日光街道 その10 間々田→小山
日光街道その10は、間々田→小山を歩きます。
距離は15,7Km、所要時間4:32時間 23,517歩、消費カロリー1954kcal
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間々田→神鳥谷
前回終了の地、間々田駅に向かいます。高崎線に乗車したので大宮で宇都宮線に乗り換え。大宮駅は東北・山形・秋田・上越・北陸と新幹線5路線の駅で、駅構内はエキュートはじめお店が充実しています。めずらしい玄米食堂があります、こちらでヘルシーな朝食を頂きます。
玄米食堂「あえん」1999年の創業以来、こだわり続けた美味しい玄米と野菜を使い、素材が活きた料理と心地よい空間を提供いたしますとあります。朝定食は、お豆腐、鯖味噌に、とろろ、野菜のお浸し、漬物、黒豆にさつま芋、そしてなめこ汁と豪華、これで770円、駅構内なのに良心的ですね。
玄米は少々苦手なのですが、白米もブレンドされた「二八玄米」なので問題なく美味しく頂けました。お家でも玄米を取り入れたいと思います。
お腹も満たされて間々田駅にむけて出発、車内で食後休憩タイムです。間々田駅に到着、前回見落としていた駅前の「蛇がまいた」の像をチェックしてウォーキングのスタートです。
前回の折り返し地点、間々田ひものお店を過ぎてすぐ「乙女屋」下野風土菓という魅力的な看板が目に入ってきました。歩き始めて草々ですが、引き寄せられるように入店。甘い香りと共に美味しそうなお菓子が綺麗に陳列されています。栃木特産のかんぴょうのジャムが入った「るかんた」、マドレーヌ、バウムクーヘンと目移りしてしまいます。
「自家製ジェラート」もあるではありませんか、それもハロウィン割引、ストロベリーソルベ、ピスタチオもいいけど、ブルーベリーヨーグルトに決定。お店のテラスで頂きましたが、抜群の美味しさ、そして大盛で大満足。元気いっぱいで再出発です。
街道は「間々田宿問屋場跡」、「間々田宿本陣跡」へとやってきました。昔の面影はなく案内の解説板のみ、日光社参や参勤交代の時は近隣の農村から人馬を集めたとあります。本陣は青木家が代々務め明治天皇も休憩されたそうです。後方に大きな敷地のお家があり青木とあります。今もこの地で家を守られていらっしゃるんですね。
左手に「八幡宮の鳥居」と参道が続いていますが、社殿はかなり奥の方なので後で立ち寄ることにして、少し先の「浄光院」へ向かいます。山門は鐘楼門、二階部分は年代を経ていますが一階部分は修繕されていて新しい造り。
これは珍しいパターン、修復の苦労が見て取れます。このように建築物を守っていくことは大切なこと、日本が誇る巧の技ですね。観音堂もあります、本堂にお参りして街道へ戻ります。
向かいに、「行泉寺」の寺標と山門です。浄土真宗のお寺で本尊は阿弥陀如来、鐘楼も立派で親鸞聖人七百五十回大遠忌記念建立事業の碑があります。親鸞聖人像も参拝者を見守ってくれています。
このあたりで間々田宿も終わり、街道から外れて奥へ続く参道を進み「間々田八幡宮」へ向かいます。前方に広がる自然豊かな境内、これぞ鎮守の杜と呼ぶにふさわしい景観、二万坪もあるそうです。
創建は約千二百年前、平将門征討の藤原秀郷、陸奥の藤原泰衡征討の源頼朝も戦勝祈願に訪れています。右手に広がる弁天池、奥には大きなひょうたん池が。境内には「頼朝手植えの松」、力石、「樹齢250年夫婦杉」があります。
池のほとりの芭蕉句碑には有名な「古池や蛙飛こむ水の音」が刻まれています。厳島神社、八龍神社、雷伝神社など6つの摂社・末社も祀られており、「拝殿の彫刻」も見事。社殿の再建には東照宮大修理にあたった宮大工さんということですから納得。狛犬も時代を経て威厳が増しています。
「浅間神社」に向かいます、古墳の頂上に祀られているというから珍しいですね。村社の道標と「千駄塚古墳の石柱」が立っています。古墳は正確なことは分かっていませんが6世紀代の物といわれているそうです。墳丘の直径は70m、高さ約10m、参道の先の神社は墳丘の頂上まで階段が続いています。登りの参道途中に、山神社、雷電神社と続き、拝殿に到着、天満宮も祀られています。
街道はたびたび登場する「長屋門」を構えたお宅を通過して、「粟宮の交差点」までやってきました。地酒、若盛というしゃれた看板が目に飛び込んできました。歴史が感じられる長屋門には「杉玉」も吊るされています。
蔵造の建物は造り酒屋、明治5年創業の「西堀酒造」で直売所があります。蔵内は昔の面影が残っており腰を落ち着けて飲みたくなる雰囲気。若盛、門外不出や冷蔵貯蔵庫、コイン式6種類の「試飲コーナー」も、酒好きにはたまらない光景です。
な、なんと720ml、10500円の純米大吟醸「門外不出」を試飲もできるようデス!が、先は長いので試飲は我慢してお土産買って先を急ぎましょう。これ以上ここに留まるのは危険です。
お隣は「大橋訥庵旧居跡」、坂下門外の変への関与を疑われ伝馬町牢屋敷に投獄され、その後病没との案内板があります。街道は4号線を進みますが、途中旧道の痕跡がのこる箇所があります。旧道といっても日光街道ですから、それなりの道幅はありますね。
小山市街が近づいてきました。国道4号線と別れて旧道はまっすぐ進み市街地への道路案内が出てきました。市街へ入る前に街道を少し離れて「安房神社」の鳥居をくぐり長い参道を奥へ進みます。
先ほど訪れた「間々田八幡宮」同様、大きな杜に囲まれている神社。こちらの緑あふれる常緑針葉高木はモミの木、極相林を作り群落となっており天然記念物、御神域として大切にされています。
延喜式には「阿房神社」として記されており、栃木県内にある「延喜式内社」十二社の一つ、崇神天皇代の創建で仁徳天皇代に再建されたと神社由来に書かれています。森を背景とした拝殿は見ていて非常に気持ちよく森林浴パワーも頂ける場所、彫刻類も素晴らしい作品です。
戦勝祈願に訪れた藤原秀郷も森のパワーをたっぷり得たことでしょう。親子狛犬も微笑ましくていいですね。お賽銭箱の奥、おみくじの横に書置きの御朱印がありますので頂いていきます。
街道に戻り歩いていくと、またまた立派な「長屋門」を構えるお屋敷です。管理維持するのが大変だと思いますがいつまでも残していただきたいですね。
保存樹木だった「ムクノキの切り株」が柵に囲われて残されています。大きな切り株は長らく街道を見つめてきたムクノキの存在を今に伝えています。祠もあったようですが形はなくなっていました。
神鳥谷→小山
国道50号線の高架をくぐると小山宿もすぐ。交差点には神鳥谷の文字、「しととのや」と呼ぶそうで(ひととのや、とも呼ばれる)、難読地名。神の鳥の谷とは、ありがたい名前です。
左手の鳥居には「天満宮」の扁額、参道の先に拝殿が見えます。境内にはかなり古い「十九夜塔」がありました。天満宮の他、稲荷神社と雷電神社も祀られており村社の格式を頂いている神社です。
左手に見えてきた鐘楼門は「持宝寺」、772年に弓削道鏡が開基と伝えられている寺院。道鏡といえば平将門、足利尊氏とともに日本三悪人なんて称されることもありますが、男性には少々うらやましい風説がありますね。
真義真言宗とありますが真言宗の宗派の一つで根来寺を総本山としています。みなさんご存じの暴れん坊将軍、八代将軍吉宗公も日光社参の際に休息されたお寺です。
梵鐘には天皇の名前「孝謙天皇」が刻まれていたため大戦中の金属供出をまぬがれたそうです。寛政四年(1792)に鋳造されたもので、戦前に作られた市内で残る唯一の梵鐘、境内に安置されています。大きな庭石と本堂、綺麗なお庭が印象的でした。
街道は小山宿に入ってきました、片側一車線の交通量も少ない雰囲気がある街道が続きます。
街道沿いには「須賀神社」の大きな社標。赤の常夜灯がずらりと並び、銀杏並木の参道が奥へと続いています。石畳の参道わきの整備された歩道を進みます。途中、右手に入り「現聲寺」(げんしょうじ)に立ち寄ります。東海道藤沢宿で参拝した遊行寺が総本山の時宗のお寺です。総本山と同じ冠木門、そして「一遍上人像」が迎えてくれます、開基は、よく登場する藤原秀郷公。
住宅街を少し歩いていくと「小山酒造酒水取水の井戸」がありました。明治期にこの地で酒を醸造していた「近江屋」で使われていたものとの案内、途中にも酒蔵がありましたが小山は地下水が豊かな土地なんですね。
須賀神社へ向かう途中に「妙建寺」がありますので参拝して行きましょう。建武元年(1334)、成就院日念聖人により建立された日蓮宗の寺院です。山門は明治時代の建立、境内には日蓮聖人像、本堂には百人一首の天井画があり「百人一首をひろめる会」が開催され見学ができるようです。天井画は枝垂桜とともに「おやま百景」に選定されています。
「二の鳥居」が見えてきました、「神門」が大きく見事なものです。「須賀神社」は藤原秀郷が天慶の乱に際し戦勝を祈願、成就することが出来たので、京都の八坂神社から勧請しました。天慶の乱とは、関東での平将門の乱、瀬戸内海での藤原純友の乱の総称です。家康も小山評定を開き勝利を祈願した開運の神社なんです。
神門には仁王様ではなく神様が鎮座されています。拝殿右手には「御神木のもみの木」、樹齢800余年とあります。南門をくぐると、小山朝政・義政の碑と「七ツ石(夜泣き石)」があります。七ツ石は小山城内にあったのですが落城によって結城の城主に接取されます。すると夜中に小山の地を懐かしんであわれげに泣いたとのこと。小山城は廃城になったため鎮守の須賀神社に戻され、泣かなくなったという話が伝わっている。
本殿裏手に8つの摂社・末社が祀られています。境内には他にも、神楽殿、藤原秀郷碑などを有する開運神社にふさわしい規模の「須賀神社」。人生の勝利祈願をして先へ進みます、ご利益が期待できそうですね。
広々とした敷地の中に聳え立つのは小山市役所、駐車場の中に「小山評定跡碑」があります。上杉景勝を討つべく、ここ小山に到着した家康は、三成が兵をあげたと聞き軍議を開きます。関ヶ原の合戦に結び付く歴史上重要な場所、秀忠をはじめ本多、井伊、福島、山内、黒田、浅野、細川、加藤、蜂須賀、オールスターの面々と同じ場所にいるかと思うと感慨もひとしおです。
すぐ隣が「小山御殿広場」に続いており、徳川将軍家の日光社参の際の休憩宿泊所として設けられた場所、広いわけです。当時は周囲に堀が廻り土塁が二重に築かれていました。今は市民の憩いの場所、遮るものが何もない緑のじゅうたんは本当に気持ちがいいものです。
少し先は「思川」観晃橋、祇園坂へと続きます。橋の手前、右手の坂道を登れば城山公園、小山城址となり、春は桜、秋は紅葉の名所、高台からの思川と日光の山並みの眺めが素晴らしい。
街道に戻る途中、天台宗の古刹「興法寺」の桜並木の参道を進みます。本尊は阿弥陀如来、849年も前に慈覚大師三世円仁により妙楽院と号したのが始まり。小山城築城に伴い場内に移転、徳川家光から朱印で九石の寺領が寄進されたとあります。山門を入ると朱色の鐘楼が印象的、本堂もさることながら、手入れが行き届いた庭が心地よいお寺。
街道まで戻り東北本線の方へ渡ると村社の社号標、「愛宕神社」です。敷地も広く、拝殿は四段上がったところに鎮座、歴史ある神社の証として大きな切り株が祀られています。また迎えてくれる狛犬もかなりの年代を経たもので風格が感じられますね。
駅に向かって歩いていくと、時宗の寺院「光照寺」の入り口です。鐘楼、本堂柱は朱色に塗られており、境内には一遍上人像があります。ずいぶん古い宝篋印塔もありますが、山門不幸とありましたので次へ急ぐことといたします。
街道を挟んで、「元須賀神社」の扁額がかかった鳥居が見えます。先ほど参拝した須賀神社が当初祀られていた場所ということです。歴史ある神社ですから、移転元もしっかりと祀られています。コンパクトにまとめられており、これはこれで、ありがたみが感じられる祠です。
街道を小山宿の中心に戻ってきました。「若松脇本陣跡」や「問屋場」「控本陣」があったとされる場所です。脇本陣跡には玄関の唐破風の屋根が残されています。明治天皇が巡幸の際、行在所として利用されており、御駐輦(ごちゅうれん)の碑もあります。現在は銀行や呉服屋さんなど商店街になっています。
小山駅の近くにあるのは鎌倉時代創建の浄土宗の寺院「常光寺」。十王図、増上寺住職の祐天上人百万遍の数珠、阿弥陀如来像が小山市の重要文化財に指定されています。この阿弥陀如来像の台座後部には戊辰の役の小山の戦いで幕府軍の流弾が命中、傷跡をとどめているそうです。
本堂の前には「廿三夜堂」があります。二十三夜の月は勢至菩薩の化身と考えられています。二十三夜の他、十五夜や十九夜など月待行事が数多くあり集いの場でもありました。
本日はここまで、「小山駅」に向かいますが最後に商家を利用した造りの「思季彩館」に立ち寄ります。小山市まちの駅との案内があり、地元の新鮮な野菜、ヘルシーなお惣菜やお弁当、8種類のクラフトビールも冷えています。
本日のゴール「小山駅」に到着です。東北新幹線、東北本線の他、両毛線、水戸線が乗り入れているターミナル駅だけあって大きく駅ビルも充実しておりお土産のお買い物にも便利です。和菓子屋さんがありました。「蛸屋総本店」さんに寄ってみましょう。
インスタには元禄11年仙台の地で伊達政宗公より命名とある老舗。お菓子で蛸とは面白い、つかみはokです。種類が多くて目移りします、洋菓子もありますね。カスタードをスポンジで包んだ「みかもの月」、女性に人気の鳴門金時を小豆餡で包んだ「大開運」、お店の名がついている「たこ壺最中」を購入しました。
おみやげといえば、途中パッケージに惹かれて手に取ったのが「桜あんぱん」。ずっしり重くて思わず買ってしまいました。佐野名物とあります。佐野ラーメンは有名ですがあんぱんは知らなかった。調べてみると1936年創業の老舗のパン屋「ナカダのパン」の看板メニューだそうで、桜の香りとこれ以上詰めようがないと思われるあんが特徴。甘さ控えめで、パンの下には桜の葉が敷かれている名物の名に恥じないあんぱんです。
日本橋を出発して今回で10回目。日光街道を歩く、シーズン1はこれにて終了となりました。奥の細道でおなじみ芭蕉の痕跡が多く残る街道筋、関東武士の戦いの歴史、古河公方、関ケ原の戦いに通じる小山評定や徳川家日光参拝。
日光街道も多くの神社仏閣や名所旧跡など歴史に触れあう充実のウォークでした。自分の足で歩き、自分の目で確かめる街道歩きは、心身健康の秘訣です。
甲州街道に始まり、中山道、東海道、日光街道と続けてきた街道歩き。この後、シーズン2として甲州街道を相模湖から山間の街道を甲府に向けて進むか、都内の歩いていない川越街道など五街道以外を歩くか、二回目の秩父三十四か所札所巡りへ出発するか、楽しい悩み事がしばらく続きそうです。