川越街道 その3 大和田宿(新座)→大井宿(新河岸)
川越街道その3は、大和田宿(新座)→大井宿(新河岸)を歩きます。
距離は13,6Km、所要時間4:21時間 21,337歩、消費カロリー2140kcal
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大和田宿→大井宿
「JR武蔵野線新座駅」から出発、なつかしい「イタトマ」のロゴが見えたので、こちらでモーニングを頂くことに。六本木をはじめ山中湖にリゾートホテルSPGハウスも経営していたワールドグローリー(イタリアントマト)は、おしゃれの代名詞のような人気のお店、当時は100店舗以上あったと思います。
今は、CafeJr.として営業、私の世代にはトマトとイタリアンカラーのロゴマークが今でもオシャレなイメージです。ワンプレートのおしゃれ心を忘れていないモーニングを美味しく頂きました。
駅前の道を少し歩くと川越街道に合流、すぐ先に「鬼鹿毛(おにかげ)の馬頭観音」が見えてきます。祠の中には見事な馬頭観音像が祀られており威厳があります。市内最古・最大の馬頭観音とあります。
こんな話が説明書きにあります。秩父から走ってきた愛馬の鬼鹿毛はここ大和田でさすがに疲れて大木の根につまづき倒れますが、すぐに起き上がりご主人様を目的地まで届けたそうです。所用を終えた主人が戻ると鬼鹿毛の姿が見えません、大和田まで戻ると往路倒れた場所に亡骸が。
主人を思う気持ちが亡霊となって目的地まで走らせたという心温まる話が伝えられているそうです。動物好きの私はうるうる来てしまいました。今は亡き、愛犬リズも主人思いの本当にいい子でしたから。
郵便局の手前に古い観音堂、前にはお地蔵さまがいらっしゃいます。宿場にあったお地蔵さまとしては質素な感じがしますが、この素朴さがいいですね。いいお顔です。
街道は柳瀬川に架かる「英橋」まで来ました。英ははなぶさと読み、はなぶさばし。英という漢字は美しい花という意味があるそうです。河川工事中で景観は今一つですが、流れは美しく散歩すると気持ちが良さそうな川辺。続いて川越街道と埼玉を東西に結ぶ「国道463号」が交差する英インター、陸橋からの眺めると道幅の大きさが良く分かりますね。
インターの先、左奥の方にあるのが「中野薬師堂」、時代が経った石仏が並びます。跡見学園女子大学の少し手前、街道わきの急な石段を登ると「中野の富士塚」があり三国第一山と刻まれた石碑が建っています。
このあたりは今でも富士山がかなり大きく見える場所で当時から富士講が盛んだったことがうかがえます。庭先にある崖っぷちという立地に良く残ったものです。
街道は川越街道と大きく刻まれた石碑が中央分離帯に設置され「美しいケヤキ並木」が続きます。歩道も整備されておりウォーキングには最高のコンディション、快調に歩みを進め新座市から関越自動車道の三芳SAでおなじみの三芳町に入りました。
左手に並ぶ鳥居は「木宮稲荷神社」へ続く参道です。新旧灯篭も並び拝殿手前ではお狐さまが迎えてくれます。境内には八坂神社、浅間神社も祀られていました。
ケヤキ並木が終わると1639年創建、「広源寺」の山門が見えてきます。本尊は釈迦如来坐像が安置されており、明治に入ると藤久保小学校が開設された場所でもあります。本堂前には仁王像、屋根には金色の鴟尾輝いています。
鶴瀬駅入口の交差点手前に赤の鳥居の稲荷神社が、通りを渡ると歩道に「庚申塔」が祀られています。三猿もはっきり見て取れる立派な像、お供え物にヤクルト1000があるところが今風だな~って感心しながら先を急ぎます。
街道センター、先ほどに続き横型の大きな「川越街道石碑」が登場、ケヤキから松並木に変わります。「藤久保の松並木」として知られており、枝ぶりが良い松が続きます。やはり街道には松並木が似合います。
右手に見えてきた蔵造は埼玉県民には「うまい、うますぎる」でおなじみの「十万石饅頭」の店舗、松並木にとてもマッチしており思わず入店。新一万円札記念の渋沢栄一バージョンのまんじゅうをゲット。
松並木が終わり大井宿へ入っていくと治安維持のために設けられた木戸の跡、「下木戸跡」の案内があります。続いて「大井稲荷神社」が右手の高台に鎮座、小さな祠ですが歴史は古く狛狐がしっかり守りを固めています。
大井宿→新河岸
住宅街を少し入ると「大井戸跡」があります。武蔵野台地は関東ローム層が厚く井戸は深く掘る必要があったそうです。このあたりは比較的浅い井戸で水を得ることが出来る地形だったらしく、この大井戸は共同井戸として使われたとありました。
今も清らかな流れの砂川掘が見られることからも水に恵まれていたことがうかがえます。「復元大井戸」もあり、推定直径は東西約十四メートル、南北約十メートルとの説明書き、まさしく大井戸です。
室町時代前期が創建と思われる「徳性寺」は天台宗の寺院で大井宿の中心的な存在であったとのこと。まずは、風格ある山門と仁王像が目に入ってきます。六地蔵に大きな鬼瓦、山門横には石塔畑と呼ばれる場所から出土した1281年の銘を持つ「弘安の板碑(板石塔婆)」、本堂脇には薬師堂もありました。
東上線ふじみ野駅の少し手前、川越街道の「大井宿と本陣」の案内板があります、このあたりが大井宿の中心だったようです。大井宿は江戸から八里、川越城大手門から二里半に位置する川越街道最後の宿場となります。
川越街道の通行量は次第に増えていき、幕末には旅籠屋、茶屋、うどん屋、中屋、木賃宿などがあり賑わったそうです。
エントランスがしゃれた感じの造りは、昭和十二年竣工の「旧大井町役場庁舎」です。国登録有形文化財公開中の看板があり資料館として公開中。テラスもある洋風木造建築は当時としてはハイカラな建物として村人の自慢だったことでしょう。
川越街道は旧道に分かれますので二股をいい感じの左方向へ進みます。小さな公園に常夜燈が見えてきました。ここは地蔵街道との交差点で角と呼び、「角の常夜燈」の案内があります。1802年に建てられたもので当時は街道の中央で道標も兼ねていたとあります。
右手に拡がる境内、幅広な参道、仁王像、山門、鐘楼が威厳をもって迎えてくれる「地蔵院」は1314年開山の真言宗の寺院で700年以上の歴史があります。境内にある「しだれ桜」は樹齢が約400年といわれ、ふじみ野市の天然記念物に指定されています。
薬師堂の隣には、ぼけ封じ、身体健康祈願の地蔵菩薩さまがいらっしゃいますので、しっかりお願いしてきました。お地蔵さまの足元にいる老夫婦が何とも言えない表情で心が和みます。
旧街道は再び国道254と合流となり、村の産土神として天照大神が祀られている「亀久保神明神社」があります。1598年創建の歴史ある神社で、残された「御神木」の大きさからも古い神社であることがうかがえます。力石もかなりの大きさ、八坂神社、稲荷神社も祀られています。
川越5kmの道路標識を見ながら本日のゴール新河岸駅をめざします。「鶴ヶ岡八幡神社」、江戸時代はこのあたりは「鶴ヶ岡村」と呼ばれており村の鎮守として祀られていたとあります。
街道沿いの階段の上に立派な山門があるのが「東光寺」、曹洞宗の寺院で本堂の大屋根が見ごたえあります。塚の上まで急な石段が続いており頂上にある祠が「吉田神社」。この地の伝承に登場する吉田次兵衛さんが築かれた塚とのことですが、規模的にはかなりの大きさです。
これにて本日の予定は終了、新河岸駅に向かいます。初めての駅で新河岸という名前はそばを流れる新河岸川から来ているようです。川越から荒川へ続き、隅田川となり江戸へと続く新河岸川、多くの舟が行き来したことでしょう。
改札前に説明がありました。新河岸から出る早船は朝四つ時(10時ごろ)に船は出航し翌日の午前中には江戸に着いたそうです。引き札(広告)の絵には人の姿も見え荷物だけではなく人も運ぶための手段として発展していったようです。時の流れと共に荷物から人へと運ぶものが変わった訳ですね。
途中のケヤキ並木や松並木は江戸時代の旅人気分で歩ける街道らしい景観、身も心もリフレッシュ。残念ながら宿場らしい町並みは残されていませんが、由緒ある神社仏閣は見どころある眺めでした。
新河岸川の舟運から分かるように川越と江戸は深いかかわりがあり、川越街道、新河岸川が物流の要衝として、なくてはならない存在だったことが歩いてみて実感でた街道ウォークでした。
次は最終回、いよいよ「小江戸川越」に入ります。蔵造の街並みが楽しみです