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鎌倉街道 街道を歩く その1からその5 所沢→瀬谷を前編としてkindleにて出版しました。甲州街道から始めたkindle本も12冊目。ブックスタイルは、縦スクロールで一気見が出来るので、時間がある時にながめて楽しんでいます。
◎今回、12冊目を記念して鎌倉街道 前編の無料ダウンロードキャンペーンを実施します。ぜひ、ご覧ください。読了後、コメントは無しでも構いませんので、評価の星マークだけでも付けていただけると嬉しいです。なお無料期間は、4/2(木)の17:00から4/5(日)の16:59までの3日間となります。よろしくお願いいたします。
最近はAIの進歩も著しく「NotebookLM」に、はまっています。web記事やブログの要約はもちろん、図でまとめてくれる「インフォグラフィックス」や動画やスライドの作成までやってくれます。

今回、私の鎌倉街道歩きの前編として、その1からその5まで紹介シナリオを作ってもらいました。このようなシナリオに合わせた動画や画像を加工してYoutubeを作成している方もいらっしゃるそうです。確かに便利だし、時間の節約にもなる。私もAIが作成した紹介要約シナリオで、まとめ記事を作ってみることにしました。
ブログのリンクを投入するだけ、5分くらいで作ってくれるスピード感、もはや人では絶対に真似できないレベル。仕事に応用すればコスパは爆上がりだし、自分がやるべきことに集中できそうです。中間管理職は確実に要らなくなりますね。このようなAIの時代が来るなんて・・・私が現役じゃなく、定年後で良かったです。
イントロダクション:歴史を歩く喜びと健康への誘い
皆様、こんにちは。本日は私と一緒に、悠久の時を刻む「鎌倉街道」を歩いてみませんか。歴史散策ガイドとして、皆様を中世武士たちが駆け抜けた情熱の跡へとご案内いたします。
今回辿るのは、鎌倉街道の中でも「上道(かみつみち)」と呼ばれる主要ルートです。幕府の御家人が「いざ鎌倉」という緊急時に一刻も早く駆けつけるために整備された、いわば中世のハイウェイですね。元弘3年、新田義貞公が鎌倉幕府を打倒すべく進軍したのもこの道です。
一歩一歩踏みしめるこの道には、武士たちの決意や人々の祈りが今も息づいています。五感を研ぎ澄ませて歩くことは、認知症予防や健康維持にも繋がる、素晴らしい「心と体の養生」です。それでは、所沢から瀬谷まで、歴史の息吹を感じる旅へ、穏やかな心で踏み出しましょう。
鎌倉街道 その1 所沢〜新小平(義貞挙兵と古戦場)
最初の区間は、武蔵野の面影を残す戦いの跡地を巡ります。まずは本日のウォーキングの目安をお伝えしましょう。この区間の距離は約12.6km、歩数にして15,223歩ほど。消費カロリーは1228kcalに達します。なかなかの運動量ですが、歴史を楽しみながら歩けば、足取りも軽くなるはずです。
西武所沢駅を出発し、住宅街を抜けると「勢揃橋(せいぞろいばし)」が見えてきます。橋の下を流れる川面を眺めてみてください。新田義貞公がここで軍勢を整えた際、武具が触れ合う音が響き渡っていたかもしれません。
ここから八国山緑地へ足を進めましょう。急な階段を登りますが、無理をせず、木漏れ日の中で木々の香りを胸いっぱいに吸い込んでみてください。尾根にある「将軍塚」は、義貞公が旗を立てた場所。ここで深呼吸をすると、勝利を信じた武士たちの熱気が伝わってくるようです。
山を下れば「久米川古戦場跡」です。今は閑静な住宅街ですが、かつては幕府軍と新田軍が激突した緊迫の地でした。「徳蔵寺」の「元弘の板碑」には、この戦いで散った齋藤氏三人の供養の跡が刻まれています。義貞公が戦勝を祈願したとされる本尊の前で、静かに手を合わせてみてはいかがでしょうか。
さて、足を進めると「九道の辻」に到着します。かつては鎌倉街道や江戸道など9本もの道が交差する交通の要所でした。ここには「迷いの桜」という古木があり、義貞公が道に迷ったという伝説が残っています。博識な皆様なら、この複雑な分岐点も当時の軍略の一部だったと頷かれることでしょう。
道中、名物の武蔵野うどん「ますや」の薪を燃やす香ばしい匂いや、東村山駅前の「志村けんの像」など、親しみやすいスポットも楽しみながら、歴史の重みを感じてみてください。

鎌倉街道 その2 新小平〜分倍河原(天平の官道と恋ヶ窪の悲恋)
続いて、さらに古い時代へと遡り、悲恋の物語が残る宿場へと向かいます。この区間は14.6kmと少々長めです。約18,040歩、926kcalを消費する行程となります。心拍を一定に保つよう、リズミカルに歩いていきましょう。
この区間の大きな見どころは「東山道武蔵路(とうさんどうむさしじ)」の遺構です。奈良時代に造られたこの古代官道は、道幅が12メートルもありました。現代の車道よりも広いその道幅に、当時の国家の壮大な土木技術と権威が偲ばれます。
「恋ヶ窪」の「姿見の池」では、少し足を止めてみましょう。澄んだ水面に自らを映した遊女・夙妻太夫(あさづまだゆう)の伝説が残っています。彼女は、恋い慕う畠山重忠が「西国で討ち死にした」という、別の男がついた嘘の報せを信じ、この池に身を投げたのです。しっとりと濡れた緑の中で、その悲恋に思いを馳せると、歴史の裏側にある故人の感情が胸に迫ります。
さらに進み「武蔵国分寺跡」へ。聖徳太子の教えが息づくこの地で、新田義貞公との意外な繋がりに出会えます。分倍河原の戦いで一度焼失したこの寺の「薬師堂」を、1335年に再建・寄進したのは義貞公その人なのです。戦乱の時代にあっても、信仰を重んじ、文化を再興しようとした武将の気概を感じずにはいられません。

鎌倉街道 その3 分倍河原〜多摩センター(幕府滅亡を決定づけた激戦地)
旅は中盤、鎌倉幕府滅亡の決定打となった激戦地へと入ります。距離は12.7km、歩数は17,741歩。消費カロリーは1106kcalです。
分倍河原駅前で馬を駆り、刀を振りかざす新田義貞公の像。その圧倒的な迫力をご自身の目でご覧ください。ここ「分倍河原」という地名、一説には土壌が悪く収穫が少なかったため、公地(口分田)を「倍」に給したという「分倍(ぶんばい)」が由来とされています。人々の苦労が地名に残っているのですね。
「髙安寺」には、源義経を慕った弁慶が、赦免を祈願する写経のために墨をする水を汲んだという「弁慶硯の井戸」が残されています。足利尊氏ゆかりのこの寺で、源氏の歴史が交差する不思議な縁を感じてください。
多摩川を越えて関戸へ向かう途中、右手の旧道にある「沓切坂(くつきりざか)」に差し掛かります。進軍の際、あまりの険しさに義貞公の馬の蹄鉄(沓)が切れたという伝説が残る坂道です。皆様も足元に注意して、当時の進軍の困難さを体感してみてください。
戦いの歴史に触れた後は「関戸熊野神社」へ。ここには全国でも珍しい桃の神様「意富加牟豆美命(おおかむづみのみこと)」が祀られています。イザナギノミコトが黄泉の国から逃げ戻る際、桃の力を借りて厄を払ったという神話に由来します。不老長寿のパワーを授かり、健康への感謝を捧げて次の一歩を踏み出しましょう。

鎌倉街道 その4 多摩センター〜町田(里山の原風景と井出の沢の戦い)
多摩の丘陵を越え、武蔵と相模の境を目指します。距離は13.3km、14,490歩、995kcalの道のりです。
「小野路宿(おのじしゅく)」へ一歩足を踏み入れれば、そこには黒塀の家並みが広がっています。まさに「日本の原風景」と呼ぶにふさわしい静寂が、歩き疲れた心を癒してくれます。ここは新選組の近藤勇らも通った道、歴史の重なりを感じます。
坂を下ると「伝鎌倉井戸」が見えてきます。義貞公が軍勢を進める際、喉を潤すために掘らせたといわれるこの井戸。現在は湧水こそ止まっていますが、軍勢を気遣う指揮官の姿を今に伝えています。
その先の「井出の沢古戦場」では、北条高時の遺児・時行が足利直義を破る激戦が繰り広げられました。一時的に鎌倉を奪還した時行の、幕府再興をかけた執念の地です。「花の寺」として知られる「宏善寺」の仁王門や、学問の神様を祀る「菅原神社」の凛とした空気を感じながら、町田の街へと進んでいきましょう。

鎌倉街道 その5 町田〜瀬谷(宿場の名残と不思議な梵鐘)
いよいよ今回の終着点、神奈川県へと入ります。本日の最終区間は15.5km、23,107歩というロングウォークになります。消費カロリーは2,578kcal。この歩みのすべてが、皆様の血管を若返らせる糧となります。
「町田天満宮」で、神の使いとされる「撫で牛」の像に触れてみてください。ご自身の少し疲れを感じる部分を撫でれば、天神様のご利益で癒されることでしょう。
境川を渡って相模の国へ。「妙光寺」にある梵鐘は、鎌倉時代の1325年に鋳造された歴史あるものです。かつて別の寺にあったこの鐘を鳴らすと、故郷の恩田へ帰りたがって「ゴーオンダ(恩田へ帰りたい)」と鳴り響いたという不思議な伝説があります。民話の温かさに触れ、心が和みますね。
さらに進むと「北向き地蔵」がいらっしゃいます。通常はお地蔵様は南を向くものですが、南側の処刑場跡に背を向け、亡くなった方々の霊を鎮めるためにあえて北を向いているのだとか。その慈悲深さに静かに手を合わせましょう。
ゴールの瀬谷駅近くには「瀬谷銀行跡」が残されています。ここはかつて養蚕・製糸業で栄えたこの地域の経済を支えた場所。黒い板塀の続く立派な佇まいは、生糸の担保融資で繁栄した当時の栄華を今に伝えています。

エンディング:一歩一歩が歴史になる
所沢から瀬谷まで、長い道のりをお疲れ様でした。皆様の足で辿ったこの数十キロの道は、かつての武士たちが命をかけて駆け抜けた道であり、同時に皆様がご自身の健康と丁寧に向き合った輝かしい記録でもあります。
歴史の跡を辿ることは、単なる知識の習得ではなく、私たちの心に豊かな栄養を与えてくれます。今日という日の一歩一歩が、皆様ご自身の新しい歴史となって刻まれました。心地よい疲れとともに、充実感に浸ってください。
次回の旅は、神奈川県内、大和方面へと続いていきます。また皆様と一緒に、風の音を聞きながら歴史の息吹を感じられる日を、心待ちにしております。これからも健やかに、歴史の道を一歩ずつ歩んでまいりましょう。















