甲州街道 その4 上石原(調布)→谷保
甲州街道その4では、上石原→東府中→府中→谷保まで歩きます。
距離は13.8Km、所要時間は3:47時間、消費カロリー1,551kcal、歩数17,312
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上石原(飛田給)→常久
今回は京王線飛田給駅から出発です。
前回訪れた飛田給薬師堂を左に見て旧甲州街道を更に西へ進みましょう。
まず、嘉永5年建立の常夜燈が右手に見えてきます。
竿石手前に秋葉山大権現、左側は諏訪大明神と刻まれているのが分かります。
火事が起きないよう村人の暮らしを守りと夜道の安全のために設置された常夜燈。
約170年前の建立ですから刻まれた文字は削れており歴史を感じます。
更に進むと山門が、天台宗神明山観音院、通称染屋観音。
開山当時は深大寺の隠居寺として高僧が住職をされていたそうです。
本尊は秘佛十一面観世音菩薩 、門前には馬頭観音や地蔵尊も。
すぐお隣が下染谷の神明社。
こちらの入口にも秋葉山と刻印された常夜燈、イチョウ並木の先に鳥居が見えます。
そして白い社殿が迎えてくれました。
下染谷の地名由来の碑も、諸説ありますが布染めに関係した地名なんですね。
街道を横断して白糸台通りを京王線の方へ進みます。
品川街道、京王線を横断すれば右手が浄土宗八幡山本願寺、本尊は阿弥陀如来像。
薬師堂には「車返開運薬師如来」が安置されています。車返は村落名。
奥州藤原氏との戦いの折、源頼朝の命により秀衡の持仏であった薬師如来を鎌倉に移送中、夢告により、この地に仏像を安置し車を返したことが車返の由来とのこと。
車返とは変わった名前だと思っていたのですが、これで納得。
京王線白糸台駅から品川道まで戻ると庚申塔道標。
そして旧甲州街道まで進み観世音菩薩像を拝み、向かいの染谷不動尊に。
こちらは新田義貞が鎌倉攻めの際に陣中の守護仏であった金銅製阿弥陀如来立像が本尊です。
立派な説明碑があります。
甲州道に戻ると、常久八幡神社、旧常久村の鎮守さま。
常久という地名、起こりは人名によるようです。石碑の説明書きがありますのでご参照ください。
ここから多磨霊園駅の方へ進むと、常久の一里塚跡。
府中教育委員会の丁寧な説明看板が設置されています。
江戸初期に日本橋から七里のところに設けられた一里塚の跡と伝えられているそうです。
さて、ここから府中を目指します。
常久→府中
東府中駅を過ぎて踏切を渡り府中競馬正門駅方面へ進むと八幡神社です。
武蔵国府八幡宮、聖武天皇の時代、一国一社の八幡宮として創建されたと伝えられており祭神は応神天皇。
国府の守護神として建立されたので本殿は国府の方角である西向きになっています。
府中競馬場を左に見ながら進みましょう。近くで見ると大きいですね。
駅前には「砂漠を駆け抜ける金色の馬」アハルテケの像、馬術用の品種で現在も競技で活躍しています。
先へ進むと左手に普門寺。
本尊の薬師如来は目の薬師様と親しまれ毎年9月12日にはお目玉を供えに訪れるんだとか。
お目玉?二つの白いお団子のようです。
街道に出ると新宿標石。いよいよ府中です。
府中宿は四百三十軒、本陣一、脇本陣二、問屋三、旅籠が二十九軒、生糸を扱う商家が軒を連ね、鎌倉街道を控えて大いににぎわったそうです。
ケヤキ並木が見えてきました。歩道脇にケヤキ並木馬場寄進碑があります。
ケヤキ並木は源頼義、義家父子が奥州安部一族を平定し、戦勝の礼に苗木千本を大國魂神社に寄進。
馬場大門のケヤキ並木両側の歩道部分はかって馬場であり、徳川家康が寄進したもの。
「馬場大門」の名称もこれに由来しています。道を挟んで万葉の歌碑もあります。
向かい側には大きな大國魂神社の鳥居が。武蔵国の総社で東京五社の一社。
残りの四社は、明治神宮、東京大神宮、靖国神社、日枝神社となります。
将軍家より武蔵國最大の五百石の朱印地を賜りました。
例大祭のくらやみ祭りは関東三大祭りのひとつ、八基の御輿が暗がりの街を練り歩きます。
境内には本殿の他、宝物殿、神楽殿、北条政子が安産を祈願したとされる宮乃咩神社や東照宮もあります。
あの甲陽鎮撫隊も戦勝祈願し額を奉納したとあります。御朱印を頂いて先を急ぎましょう。
先を進むと宿場の一部であった神戸碑、問屋場跡の蔵造りの中久本店が見えてきます。
交差点の反対側には高札場、府中高札場は甲州街道、川越街道及び相州街道が交差する府中宿の中心を占める場所です。札掛けは屋根を有しており六枚くらいの高札が掛けられたと言われています。
番場宿碑を見ながら、時宗 古木山 諏訪院 長福寺に向かいます。
一遍上人が開山、鎌倉時代より府中の街に栄えたお寺。
街道に戻ると鹿島坂碑。大國魂神社例大祭の「国造代奉幣式」を鹿島田家が担っていたため、この坂を鹿島田坂と呼んでいたことに由来との説明書き。
そして少し歩けば高安寺。六地蔵を右に見ながら総門をくぐり、右手にそびえる山門へ進みます。
正面には観音堂、そして本堂へ。藤原秀郷の館跡に足利尊氏が全国に建立した安国寺の一つ。
弁慶硯の井や秀郷稲荷など歴史的に興味深い見どころ満載の寺院です。
府中→谷保
北側の片方だけが発達したことに由来する集落、片町碑。
高安寺の弁慶伝説に由来している弁慶坂碑を見ながら進むと本陣門。
内藤家冠木門は府中宿矢島本陣の表門を移築したもの。
本宿町に入ると秋葉大権現常夜燈、向かい側が熊野神社です。
社殿の裏には上円下方墳があります。
獅子宿碑、村上天皇より獅子三期が下賜され谷保天満宮に獅子舞が奉納されたことに由来とあります。
幕府の馬医者を勤めた本田家の門を過ぎると、またしても秋葉山常夜燈。
向かいは関家のかなどこ跡です。
関家は、鋳物三家(矢澤、森窪、関氏)の一家と言われ、江戸時代から明治初期まで鋳造を業としており、梵鐘、仏像の他鍋釜など日用品も製造していたとあります。
そして次の交差点が本日のゴール谷保天満宮となります。
由来については、菅原道真の第三子三郎道武がここに流され三郎殿を建立したこと、道武公の末裔である津戸三郎為守が霊夢を見て南天神島より遷したことなどが天満宮略縁記にあるそうです。
東日本最古の天満宮で、湯島天神、亀戸天神とならび関東三天神の一つです。
参道は石段を下りていく形となります。下り宮と呼ばれ珍しいことだとか。
この石段を下り右手に参道がのびており立派な拝殿が見えてきます。
天神信仰の道真公と関係が深い牛がこちらにも鎮座しています。
御朱印は梅の花や巫女さんが描かれた素敵なデザインです。
お抹茶や合格ゼリーなどが人気ですが、 合格まんじゅうを買って帰ります。
この歳で何に合格するのかは不明ですが、受験生がんばれの応援の気持ちも込めて美味しくいただきます。
今回も無事終了。けがもなく楽しく歩けました。
これも街道歩きというか寺社仏閣巡りになりつつあるこの旅のご利益でしょうか。
次回はいよいよ日野へ向かいます。
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