中山道 その5 大宮→桶川
中山道その5は、JR宮原駅から→上尾→北上尾→桶川を歩きます。
距離は13,4Km、所要時間は3:28時間、15,747歩、消費カロリー714kcal
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宮原→上尾
宮原駅から中山道に入るとすぐ古い石橋の欄干、天神橋跡が道路わきに残っています。
お向かいにあるのが「天満宮」で木造の祠が歴史を刻んできた証。
今も昔も学問の神様「菅原道真公」は大切にされています。
小さな祠にたいして敷地が広いのには歴史的な理由がありそう、隣の小さな祠も気になります。
街道歩きは謎解きの旅でもあるんです。
少し歩けば「加茂神社」。
御由緒には明治41年付近数社を合祀し村社に指定、衣食住の神、延命長寿の神、学問の神、災難守護の神等が加え祀られご利益も増えたとあります。
なるほど、先程の天満宮もこちらに合祀された感じですね。
新大宮バイパスの高架を過ぎて右手に「宮原村道路元標」
道を挟んで馬頭観音と「金山権現社」。
金山彦神は鍛冶・鋳物の神様。
灯篭には石尊大権現、金毘羅大権現、秋葉大権現の文字も見えます。
すぐ先の宮原小学校にはさいたま市指定天然記念物、樹齢100年以上の「センダン」があります。
花は5月から6月にかけて、淡紫色の美しい香気のある五弁花をつけ、10月には果実が成熟する暖地性の落葉高木。
開校当時、教鞭をとった一教師が郷里の高知より苗木を持参して植えたもの。
街道から赤い鳥居が見えてきました。
「南方神社」です。
信濃の国の諏訪大社の大神を村の鎮守として勧請したもの。
社名の「南方」(みなかた)は主祭神「健御名方命」(たけみなかたのみこと)にちなむものであるとともに、諏訪湖を表す「水潟」にゆかりがあるとの由緒書き。
先へ進みつつじが丘公園の交差点を過ぎると蕪のロゴマークが特徴的な河村屋さん。
創業が江戸後期文化文政年間の漬物の製造販売のお店。
酒粕を使い粕漬のようなものを初代が作り始めたとあります。
中山道を往来する疲れた旅人が安らげる場所だったのでしょう。
おとなりの不動堂を過ぎれば上尾市です。
しばらく歩いてショッピングセンターの先が「愛宕神社」。
入口には「庚申塔」、1722年建立と古いものですが三猿がはっきり見て取れます。
ご神体は勝軍地蔵菩薩様で、本殿に伊邪那美命外二十柱の神様がお祭りされており火防、諸病厄除、無病息災、開運等ご利益があるといわれています。
懐かしいタイル張りの壁にゆず最中本舗の文字「伊勢屋」さん。
創業150年の上尾で一番の和菓子屋さん、おみやげはゆず最中に決定。
皮の色はきれいな緑とピンク、そして茶色の3色、あんは小倉とゆずの2種です。
献上銘菓という響きに期待が膨らみます。
上尾の駅に近づいてきました。
このあたりが林本陣、井上、白石、細井の脇本陣跡。
現在は全てビルになっており当時の名残はありません。
こちらに残っているのは「氷川鍬神社」、上尾宿総鎮守です。「おくわさま」として愛されており神体である鍬は五穀豊穣の豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと)、小鍬2挺を祀ってあります。
上尾宿は、中山道の中では比較的小さな宿場で江戸時代末の家数は182軒、人口は793人、旅籠屋は41軒だったとのこと。
駅前から一本裏手に入ると「遍照院」。
真言宗のお寺で開山は室町時代、ご本尊は大聖不動明王、罪業が深く教化しがたい衆生のため怒りの姿に化身して求道するとされています。
上尾→桶川
上尾宿の西口まで来ました。「中山道上尾宿碑」平成の道標があります。
こちらが京口。
上尾宿は日本橋から九里十六町のところにあり、中山道五番目の宿場、地名については歴史的根拠を持つものはありませんが、鴨川と芝川の間の小高い地形からつけられたとの案内ボードがあります。
しばらく歩くとJR北上尾駅、この先に見事な板塀が見えてきます。
こちらの「須田家」は武州紅花の仲買、他にも醤油醸造や質屋も営み財をなした家。
紅花といえば山形県のイメージが強いですが、紅花は桶川臙脂(えんじ)と呼ばれ、山形最上の紅花に次ぐ生産地であったそうです。
街道を少し離れてJR高崎線沿いを進むと「諏訪雷電神社」。
もともとあった諏訪神社の境内に雷電神社が合祀された経緯がありこの名前に。
雷電神社は関東を中心とした神社で、雷除けの神とされています。
右手に1769年建立の庚申供養塔を見て桶川宿へ進みます。
街道脇に小さなおじぞうさんが。
「旧跡木戸跡」の石碑があります。
ここが桶川宿の江戸口。
古い佇まいを残すのが「武村旅館」。
桶川宿には本陣や脇本陣の他に一般庶民の宿である旅籠が数多くありました。
その数は36軒を数え、宿内全戸数の1割を占めていたそうです。
ここ武村旅館は1852年の建築といいますから170年以上前の建物ということ。
建築当時の間取りは現在もほぼ引き継がれている貴重な建造物。
ビジネス旅館武村の看板もありますが営業しているのかもしれません。
すぐそばには「浄念寺」。
室町時代後期、1546年開創の浄土宗のお寺で朱塗りの見事な仁王門は1701年に再建されています。
本堂の他、不動堂と太子堂があります。
木造二階建ての外観は「島村老茶舗」。
1854年創業で1926年完成の店舗は国の登録有形文化財に登録されました。
現在も店舗として営業しています。
「小林家住宅主屋」は江戸末期に旅籠として建てられ、その後当主となった小林家は材木商を営み、それに伴い大きく改修されましたが外観は当時の姿をとどめています。
建物2階には六間にわたって出窓を出し、格子戸をはめこんでいます。
土蔵造りの店蔵は桶川市指定文化財「矢部家住宅」。
屋号を「木半」といい穀物問屋を営み紅花も商っていました。
土蔵は屋根の鬼瓦の上から鋳鉄製の棘状の棟飾りが出ているのが特徴。鳥よけと言われています。
中山道に面した店蔵は明治38年建立、桶川宿で現存する土蔵造りの店蔵はこの矢部家一軒のみ。
「桶川宿本陣遺構」があります。
府川家本陣は埼玉県内の中山道筋では唯一現存する本陣。
上段の間、入側、次の間など残っています。
尾張、紀州、水戸の御三家の日光参拝や皇女和宮の宿泊のほか明治天皇御巡幸の際の行在所でした。
中山道宿場館に立寄ります。
観光マップやコース案内など資料が沢山置いてありますので便利です。
桶川郷の総鎮守、「稲荷神社」が街道筋から少し東側に入ったところにあります。
本殿は1817年に幕府御用大工により造営された由緒あるもの。
拝殿正面の大きな石灯篭は紅花商人たちが1857年に寄進したもので24人の紅花商人の名が刻まれています。
「力石」は重さ610キロの雫のような楕円形で力比べに使った力石としては日本一重いと言われています。
大磐石の文字と岩槻の三ノ宮卯之助がこれを持ち上げたことなどが刻まれています。
少し離れたところの大樹のくぼみにも祠がありました。
桶川一里塚跡はありません。
塚の上には杉が植えられ、根元には石の妙見菩薩が祀られていたとの案内が歩道橋の柱に見られます。
京口の近くに曹洞宗の寺院「大雲寺」があります。
本陣当主府川家の墓があります。
三体並ぶ地蔵菩薩のうち右端は「女郎買い地蔵」と呼ばれています。
桶川宿の飯盛り女に会いに行ったという伝説があり、背中に鎹が撃ち込まれ鎖でつながれていたとか。
言われてみると一番右のお地蔵さん、謎めいた笑みが。
本日の予定は終了、前回同様、約14km、4時間弱のウオーキング。
桶川駅まで少し戻ります。
今回も見どころが多く、桶川宿も江戸の風情が多く残る素敵な宿場でした。
すっかり江戸の文化に魅せられてしまった街道歩きですが、用語がわかりません。
そこで、「江戸の用語辞典」なるものを発見、購入しました。
これで一層楽しみが拡がりスッキリです。
例えば、「木戸」という言葉が良く登場しますが調べてみると
「町木戸」と呼ばれ、町ごとに設けられた扉を申します。管理は木戸の横に住む「木戸番」が行い、明け六ツ(日の出前)に開かれ、夜四ツ(午後十時頃)には閉められました。木戸番の向かいには「自身番」がございまして、ここには「見廻り同心」が定期的に廻って来ます。
江戸の用語辞典 p137
防犯には町あげて取り組んでいたんですね。
次回は人形の町鴻巣めざして歩きます。
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