東海道 街道を歩く その6 歴史を訪ねる シニアの健康ウォーキング 戸塚→藤沢

東海道 街道を歩く その6 歴史を訪ねる シニアの健康ウォーキング 戸塚→藤沢 街道ウォーク
photo by ゆう
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東海道 その6 戸塚→藤沢

東海道その6は、戸塚→大坂→藤沢を歩きます。
距離は16,4Km、所要時間は4:42時間 20,988歩、消費カロリー1046kcal

※画像はクリックすると拡大でご覧いただけます。
※スマホでも読みやすいように、改行が多くなっております。PCでは少々見づらくなっていることをご了承願います。

藤澤 遊行寺

戸塚→大坂

前回の終了地まで電車で戻ってスタートする街道歩きは、JR戸塚駅からスタートです。
ここまで来ると、自宅からは1時間以上かかるのですが、電車の中で地図を確認したり立ち寄りポイントをチェックしたりと、これも楽しいひと時です。

西口を出ると広々とした高架歩道。ペデストリアンデッキなんてオシャレな呼び方が似合う都会的な戸塚駅。

デッキを下って、国道1号線を右方向に少し歩けば坂の上に浄土宗「清源院」が見えてきます。

家康側室「於万の方」の開基、於万の方の法号が清源院です。本尊は家康から拝領した歯吹阿弥陀如来。本堂の屋根や扉には葵のご紋が燦然と輝いています。

清源院 本堂
芭蕉句碑

句碑には奥の細道の文中の一説と、「世の人の見つけぬ花や軒のくり」がありました。「はせを」と刻まれています。毘沙門天、他にも心中句碑という古い石碑や青面金剛明王もいらっしゃいます。

テレビ番組の影響もあると思いますが、私のまわりでも俳句を詠む方が増えています。私もブームに乗り遅れちゃいけないとばかり挑戦してみたんですが、全く浮かんできませんでした。

もっと心が揺り動かされる経験と素直な気持ちを持ちなさいということなんでしょう。季語の勉強もね。

街道歩きをしていると、よく出会うのが徳川家康と松尾芭蕉。戸塚でも早速巡り合うことが出来、幸先良いスタートです。

国道を進むと「内田本陣跡」。戸塚宿には本陣は二つ、ここ内田本陣は間口が32,8mもあり畳数は152畳もあったそうです。そしてもう一つの本陣、「澤邊本陣跡」です。こちらの当主澤邊宗三は戸塚宿開設にあたって幕府に強く働きかけた功労者。明治天皇戸塚行在所阯もあります。

内田本陣跡
澤邊本陣跡

敷地の一角には戸塚宿の鎮守「羽黒神社」がありますので参拝していきましょう。
本陣跡の横の参道を進むとイチョウが色づいて見事です。社殿は赤い屋根に古木の柱と彫刻が心を和ませてくれる落ち着いた造りで、狛犬も良い感じ。

羽黒神社
羽黒神社 本殿

すぐ横が臨済宗の禅寺「海蔵院」です。立派な山門と左甚五郎作といわれる龍の彫刻が出迎えてくれました。創建は南北朝期といいますから650年ほどの歴史がある寺院です。鐘楼には立派な鐘、二回三百円とあります。

私の目に留まったのは「六地蔵」。今まで多く見てきましたが横一列ではなく二列は初めて。体育の授業の「前へならえ」思い出しちゃいました。何だか可愛いい感じがしてこれも良いですね。

海蔵院 山門
海蔵院 六地蔵

続いて国道沿いに「八坂神社」があります。通称「お天王さま」として親しまれている戸塚宿の鎮守。

夏祭りに行われる「お札まき」は市の無形文化財に指定されている踊り。無病息災を祈願するもので、江戸時代中期には江戸や大阪で盛んにおこなわれていたそうです。今は、戸塚宿だけに伝え残されていることに歴史を感じますね。境内には明治天皇東幸史跡もあります。

八坂神社
八坂神社 本殿

戸塚の総鎮守、勝負開運、厄除け神社の「富塚八幡宮」の鳥居と本殿に続く階段が右手に見えてきました。

社殿後方の富属彦命の古墳で、これを富塚と称したことで戸塚の地名が発祥したと伝えられています。地名には色々な由緒がありますが、住んでいた有力者の名前から来ているものも多いですね。

こちらにも「芭蕉碑」があります。「鎌倉をいきて出でけむ初松魚(かつお)」。鎌倉から戸塚を通ってかつおが運ばれていたんですね。光景が目に浮かび、新鮮さが伝わってきます。

富塚八幡宮
富塚八幡宮 本殿
富塚八幡宮 芭蕉碑

道路を挟んだ反対側の少し奥の方、急な階段の脇に「秋葉神社」、「諏訪社」の案内があります。登って行くと、鳥居が見え、奥にあるのが諏訪社。質素で小さな祠がひっそりと建っていました。鳥居手前を右に行くと秋葉神社の本殿があります。

国道に戻り、下郷入口の交差点を過ぎると「上方見附跡」、戸塚宿の京方の出入り口。京に向かって左が松、右に楓の木が植えられています。

「諏訪社」「秋葉神社」
上方見附跡

さらに進めば街道は「第六天神社」、「坂木稲荷社」と続きます。第六天魔王を祀る神社として創建された天神社には藤行翁之碑があり、石碑のひび割れは見事に修復されていました。

すぐ先、右手の細い石段を上ると坂木稲荷社の鳥居と小さな祠が木々に囲まれて鎮座しています。

こちらは上方見附の先なので戸塚宿のはずれとなります。そんな場所でも稲荷社があるのですから昔の方は信心深かったのですね。立派な社殿より手作り感もあり大切にされていることが伝わってきます。

第六天神社
坂木稲荷社

大坂→鉄砲宿

いよいよ登り坂になってきました。街道沿いに「庚申塔」が並びます。単体や祠に祀られているものは見ますが、青面金剛像に三猿がずり並んだ光景は圧巻です。

ここから「大坂」、「大坂碑」があり一番坂登り110mあまり、二番坂登り54mあまりと書かれており、1853年にこちらで仇討があったとの表記もあります。

坂道はなだらかで、道幅も広く気持ちよく歩くことが出来ます。これは改修工事のお陰で昔はもっと急だったようです。「松並木」もあり富士山の眺めも素晴らしく多くの浮世絵の画題となっていました。

なだらかとは言え、住民の方は日々通勤等で歩いたり自転車の乗ったりと大変なことは想像に難くないですね。

大坂
庚申塔
大坂松並木

大坂上を過ぎて国道に合流、さらに進み環状3号を超えると左手には大きなマンションが続きます。その終わりのマンション横に位置するのが「お軽勘平戸塚山中道行の場碑」。丹沢の山々が見渡せるポイントです。

歌舞伎「仮名手本忠臣蔵」で勘平がお軽を足が痛まないかと優しくいたわるシーンが、ここら戸塚道中であるらしいことから碑があるとのこと。勘平は「鎌倉を出てやうやうと、ここは戸塚の山の中、石高(いしだか)道で足は痛みはせぬやか」と問います。

その1で、泉岳寺に立ち寄ってきただけに、赤穂浪士の話はより興味深く聞けるようになりました。武士道、忠義、親孝行、兄弟愛、男女の色恋など忠臣蔵には沢山の物語が詰まっていますね。今の時代、もっとも必要な事かもしれません。

お軽勘平戸塚山中道行の場碑
丹沢の山が一望

街道歩きは吹上の交差点を過ぎて「原宿の一里塚跡」までやって来ました。江戸から十一番目の一里塚で吹上の一里塚ともいわれ、当時は松の木が植えられていたそうです。

向かい側に見える鳥居は「浅間神社」、登りの参道が奥へと続いています。鳥居の脇にはかなり古い庚申塔が並んでいます。

一里塚近くの街道沿いにあったことからも多くの旅人が立ち寄り拝んでいった事でしょう。間の宿で立場茶屋もあったそうですから賑わっていた様子が伺えます。

参道を登っていくと大きな椎の木があり、その奥に社殿があります。数々の彫刻が見られる、原宿村の鎮守だけあって立派な造りでした。

浅間神社 椎の木
原宿の一里塚跡
浅間神社 参道
浅間神社 本殿

社殿に何やらうごめくものがありビックリしましたが、よく見るとリスのようです。器用に柱を登っていきます。残念ながら写真は撮れなかった、結構素早い動きです。

調べてみると鎌倉からこの辺りはタイワンリスの被害が増えているそうで、見た目が可愛いだけに困った問題です。

先に進むと浄土宗のお寺、創建が1596年の「大運寺」です。境内の池の中にあった弘法大師作といわれる石地蔵が本堂に移されています。幅広の階段、重厚な彫刻、金文字の扁額と堂々たる本堂。

歩道橋脇には「庚申塔」、青面金剛像、石塔群です。右の石碑には湯殿山、月山、羽黒山の名が見て取れます。供養塔のようですね。

大運寺
庚申塔

鉄砲宿→藤沢

この先、ラジオなどの渋滞情報で頻繁に名前が出てくる原宿の交差点です。湘南に波乗りに行く際、横浜新道から大渋滞に巻き込まれながらもよく通った道。まさか、ここまで歩いてくるとは夢にも思っていなかったあの頃が懐かしい。

昔は松並木であったとされる街道を歩き「龍長院参道口」へ。室町時代に堅心和尚が開山した龍長庵をその後改築し龍長院と改めたもので入口を示した不動明王像があります。

影取町の交差点をさらに先へ歩いていくと、横浜市名木古木指定の大きな「クスノキ」が見えてきます。こちらが「諏訪神社」で周辺が鉄砲町と呼ばれていたことから武神の諏訪神社を勧請したとの説明がありました。

藤沢バイパス入口の交差点で国道1号線と分かれて旧東海道は左へ進みます。歩道が整備され、松並木も出てきて街道らしくなってきました。「鉄砲宿」の案内があります。

諏訪神社 クスノキ
龍長院参道口
諏訪神社
鉄砲宿 案内

池に住み着いた大蛇がほとりを歩く人の影を食べて飢えを凌いでいたが、食べられた人はどんどん弱っていき、この池を影取池と呼んで恐れるようになりました。

この大蛇を鉄砲で退治した漁師が住み着いたところを、鉄砲宿と呼ぶようになったそうです。影取とか鉄砲とか地名にも歴史と理由があるんですね。

この大蛇ですが、もともとは長者の家に住んでいて、「おはん」という名前まで付けられて可愛がられていたそうです。しかし、長者の家が没落したため「おはん」は長者に迷惑はかけたくないと近くの池に去っていった結果、最後は撃たれて退治されたという少々悲しいお話でした。

街道は遊行寺坂上交番を過ぎ、緩い坂道を下っていきます。しばらく歩くと「藤沢の一里塚跡」、遊行寺坂の一里塚です。江戸から12里目、今は残っていませんが左右とも榎が植えられた一里塚だったとありました。

長い石段が左の丘の上の方へ続いています。こちらが創建723年の「諏訪神社」。遊行寺を創建した呑海上人が諸国遊行の際に信州諏訪から勧請した遊行寺の守護神として祭られた神社とのこと。

日本固有の神への信仰と大陸から伝来した仏教が結びついてできた状況、いわゆる神仏習合の歴史です。今でも行事として残っているといいますから、歴史ってやっぱり大切なんだと改めて感じました。

街道の松
藤沢の一里塚跡
諏訪神社 参道の階段
諏訪神社 本殿

神社の前には「江戸方見附跡」があります。いよいよここから藤沢宿です。

宿場入ってすぐ、時宗総本山の「遊行寺」があります。この遊行寺の門前町として発展したのが藤沢宿。江の島、鎌倉、大山への行楽や参詣の旅人も多く、さぞかし賑わっていたことでしょう。

正式名称は、藤澤山 無量光院 清浄光寺、遊行四代呑海上人の開山以来、遊行寺の名で親しまれています。宗祖「一遍上人」は自身の所有物は持たず、すべてを捨てて、ただ念仏を唱えて全国各地を回り念仏札を配ったといいます。踊り念仏を教科書で習った記憶が甦りました。

遊行寺 本堂
遊行寺 中雀門

1325年に創建された遊行寺は総本山として立派なものです。「一遍上人像」をはじめ、「本堂」、地蔵堂、「黒門」、「中雀門」、「放生池」、大銀杏は樹齢700年だそうです。惣門をくぐって登る参道はいろは坂と呼ばれ素晴らしい景観。

訪れた日は「うまみちキモノ盆祭2023」が開催中。盆踊り&LIVEや縁日、キモノウォークが行われており活気に満ちた開かれたお寺のイメージでした。まさしく令和の踊り念仏という感じでしょうか。

遊行寺 一遍上人象
遊行寺 黒門
遊行寺 放生池
遊行寺 御朱印

惣門から遊行寺橋に向かう途中あるのが火除け地を意味する「藤沢広小路」、日本三大広小路の一つと言われているそうです。この一角に「ふじさわ宿交流館」があります。「高札場」、館内には藤沢宿の模型や街並みの様子、街道歩きの資料も置いてあります。

ふじさわ宿交流館
高札場

真赤な「遊行寺橋」を渡り右折して街道を進むと蔵造りの真っ黒な重厚な建物が見えてきました。国登録有形文化財の「桔梗屋」さんです。江戸の頃から茶や紙の問屋を代々営んでいた旧家。

通常は内部非公開ですが、今日はラッキーなことに、ガイドさんが親切に説明と中を案内してくれて、昔の看板、仏間や奥の座敷も見ることが出来ました。昔のガラスをそのまま使っているガラス戸も残っています。今のガラスと違って向こうがゆがんで見えるところが時代を感じます。

遊行寺橋
桔梗屋
桔梗屋 昔の看板
桔梗屋 座敷

藤沢宿本陣跡、飯盛旅籠の小松屋、坂戸町問屋場跡の標識を見ながら街道を進み、左手にある浄土宗寺院、「常光寺」に向かいます。

境内には多くの木々が生い茂っており、本堂前に二本並ぶクスノキ、左奥のかながわの名木100選に選定されている樹齢推定300年の「カヤノキ」は立派なもの。

お隣は、飯盛旅籠小松屋の主人の墓と飯盛女の墓で有名な浄土真宗の「永勝寺」。

街道に戻って、道路を渡り奥へ進むと「妙善寺」。日蓮上人が佐渡遠島の刑の際、途中休息されたというお寺。この日から真言密教の真蔵院から法華道場になったという由来です。本陣を務めた蒔田家のお墓があります。

南妙法蓮華経の石柱を左に見て、山門をくぐると大きな銀杏の木。境内は広々としており本堂も大きく立派な造り。左手には「正宗稲荷大明神」がありお狐様が迎えてくれます。あの名刀正宗に所縁があるようです。

常光寺 カヤノキ
常光寺 クスノキ
妙善寺
正宗稲荷大明神

大通りの藤沢町田線に出て源義経公をおまつりする「白旗神社」へ向かいます。白旗は源氏の旗ですね。

白旗川にかかる御典橋を渡り、鳥居をくぐります。奥州平泉で自害した義経の首は腰越で首実検がなされ、夜の間に弁慶の首と一緒にこの神社へ流れ着きます。そこで、頼朝の命で白旗明神として、この神社に祀るようにとの伝承。

白旗神社 御典橋
白旗神社 参道

石段途中には源義経公鎮霊碑があり、石段を登りきると、見事な彫刻と源氏の紋章「笹竜担」が施された本殿に到着。この「ささりんどう」の紋章、下向きの葉は笹に似ているからとの名称で笹ではないそうです。
日本の家紋は、あの限られたスペースに見事に収まっている素晴らしいデザインの物が多いと思います。「笹竜胆」、バランスが良く、なんとなく品格を備えている感じで好きな紋章です。

拝殿の彫刻が見事です。義経の首が亀に乗って辿り着いた伝承からでしょうか、拝殿正面には亀の彫刻。

白旗神社 拝殿
白旗神社 亀の彫刻が
白旗神社 御朱印

この石に触れると健康になり病気しないという弁慶の力石、まだ新しいですが、鳥居の横には「義経と弁慶の銅像」があります。義経公没後830年の記念事業として建立されました。

街道に戻って、マンション奥の本町公園に行くと「源義経首洗井戸」があります。白旗川を流れてきた義経の首を、この井戸で洗い清められたと伝えられています。この首洗い井戸というのも有名人が祀られている神社の近くに多く見られますね。

白旗神社 義経と弁慶の銅像
源義経首洗井戸

本日はこれにて終了。藤沢本町駅はすぐ近く、小田急線で新宿に向かい帰路に就くことにします。アップダウンが続く17km弱のウオークでしたが清々しい気持ちです。

戸塚、藤沢宿共に神社仏閣が多く点在し村人や旅人の信仰が厚かったことが伺えます。現在に至るまで建物や風習が守られてきているお陰で、令和の今も時代を超えて参拝が出来、歴史の重みを感じることが出来る事に感謝です。

改めて、今の自分がここに在るのは、両親、祖父母、そして代々のご先祖様のお陰であり、未来は過去の上に成り立っていることを再確認できる街道歩きになりました。

街から離れた街道歩きは景色も良くて気持ちがいいです。この調子で、次回は平塚宿をめざします。

↓↓ 東海道 その7はこちら

東海道 街道を歩く その7 歴史を訪ねる シニアの健康ウォーキング 藤沢→平塚
東海道 街道を歩く その7 歴史を訪ねる シニアの健康ウォーキング 藤沢→平塚
その7は藤沢宿から平塚宿まで18kmの街道歩きを楽しみます。神社仏閣はもちろん美味しい和菓子にも出会うウォーク。関東富士見100景では、その名のとおり素晴らしい富士山の眺望に出会い、歴史ある神社仏閣も多く尋ねることができます。サザンやユーミンを口ずさめば、そこは茅ケ崎です。

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