大山街道 その4 鷺宮→青葉台
大山街道その4は、鷺宮→青葉台
距離は13,1Km、所要時間3:36時間 16,385歩、消費カロリー1464kcal
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鷺宮→荏田宿
「鷺沼駅のロータリー」に出ると、ドトール、ケンタッキー、リトルマーメイド、マクドナルドが並びます。最近覚えた店内テーブルからのモバイルオーダーを使いたくてマックで遅めのモーニング、今までのようにカウンターの前で迷いながら焦ってオーダーしたり、待つ必要もないので本当に便利になったと実感しています。
今日は青葉台が目標のゴール、この辺りは土地勘が全然ないエリアなだけに、どんなところか楽しみです。前回に続き、早速坂道が目の前に見えてきました。今回もアップダウンを覚悟して「八幡坂」を下っていきましょう。
程なく国道246に出て右折したところに祠が見えてきました。石仏が2体祀られている「阿弥陀堂」、年代的にも古そうな地蔵尊と阿弥陀如来さまは穏やかな顔立ちでいらっしゃいます。阿弥陀さまには1688年の銘があるそうです。
246を進み鷺沼2丁目の交差点を左に入ると住宅街が続きます。緩やかな坂道を進んでいくと旧大山街道となります。舗装された道から旧道の雰囲気が残る道幅も狭い良い感じの街道に変わりました。
この辺りは高台になっていて、造園業の皆川園さんの敷地が拡がり建物もなく眺めがよく気持ちがいいウォークが楽しめます。これくらいの道幅が歩いていてほっとします。
街道は「うとう坂」とよばれる下りになってきました、そして「血流れ坂」という恐ろしい名前の坂道を更に下ることに、因みに坂の名前の血は鉄分が多い土地のため赤い水が流れるからとのこと、血ではないらしいので安心しました。
坂を下りきると大通りに出ますので、少し右手に歩き横断歩道を渡ります。旧大山街道、旧鎌倉道の道路表記となり、横浜市営地下鉄ブルーラインの高架をくぐって先へ進みます。
住宅街の中、左手に小高い茂みが現れました。「霊泉の滝」の看板、雨乞いすると必ず雨が降りましたとの案内の先には石の壁があって水が溢れ出ています。パワースポット的な雰囲気が感じられる不思議な場所。2体の不動明王に守られた取水用の竹筒から霊水が汲めるようになっていました。
滝の横には結構急な石段が続いています。石段の上にあるのは「老馬鍛冶山不動尊」、転ばないように慎重に狭い階段を上ります。坂の上は広々とした広場になっており本堂とお稲荷様が祀られていました。
大きな木々に囲まれた落ち着ける境内はきれいに整備されています。周辺の住宅街の方々で守られているオアシスという感じでしょうか。
先ほどより更に慎重に階段を下り再び住宅街へ、一般家庭のガレージに大山街道の案内シールが見られます。街道歩きの身には、この1枚があることで安心感が得られ大変ありがたい事なんです。ご協力に感謝です。
「早渕川」に出て、ここから川沿いを散策となります。先の「鍜治橋」を渡ると、いよいよ「荏田宿」に入ります。下宿、中宿、上宿に分かれており35軒のお店と宿があったといわれる江戸から七里、江戸を発ってから一日目の宿場です。私たちの4回分が昔の旅人は一日で歩いたということですから頭が下がります。
荏田宿→青葉台
橋を渡ると「庚申塔」が道標として祀られています。江戸中期に下宿の婦人たちによって建てられたものとの案内があります。ここが宿の入り口、「荏田宿の案内看板」があり、屋号を残している家も多数あるそうです。途中蔵が残されたお屋敷もありましたが現在はこの通りに昔の面影は見られませんでした。
旧街道から少し左手に入っていくと高台に真言宗の「真福寺」があります。本尊の木造千手観音立像は県重要文化財で平安末期の作だそうです。客仏の木造釈迦如来立像は国の重要文化財で鎌倉時代の作、境内は広々としておりお堂も素晴らしい造りです。山門前には「庚申塔」と3体の時代を経た石仏が大切に祀られていて歴史が感じられる真福寺でした。
街道に戻り進むと246に出ます、横断すると上宿。街道は左折となり右手に木々に覆われた丘陵が見えてきました。こちらは「荏田城跡」で麓には敷地の大きな家が並んでいます。
源義経に仕えた江田源三広基の居城であった等、諸説あるようですが時代的には平安時代まで遡る古い城のようですね。東は鎌倉街道、南に大山街道ですから重要な拠点だったのでしょう。
一旦246に出ますが、すぐに右方向旧大山街道が続きます。分岐点には、金網の向こう側で分かりにくい場所ですが「庚申供養塔」がひっそりと佇んでいました。東名高速の高架下を進むと「江田駅」」が見えてきます。
この先、田園都市線の線路沿いが旧大山街道となっています。線路沿いから右方向へ街道は続き、住宅街の中を進むと地蔵堂下の交差点に到着、多くのお地蔵さまが迎えてくれます。ここ、「市ヶ尾竹下地蔵堂」は階段上に地蔵堂があり、大六天の石塔や石仏、稲荷社もあります。ご本尊の地蔵菩薩像は弘法大師作と伝わっているそうです。
少し先の日野往還道沿いに明治時代の建物として「旅籠綿屋」が残されており、趣がある造りは街道の雰囲気を味わえます。大山街道との交差点ですから昔は賑わったことでしょう。
総合庁舎の交差点を渡ると葛飾北斎が描いた大山詣のすごろくに登場する「川間橋」に到着。「鶴見川」に架かるこの橋、昔は三文橋と呼ばれ三文の渡り賃を取ったんだとか。
街道は緩やかな上りになって、少し先には「田中屋跡」。柿の木台田中屋と建物に表示されていますが現在はお店はやっていない様子。将軍家光を治療したと伝わるマムシ治療を販売していたそうです。敷地は広く裏手には蔵もありました。
住宅街を進むと民家の庭に「一里榎」がみえます。まだ新しい新築住宅の玄関横に保存されており、樹齢六百年の伝承ありと書かれていました。
さらに緩やかな上りが続き住宅街を歩いていくと右手に「医薬神社」が見えてきました。通り沿いの階段を上がると神社の裏手、「道祖神と地神塔」が祀られており左大山道と書かれているのが見て取れます。こちらから正面にまわることにしましょう。
住宅街の中にある公園といった感じで綺麗に整備されています。狛犬や灯篭、社号標も比較的新しく全体的に整った感じの神社ですが歴史は古いようです。戦国時代末期に創建された醫王山薬師院東光寺の境内に醫薬神社として祀られたのが始まりでご祭神は大国主命。地域住民から大切にされている神社、醫王山の「醫」薬師院の「薬」で醫薬神社というわけですね。
奥にはゴルフのショートコースが見えてきて、コース沿いを歩きます。しばらく街道を下っていくと突き当りになり正面の和菓子屋さんが目印です。いちご大福の幟に誘われて菓子匠「若野」に立ち寄ってお買い物。
いちご大福と道明寺の桜もち、緑鮮やかなくさもち、かわいいイラストが描かれたマシュマロをお土産に。因みに推しは横濱どら焼きと最中のようです。丁寧な仕事が感じられ優しいお味で和菓子にうるさい妻も大満足でした。こちらは藤が丘店、青葉台に本店があります。
前方は藤が丘の駅ですが、今日はもう一駅分歩きます。この辺りは道は複雑で旧道も残っていないので246まで出てみることにしました。出発した三宅坂(赤坂)から27kmの道路標識があり今日までの道のりを実感。「さいかちはし」が見えてくれば、まもなく青葉台駅です。
青葉台は初めて来ましたが、大規模な住宅地の中に建つ駅らしく大きくて商店も充実、東急スクエアが拡がるターミナル駅です。バス路線が多くロータリーが大きい。駅の近くに日本料理の「梅の花」がありました。我が家の近くのはビルの中に入っているお店ですが、こちらは茂みの中に佇む料亭の趣でいい感じ、豆腐懐石が食べたくなります。
新しく開発された住宅街と古くからの街道の両方を歩く、新旧が共存する発見が多いコースでした。荏田宿は当然ながら周りの住宅街とは全く違う趣がありますし、歴史ある神社仏閣も残っています。北斎も描いているように、このあたりからの丹沢方面の眺めはすばらしかったことでしょう。
次回は江戸から9里の長津田宿へ向かいます。