川越街道 その2 下練馬宿(成増)→大和田宿(新座)
川越街道その2は、下練馬宿(成増)→大和田宿(新座)を歩きます。
距離は11,2Km、所要時間3:32時間 15,248歩、消費カロリー1182kcal
※画像はクリックすると拡大でご覧いただけます。
※スマホでも読みやすいように、改行が多くなっております。PCでは少々見づらくなっていることをご了承願います。
下練馬宿(成増)→白子宿
地下鉄成増駅から地上に出ると爽やかな冬晴れの川越街道、紅葉もいい感じで進み街道歩き日和です。街道は白子川が作る谷へ下る新田坂に入り、入口あたりに地蔵尊が祀られています。
お地蔵さんから夢の中のお告げで首が草むらに捨てられていることを知ったおばあさん、探した首をもとどおりになおしたというのが「白子坂の首かけ地蔵」の話、心なしかお地蔵様の顔が微笑んでいるように見えました。隣には道祖神、稲荷の石の祠、1830年建立の常夜灯も祀られています。
お隣は「八坂神社」。ここ新田坂の集落、新田宿は昭和初期には多くのお店が軒を連ねていたそうです。そんな人々から天王さまと呼ばれ親しまれてきた八坂神社は、ご存じ京都の八坂神社から勧請されたもので、災いを防ぐ役割を担ってきました。狛犬も時代を経た重厚感あるお姿です。
街道を「白子橋」へ向かって進みます。かなり掘りこまれている白子川に架かる橋には「くつが鳴る」の歌詞がきざまれていますが、作詞の清水かつらが住んでいたことによるものだそうです。
大きな杜が目の前に迫ってきました、「武州白子熊野神社」の鳥居をくぐります。社伝によれば1000年も前から存在し白子の鎮守様として今日に至っています。
武州白子代参富士塚登山、奉納「富士嶽神社」の幟が並んでいます。こちらにも下練馬同様、富士塚があり白子富士と呼ばれています。右手に大きな丘のような茂みが拡がっています、鳥居と登山口がりますので登ってみましょう。山頂には祠があり熊野神社の拝殿が見下ろせます。
下山して熊野神社に参拝、来週は熊手市が開催されるらしく準備が進んでいました。「夫婦大イチョウ」が見事で、思わず見上げてしまいます。
通りに戻ると向かい側に湧水が、東京で湧き水といってもピンとこない方が多いと思いますがここ「冨澤湧水」の他にも湧水ポイントが多く存在しています。上部が関東ローム層、下部には武蔵野礫層、その下が粘土層という構造が湧水を生み出しているのですね。水量は豊富で透明感あふれる美しい流れは見ていて飽きません。地元の方たちにより大切に守られています。
街道は環八から続く笹目通りと交差します。このあたりの通りの名称は白子坂、大坂、滝坂、くらやみ坂、その名の通り、笹目通りから見下ろす街道は高低差が結構あります。くらやみ坂の脇を入ると「馬頭観音」がありました。
白子宿→膝折宿
川越街道は「東京外環道を渡り」和光駅右手に見ながら先へ進みます。左手は川越街道254で並行して旧街道となり、片側一車線の交通量も少なめの通りは歩きやすくスピードもアップ。左奥の広大な敷地は自衛隊の朝霞駐屯地、近くには理化学研究所もあります。
街道はほどなく二股になり右の旧道へ、坂を下ると「膝折不動尊」です。この坂は稼坂(かせぎざか)、坂道で荷車を後押しする商売が存在したと聞いたことがあります。稼ぐとは、ここから来ているのかもしれませんね。
お不動様は新しく代替わりしたお姿と思われます。祠も提灯も刈込もよく手入れされていて大切にされている様子がうかがえます。このあたりは高台なので多摩から秩父の山並みを見ることができるビューポイントでもありました。
急坂を下り街道は膝折宿に入ってきたようです。右手には「一乗院」の石柱、参道を進むと仁王門が迎えてくれます。門には平等蜜寺の扁額が見られます。一乗とは仏教を大きな乗り物で多くの人々と悟りを得ていこうと意味だそうです。膝折へ移りすんだ高麗家によって十一面観音が安置され開かれたのが起源との説明書きがありました。
この地方の商業の中心地だった膝折宿は室町時代からの古い宿場、中心部には「脇本陣高麗家住宅」が残されており宿場の面影がみてとれます。高麗家は屋号を村田屋と称して旅籠を営んでいたそうです。トタン屋根の下には茅葺が見え、維持していくことの大変さが良く分かります。
膝折郵便局の隣には、シンプルで懐かしい感じがする床屋さんの看板。「黒目川」には大橋が架かっており、橋から見る緩やかな水の流れが癒されます、川の水がきれいで驚きました。
膝折宿→大和田宿(新座駅)
街道の二股には庚申塔があり左へ進みますが、ここも結構な坂道で登りが続きます。水道道路との交差点が野火止下。手前に「横町の六地蔵」と庚申塔が祀られています。
水道道路とか野火止とか聞きなれない名前が続きます。東京の東村山と埼玉の朝霞の浄水場を結ぶ水道管が埋設されているから水道道路と呼ぶそうです。また、野火止ですが焼き畑の際、人家に火が及ばないように堤を築いたことから来ているそうです。
横町の六地蔵は1732年に造立されたもので街道沿いの人々を見守ってきた歴史あるお地蔵さん、他にも1714年に造られた地蔵菩薩立像、1756年の銘が刻まれた庚申塔も一緒に祀られています。
野火止大門の交差点には「平林禅寺の大きな寺号石」が立っています。左方向へ大門通りを進めば平林寺です。約40ヘクタールもの境内を有する臨済宗の寺院で南北朝時代の創建、知恵伊豆で知られる松平信綱夫婦の墓もあります。以前、訪ねたことがありますが紅葉が素晴らしかったことを覚えています。手入れが行き届いた境内の様子は見事、武蔵野の様子を残す貴重な場所は訪れる価値大です。
本日のゴールJR武蔵野線新座駅が近づいてきました。高架をくぐって少し進むと「神明神社」、こちらを本日最後の訪問先としましょう。
境内には常夜灯や力石、庚申塔、秋葉権現石祠も置かれ、昭和の初めには野火止用水が境内の横を流れており水車を回していたとあります。皆から慕われていたことが見てとれます。
今回はアップダウンが多いコース、といっても激しい上り下りではありませんので街道歩きに支障はありません、むしろ景観に情緒が感じられ、昔の旅人が歩いていた時と同じ気持ちになれる気がしました。
途中の富士塚、冨澤湧水が綺麗なことに感動、膝折宿の高麗家もよくぞ残しておいてくれたって感じです。今回も街道沿いに派手さはありませんが心穏やかに歩ける満足いくコースでした。
次回は大井宿へ向かいます。