと伝えられています。東名高速道路の高架が神社のすぐ横を通っているのは珍しい光景ではないでしょうか。

「八幡社」(相州瀬谷 若宮八幡宮) 鳥居
「八幡社」(相州瀬谷 若宮八幡宮) 拝殿

次に登場する街道沿いのお寺は古い歴史を持っている日蓮宗の「妙光寺」。ご本尊は三宝尊、瀬谷八福神の大黒尊天が祀られています。創建は古く、元々は天台宗の寺院で福昌山 明光寺と称していました。

1282年、甲斐国身延山から常陸国へ湯治に向かう途中の日蓮聖人が瀬谷の地に着かれ、この妙光寺に一泊されました。この一夜の教化(説法)を受け、当時の住職であった文教阿闍梨は感銘を受け、日蓮宗に改宗。これにより、寺名も現在の蓮昌山 妙光寺と改められたとのことです。

妙光寺 参道
妙光寺 山門

梵鐘は、鎌倉時代の1325年に鋳造されたもので、神奈川県指定重要文化財。元々、青葉区恩田町にあった廃寺(万年寺)の鐘でした。瀬谷区の昔話に面白い話が載っていたので紹介します。碁を楽しんでいた万年寺の通周和尚と山田伊賀入道経光が碁ではなく「法論」で勝負をすることになります。

結果は経光の勝ち、約束通り賭けた梵鐘を引きずりながら妙光寺に持ち帰り寄進します。しかし、万年禅寺にあった時のような良い音が出ません。ものさびしげな涙声で泣くような音色なのです。恩田(オンダ)の寺へ帰りたくて「ゴーオンダ」と鳴るそうです。供養したのですが音は元には戻らなかったとか。何だか、いいお話。

妙光寺 本堂と日蓮上人像
妙光寺 ゴ―オンダと鳴る?梵鐘

街道を進むと路は三差路、ここにいらっしゃるのが「北向き地蔵」です。鎌倉古道のルート上ですから、旅人や地元の人々が往来する場所。道しるべのような役割も果たしていたんでしょうね。お地蔵様としては珍しく、北を向いて祀られており、小さな三角地帯のお堂の中に鎮座しています。

一般的に、お地蔵様は南向きや東向きに建てられることが多いのですが、お地蔵様が面している南側に、かつて罪人の処刑場跡であったと伝えられています。そのため、この地蔵尊は、処刑場跡に背を向け、霊を鎮めるために、あえて北向きに建てられたと言われているそうです。

北向き地蔵
北向き地蔵

左手に見えてきた山門は「善昌寺」。室町時代から続く歴史を持つ浄土宗の寺院で本尊は阿弥陀如来、瀬谷八福神の恵比寿神を祀っています。

創建は室町時代末期1555年~1557年、甲斐の武田氏の支族であった岩崎丹後守が相州瀬谷郷に土着した際、單冏上人(たんきょうしょうにん)を開山として創建したと伝えられています。

ご本尊である阿弥陀如来は「雨乞い阿弥陀」と称され、江戸時代から昭和初期にかけて、日照りが続いた際に雨乞いの祭事がこのお寺で行われていたという歴史があります。

善昌寺 山門
善昌寺 本堂

道幅も狭くなり旧道らしくなってきて、大きなお屋敷が登場です。「瀬谷銀行跡」の案内があります。瀬谷銀行は、明治時代から昭和初期にかけて、地域の経済を支えた重要な金融機関。

1907年小島政五郎(瀬谷村の村役)により創業されます。瀬谷村周辺で非常に盛んになった養蚕業と製糸業、養蚕農家や製糸工場に対し、生糸などを担保にした資金提供を行い、地域の発展に貢献しました。

銀行の本店は、創業者の小島政五郎の自宅に置かれました。跡地には、開業当時の建物などがそのまま現存していると言われています。 広い敷地を持ち、生垣や屋敷林に囲まれており、かつての裕福な地主の邸宅の面影を今に伝えています。

現在は個人の邸宅となっており、通常は中に入って見学することはできません。門の外に設置された案内板のみが、地域の歴史を伝える史跡として管理されています。

瀬谷銀行跡 板塀が続きます
瀬谷銀行跡 

中屋敷地蔵尊を過ぎると、旧家が残されており街道沿いの木々も保存されています。旧街道らしい景観が続き、生垣のある農家に昔の農機具等が展示されています。やはり、木のぬくもりは癒されますね。

旧道らしい景観
旧道らしい景観 農家の納屋も

左手に「瀬谷神明社」の案内が見えてきました。瀬谷地区で最も格式の高い神社の一つとされ、天照大御神を祀っています。皇室の祖神であり、国家安泰、開運招福、五穀豊穣など旧称鶴間村の総鎮守として祀られていました。創建年代は不詳ですが、1192年に源頼朝公が鎌倉に幕府を開いた頃に、伊勢神宮の神霊をこの地に分祀したのが始まりと伝えられています。

瀬谷神明社 鳥居
瀬谷神明社 拝殿

街道は住宅街の中へ続きます。しばらく進むと右手に参道が続いています。「日枝社」は、瀬谷地区の鎮守の一つで御祭神は伊邪那岐命・伊邪那美命です。創建年代は不詳ですが、現在の地に移されたのは1651年とされています。山王信仰に基づき、近江国の日吉大社の分霊を勧請して祀られたものです。

大きなケヤキはご神木で樹齢約300年と推定されており、 かながわの名木100選、横浜市の名木古木に指定されています。すっかり落葉したケヤキには宿り木と思われるものも見られました。

日枝社 鳥居
日枝社 拝殿
日枝社 大ケヤキ

道祖神を過ぎてしばらく進むと「徳善寺」の石柱が左手にあり参道へと続きます。戦国時代に創建された古い歴史を持つ曹洞宗の寺院で、ご本尊は釈迦如来。

徳善寺 山門
徳善寺 本堂

毘沙門堂があり「瀬谷八福神」では毘沙門天を祀っています。毘沙門天は元々、仏教の守護神である四天王の一尊であり、武神として特に勝負事にご利益があるとされています。創建は戦国時代の1504年~1521年に開かれたと伝えられています。

徳善寺 毘沙門堂
徳善寺 道元禅師像
相鉄 瀬谷駅

徳善寺を後に、近くの相鉄本線瀬谷駅に向かい本日も無事終了。四時間のロングウォークでしたが、思ったほど疲労感はありません。旧街道らしい由緒ある神社仏閣が多くみられ、旧家も残されていたせいでしょうか?心と目の保養になりました。満足度が高く、アップダウンも少ない歩きやすいルート。次回はお隣の大和駅から出発です。

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