東海道 その3 蒲田(梅屋敷)→鶴見
東海道その3は、梅屋敷→鶴見を歩きます。
距離は15,2Km、所要時間は4:08時間 17,704歩、消費カロリー956kcal
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蒲田(梅屋敷)→川崎宿
京急梅屋敷駅を出発してしばらく国道歩きとなり、まずは「梅屋敷跡」へ。
江戸時代に和中散(道中の常備薬)の売薬所の敷地に梅の木数百本と花木を植え、東海道の休み茶屋を作ったことに始まり、明治天皇は五度行幸されています。
観梅のときに小梅を一株、明治天皇みずからお手植えされたこと、木戸孝允、伊藤博文らも梅屋敷で新年宴会を開いたとの説明書きもありました。現在は区立公園になっています。
京急蒲田駅方面へ進んでいくと吞川の「夫婦橋」を渡り、高架下を進んでいきます。
このあたりは道も真っすぐで気持ちよく歩けます。雑色駅の近くまでくると右手住宅地の合間に「熊野神社」への参道があります。小さなお社ですが綺麗に掃除されており、境内には力石も有り地元から愛されていた事が伺えます。
東六郷の交番を過ぎて左手奥に進んでいくと「六郷神社」の鳥居が見えてきます。
平安時代から1000年近く続く六郷神社は源頼朝が勝利祈願をし、梶原景時が社殿を造営という歴史があります。家康も十八石を寄進する朱印状を発給しており、八幡宮の巴紋と葵の紋を用いているゆえんです。
もうすぐ多摩川、六郷土手の駅の横に北野天神があり、「止め天神」と呼ばれています。
八代将軍吉宗公の御乗馬が暴走してあわやと云う時に、将軍の落馬を止めた北野天神のご加護にあやかり、この地には将軍指南役柳生家の馬別当の屋敷と馬屋があったそうです。黄色の社殿が特徴的です。
こちらから土手を登れば「六郷橋」です。さすがに多摩川は大きい。
こちらで東京都とはお別れで神奈川県川崎市に入ります。川の向こうは川崎宿です。
神奈川県側には、六郷の渡しの案内、「明治天皇六郷渡御碑」があります。1688年に橋が流された後は架橋をやめ明治に入るまで船渡しとなりました。
最終的には川崎宿がこの渡しを請け負うことになり、渡船収入が宿の財政を大きく支えることになったそうです。
明治天皇の渡御の際には23隻による舟橋が掛けられました。碑には行幸の様子のレリーフが飾られています。
橋のたもとには「長十郎梨のふるさと」の看板も有り、このあたり一面が梨畑で病害に強い品種長十郎が生まれたそうです。最近見ませんが、私が子供の頃は梨といえば長十郎でした。
いつの間にか幸水に取って代わられましたね。あの硬くて控えめな甘みが懐かしい。
川崎→川崎大師(寄り道)
川崎宿に入ると街道筋は賑やかな旅籠街で「万年屋」とその「奈良茶飯」は有名だったそうです。
旅籠六十二軒をはじめ、八百屋、下駄屋、駕籠屋、酒屋など合計三百六十八軒もあったといいますから、さぞかし賑わったことでしょう。
万年屋跡から八代将軍吉宗が紀州から江戸城入りの際、休息したと伝えられている「川崎稲荷神社」に向かいます。
参拝を済ませて、「田中本陣跡」へ。川崎宿に三つあった本陣の中で最も古く、場所が江戸に近い最も東にあったので「下の本陣」と呼ばれていたそうです。現在は、残念ながら標識の案内のみとなっています。
「助郷会所跡」の標識が「東照」さんの横にありました。助郷とは宿駅に常備する伝馬人足の不足を補う制度で農村の労働負担となっていました。
こちら東照さんは東海道名物「奈良茶飯風おこわ」提供している創業100年の和菓子屋さん。
すぐお隣に「東海道かわさき宿交流館」があります。展示室は1階から3階までと充実しており、大型映像配信、川崎宿の街並みの模型や物語の紹介、現代への変貌の様子など歴史と文化が学べる施設です。
案内パンフレットも色々置いてありますので立ち寄りをおすすめします。
京急川崎駅の方へ歩くと室町時代に開創の「宗三寺」、曹洞宗の寺で本尊は釈迦如来。川崎宿で最も古いお寺で境内には飯盛り女の供養塔があります。
川崎迄来たので、東海道からは外れますが「川崎大師」へ立ち寄りたいと思います。時間も無いので、目の前の京急川崎駅から大師線で3駅、約2.5kmの距離を電車で移動します。あっという間5分で到着。
東京の西新井大師、千葉の観福寺と並び、関東厄除け三大師の川崎大師は初詣には300万人も参拝者が訪れます。さすがに駅も大きく、改札口も広々しています。
駅前は大きな広場でスペースはゆったり、すぐ前に表参道の「厄除門」が見えます。
参道を進むと、早速久寿餅の「住吉屋総本店」が立派な店構えでお出迎え、行列が絶えない最近人気のつぼ焼き芋「甘い和」、お蕎麦の「松月庵」と続き川崎大師入口は右の矢印が付いた門に到着。
ここを右折すると、すぐ右手が仲見世通りとなります。
せき止め飴とリズミカルな飴切の音でテレビにもよく登場する「とんとこ飴」、「厄除け開運だるま」、「ごま専門店」、「おせんべい」、「奈良漬け」、「甘酒」、「釜揚げわらび餅」、「久寿餅」と誘惑が続きますが、まずは参拝です。
川崎大師平間寺は開創1128年の真言宗智山派の寺院でご本尊は厄除弘法大師。成田山新勝寺、髙尾山薬王院とともに、真言宗智山派の関東三大本山の寺院のひとつです。
重厚な「大山門」をくぐると前方の「大本堂」、左手の「八角五重塔」のスケールに圧倒されます。
「献香所」でお線香をあげて、煙をたっぷりと頭に刷り込み認知症予防を願い、本堂に進みます。参拝を済ませて「御朱印」を頂き、仲見世に戻ります。
黄色と茶色のツートンカラーの包装紙でおなじみの山門前の「住吉」で久寿餅2枚入り850円をお土産に購入、参拝者は全員買っている感じで独占状態。
同じく山門前の「寺子屋本舗の串ぬれおかき」は最近人気の様です。「一味にんにく」を頂きましょう。お肉を食べているかのような食感、もちろん辛いんですが、にんにくも程よく効いていて美味しく頂きました。
おいしそうな「きざみ奈良漬け」もゲットして、いよいよ「釜あげわらび餅」を初体験。温かなやわらかいわらび餅はご覧の通りで喉ごし滑らか、きな粉が甘みを抑えてくれるので飽きずにたっぷり食べられました。
川崎大師(寄り道)→鶴見
そろそろ東海道へ戻りましょう。
京急川崎駅から旧東海道砂子へ出て、「佐藤本陣跡」を確認し、大通りの小土呂橋交差点を渡ると、「小土呂橋の親柱」(擬宝珠)があります。かっては幅五メートルほどの用水が、ここを流れていて橋が架けられていたんですね。
小土呂(こどろ)は砂子、新宿、久根崎とともに古くからの地名で、川崎宿四町のひとつでした。
京急の方へ少し入ると浄土宗「教安寺」、阿弥陀三尊立像がご本尊。山門、本堂も立派で山門横の灯篭も威厳を保っており、入口がなんとも素晴らしい雰囲気を持つお寺でした。
街道に戻ると、川崎宿の「京入口」があり八丁畷方面へ進みます。京急の線路に近づいたところに、「芭蕉の句碑」があります。
芭蕉は1694年5月に江戸深川の庵をたち、郷里の伊賀への帰路につきます。途中川崎宿に立ち寄り門弟たちとの惜別の思いをこの句にたくしたとあります。
「麦の穂を たよりにつかむ 別れかな」
このあと五か月後、旅の途中発病し10月に51歳の人生を閉じることになるんです。
こう考えると、川崎で詠んだ「麦の穂をたよりに・・・」という弱々しい感じから、かなり身体もつらかったような気がしてなりません。それでも旅する、歩く、すごいことだと思います。
辞世の句は「旅に病んで夢は枯野をかけめぐる」芭蕉らしい句ですね。
目の前は八丁畷の駅です。東海道は京急の踏切を渡ることになります。
京口から西へ八丁(約870メートル)にわたり畷と呼ばれる田畑の中を真っすぐ街道が伸びていたことから、八丁畷と呼ばれるようになったそうです。変わった名前だと思っていたので、これでスッキリしました。
駅前には「人骨慰霊碑」があります。このあたりでは江戸時代の人骨が多く発見され、おそらく災害で亡くなった身元不明の人々を埋葬したものと考えられており供養塔が建てられました。無縁塚と呼ばれています。
鶴見市場駅の近くまで歩くと、「横浜熊野神社」です。1200年前に紀州熊野本宮御祭神の御分霊をこの地に勧請したのが始まり。徳川家康公は江戸入国の折に立ち寄り御祈念したという由緒ある神社です。
真っすぐ続く街道をしばらく進むと、「市場の一里塚」です。江戸より五里目の塚にあたり昭和初期まで塚の上には榎の大木があったそうです。塚の上には稲荷社が祀られています。
街道歩きをしていると各街道に残っている一里塚の跡を尋ねるのも楽しみのひとつです。案内だけだったり、大きかったり、小さかったりと様々です。今まで見た中では中山道の志村の一里塚が最大でしょうか。
時代を感じる青面金剛像が安置された「庚申堂」、お隣に「下町稲荷」と続きます。鶴見川手前にある「金剛寺」に立ち寄ります。門構えが立派な真言宗智山派の寺院で東国八十八ヵ所霊場第十番札所です。
結構な川幅がある「鶴見川」を渡ると、左手に「鶴見橋関門旧跡」。1859年、横浜開港とともに神奈川奉行所は外国人に危害を加えることを防ぐため、横浜への主要道路の要所に関門を設けて横浜に入る者を厳しく取り締まったとあります。
外交問題はいつの世も大切ですからね。生麦事件発生により、川崎宿と保土ヶ谷宿の間には20カ所の見張り番所が設けられたそうです。
すぐ先右手の鯉が渕公園の入り口に「寺尾稲荷道道標」(レプリカ)があります。江戸時代、ここは寺尾稲荷社へ向かう道との分岐点で大きな道標がたてられていました。
寺尾稲荷社は馬術上達や馬上安全の祈願で知られ参拝者も多かったようです。
東海道は鶴見駅東口入口の交差点です。本日のゴール鶴見駅は目の前。右手奥に立派な鳥居が見えてきました。推古天皇時代創建、武州最古の古社、「鶴見神社」です。
境内には古墳時代前期の竪穴住居跡や貝塚、大鳥神社、秋葉神社、稲荷社、浅間神社など末社も並びます。先程見た、寺尾稲荷道道標の本物もあり歴史を感じる神社です。
駅に向かうと神社の参道沿いに「信楽茶屋跡」があります。立場の中で最も大きな茶屋で梅干しや梅漬けの生姜が名物だったそうですが、今は「らーめん信楽茶屋」。これだけの歴史を背負ったラーメン屋さんですから、味へのこだわりも期待できますね。機会があれば食べてみたいお店です。
せきの特効薬「苦楽丸」で街道筋に知られた「鶴居堂跡」を見て駅に向かいます。4羽の丹頂鶴が屋敷の庭先に舞い降りたことが由来という素敵な名前ですが、今は屋敷はなく看板のみとなっています。
今日もたくさん歩きました。本日のゴール鶴見、正面が京急鶴見駅、右がJR鶴見駅となります。
↓↓東海道 その4はこちら
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