シニアライフ、小説に学ぶ豊かな老後 第4弾は 「おもかげ」 浅田次郎

おもかげシニアの参考書
photo by ゆう

前回、第3弾小説に学ぶ「終わった人」に続き、浅田次郎さんの「おもかげ」のご紹介です。

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おもかげ 浅田次郎

浅田次郎さんは日本ペンクラブの元会長、現在も直木賞の選考委員をされている著名な小説家。
ご自身の受賞歴も多く「鉄道員」(ぽっぽや)は1997年第117回直木賞を受賞、高倉健さん主演で1999年映画化され大ヒットとなりました。

他にも地下鉄に乗って、壬生義士伝、プリズンホテルなど映画やテレビドラマ化された作品も数多くあります。
現代小説では「平成の泣かせ屋」の異名があるほど、人情味あふれる作風が特徴。
そんな著者が描く定年送別会の日に倒れた男の世界は?泣かせていただきましょう。

物語は定年退職した主人公の竹脇正一が送別会帰りに地下鉄で倒れ病院へ搬送、集中治療室へ。
意識が戻らず生死の境を彷徨っている正一、あるはずのない幽体離脱?のような体験の中、老女とのディナー、謎の女性と夏の海岸を歩いたり、隣のベッドで意識不明の老人と銭湯でのんびり手足をのばしたりと、不思議な体験が続いていきます。

過去の思いと体験、現実世界がパラレルワールドで展開。
会社の同期や幼なじみ、妻と娘そして娘婿らの正一への思いも描かれて物語は進んでいきます。
目まぐるしく変わる場面と登場人物の視点、そして謎が明かされるクライマックスへ。
浅田節炸裂の涙なしでは語れないストーリー展開、目頭が熱くなる物語です。

地下鉄ホームと真っ白に描かれている女性のイラスト、印象的な鮮やかなブルー、意味深な表紙カバーもストーリーと相まって頭から離れません。

ゆう
ゆう

この物語は一人のエリートが生きてきた証としての回顧録でもあります。
読後感として「人生の振り返り」は最後を迎える時ではなく老後にむけて事前に通るべき道、大切な事だと感じました。

もし、自分が主人公のように集中治療室で生死の境を彷徨う時・・・
誰の事を思い出すのでしょう…
何を回想するのでしょう…
誰が励ましてくれるのでしょう…
誰が私の為に泣いてくれるのでしょう…
自分が生きてきた証は?
そんな思いを抱かせてくれる作品でもありました。

作品中に同感できる部分がたくさんあります。
今回はストーリーにはなるべく触れないで、描かれている回顧シーン、シチュエーション

印象的な情景を切り取って過去の思い出として共に振り返ってみたいと思います

ゆう
ゆう

加齢とともに昔を思う気持ちは強くなり、その思い出は心地よい精神的安らぎに。
良かったこと、悪かったこと、人、場所、音、感情、そして匂いまで・・五感が騒ぎ始めるのです。「人生の振り返り」シニアにとって必要な事ではないでしょうか。

物語のストーリー性や本質、この小説本来の読み方とは離れていると思いますが、シニアライフの参考書企画ということでお許しください。

奇特な若者に席を譲られたら

いつもドアの近くに乗るのは、横着をしているわけではない。まさかとは思うが、もし奇特な若者に席を譲られたら、さぞかしショックだろう。むろん、シルバーシートには近寄らない。
セルフイメージは四十五歳。だがこのごろ鏡に向き合うと、実年齢よりも老けているような気がする。

p60

通勤電車にゆられて気が付けば40年。私も常にドアの近くに陣取ってました。
みなさんのポジションはどこでしたか?奥へ進むと多少すいてる感もありましたね。
朝は立っているのが精いっぱいですが、昼の営業外回り中はシルバーシートを譲る立場。
譲られるなんて考えたこともありません。

いつ、その時がくるのか?その時は確かにショックだろうな~。
主人公と同様、還暦過ぎると自分の年齢、特に見た目が気になり始めます。
老人として見られる自分を果たして受け入れられるのはいつなんでしょう。

通勤電車の中では多くの自分物語が繰り広げられてきました。
座らないで電車の揺れに逆らって体幹を鍛えてみる。
深夜までの飲み会で最終電車、吊革につかまったまま寝る技術を習得。
車窓の風景の移り変わりに季節と年齢を感じセンチメンタルに。
思えば人生の貴重な時を過ごしてきた空間でもあるんです。

定年まであと少し。譲る方から譲られる立場までもあと少しなのか。

学生時代は生活が大変だった

学生時代は寮ずまいで、朝晩はあてがい扶持の食事、昼は学食か菓子パンだった。
今の若者たちには想像もできないだろうが、いかに高度経済成長期とはいえ、コンビニエンス・ストアのない時代の学生生活はそんなものだった。

だから社会人生活の最大の衝撃は、会食のお相伴に与るたびにめぐりあう、未知の食べ物だった。
そのつど、世の中にはこんなうまいものがあるのかと思った。

p102

私の世代は団塊の方々より一回りほど下ということになりますが、東京での一人暮らしは風呂なしアパートがスタンダードな時代。上京した時は6畳一間の安アパートで銭湯とコインランドリー通い。
まだコンビニやファミレスもほとんどありませんでした。

腹は減るけど金はなし、質より量のお店を仲間と食べ歩きしたものです。
でも、やっとつかんだ親の目が届かない自由な世界、大人になった気がしましたね。

ゆう
ゆう

社会人になった時は接待族全盛のバブル時代。
東京は居ながらにして世界中の美味しいお酒や料理全てが手に入る夢のような街だった。

印象深いのはイタリアン。
スパゲッティはパスタと呼ばれナポリタン以外にも数多くの種類が、なんとナポリタンは本場イタリアにはないと知りビックリ。カルボナーラなる赤くないスパゲッティを食べて、そのあまりのおいしさに衝撃。
コースではパスタはメインディッシュの前に食べるものと知らず、もう終わりかとガックリ来てたところにメインが出てきてテンションMAX。今の若い人が聞いたら信じられないような笑い話ばかりでした。
古き良き時代です。

エリートもろくでなしも、死ぬときァ一緒

カッちゃんの言葉を思い出した。
いい世の中だな。エリートもろくでなしも、死ぬときァ一緒だ。
たしかにその通りだと思う。集中治療室の住人になってよくわかった。

先進の医療がすべての患者に対して、公平に与えられている。
まさに「命の目方は同なし」なのである。

p246

この物語でいい味出しているカッちゃん。
ICUの隣で寝ている脳梗塞で倒れたらしい80過ぎの老人、空想の世界で一緒に銭湯に出掛けます。

「死んじゃなりませんよ。まだなく人がいるうちは」とか、銭湯にいた老人が発した「ぬるま湯に浸かって長生きしてえとは思わねえ」「まずいもの食ってまで長生きしたかねえ」の言葉に「もっともだ」と間の手を入れたり、そして悲しい告白をはじめるのです。

その優しくも荒々しい一言一言からは力強さと懐かしさ、そして高度成長時代の古き良き日本の一コマを感じることができます。

ゆう
ゆう

「命の目方は同なし」、生きているから、健康だから、将来への希望があるから人は物欲を抱くのでしょうか。集中治療室でパイプにつながれれば、すべては同じ人。

そう思うと、無理して見栄張って生きいてもしょうがないと思えてきます。
プライドは大切ですが人として自分に正直に生きなきゃと考えさせられました。

ポンコツのセダンからスポーツカーに乗り換え

歩き出してしばらくの間は、若い筋肉のパワーにとまどった。ポンコツのセダンからスポーツカーに乗り換えたようだった。パワーだけでなくて、アクセルやブレーキの反応もよく、ハンドルの遊びもない感じだった。

p351

空想の世界で若かりし頃に戻ってのシーン。

老化とはこのイメージなのだろうか。
まだ還暦過ぎの私にはここまでの感覚は想像できない。
逆を言えば、加齢とともにポンコツのセダンになり、アクセルやブレーキの反応は鈍くなり、ハンドルの遊びもなくなる。こんな車には怖くて乗れないし、いつ事故ってもおかしくない。
毎日が綱渡りだ。免許は返納して杖ついて歩けということか。

せめてブレーキの反応だけは衰えないようにトレーニングに勤しもう。

会社員は外出したら最後

だいたいからしてそのころは、亭主なら家を出たら最後、会社員は外出したら最後、どこで何をしているのかわかったものではなかった。だからポケットベルを持たされたときは、人間が犬に貶められたような気がしたし、その十年後に携帯電話が登場したときは、奴隷にされたと思った。

p418

営業職だったので外回りが多く、ポケベルは早い時期から持たされた経験があります。
どこで何をしているか分からなかった一人です。

オフィスには行き先を書くボードがあり直帰をNR(ノーリターン)なんて書いてましたね。
それが今や携帯も通り越してモバイルPCで常時どこからでも報告できる時代。
便利なような便利じゃないような…人によって捉え方は様々です。

自己責任とか個人情報とか様々な意見が飛び交っています。
管理ツールや細かなルールがなかった昔、行動が自由で野放しだったかと言えばそうではありません。

ゆう
ゆう

自分の行動と結果に責任を持つのは当たり前。困ったときはお互い様。
助け合ったり励ましあったり、先輩や友人には感謝したものです。

人から言われてやるのでは真剣に取り組むことは難しいはず。今も昔も変わらないこと。
自ら考え悩み行動していく習慣は今でも必要なことです。
私たちは自由です。命令される奴隷ではありません。

モバイル機器は管理ツールではなく仕事の効率を上げるためのもの。
なんて偉そうなこと言ってますが、主人公同様ポケベル持たされたときのショックは今でも忘れません。

自分の死に直面した時何を思うのか


身内や知人の死に接するとき自分との関わりを回想し、あの時こうすれば良かった、ああすれば良かったなどと思いを馳せます。つい先日も後輩の死に接して悔しい思いをしました。

自分の死に直面した時何を思うのでしょう。
やはり自分が歩んできた道を回想し、やり残したことや選択した内容について反省し後悔するのでしょうか。
自分の死を悲しんでくれる人は?おくってくれる人は?

自分がこの世に生まれた意味、価値、理由、多くの人に支えられて生きてきた人生を今一度考えてみる、もう遅いかもしれないけど、残りの人生しっかりと大切に過ごしたい。

人生再考の機会を与えてくれた本書に感謝。

今回、シーンや表現の切取りでストーリー性のすばらしさにはふれていません。
主人公の出自や孤独な幼少期、母親への思いや家族の事など「おもかげ」は中盤からラストに向けてすべてがつながってくる読み応えのある傑作です。機会があれば、ぜひご覧ください。

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