東海道 街道を歩く その9 歴史を訪ねる シニアの健康ウォーキング 二宮→小田原

街道ウォーク
photo by ゆう
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東海道 その9 二宮→小田原

東海道その9は、二宮→小田原を歩きます。
距離は24,9Km、所要時間は6:36時間 32,588歩、消費カロリー2850kcal

※画像はクリックすると拡大でご覧いただけます。

※スマホでも読みやすいように、改行が多くなっております。PCでは少々見づらくなっていることをご了承願います。

小田原 酒匂川

二宮→国府津

本日は小田原迄の長丁場。スタート地点の二宮まで都心から一時間半、JR湘南ライナーで向かうことになります。そこで、体力温存も兼ねて今回は「普通列車のグリーン車」を使ってみました。

通勤列車なので土日はホリデー割引料金、事前購入で50キロまで580円、51キロ以上800円、SUICAでピピっと簡単に利用できます。所要時間を考えるとお得ではないでしょうか。2階席から景色を見ながら、サンドウィッチと熱々コーヒーでモーニングも楽しめます。

ただ、残念なのは2024年3月16日から料金体系が変わるとの案内、ホリデー料金を取りやめるとありました。何でもかんでも値上げの時代、せめてシニア割引作って頂きたいですね。

電車は平塚を通過、前回その美しさに感動した「高麗山」を間近に見ながら二宮駅に到着。ローカルステーションは落ち着きます。駅前広場で軽くストレッチをして出発準備は万端。

駅からすぐの街道は片側一車線、いい感じの街道歩きとなりそうです。吾妻神社入口の信号手前を旧道は右、旧東海道の名残りの案内板を見て進みます。

普通列車 グリーン車2階席
旧東海道は右
車窓からの高麗山

すぐ右手に「吾妻神社鳥居」がありますが、神社はこの先少し距離があるので今回はスルー。先へ進むと醤油蔵元の看板と大釜が、「ヤマニ醤油」さんです。手造り醤油は風味とコクが違いますからお刺身には欠かせません。

「梅澤橋跡」の標石を確認、向かい側の梅が咲き始めた小路へ進むと真言宗「小澤寺」です。本尊は十一面観世音菩薩、本堂左の案内には相模三番観音とあり、「いくたびも まいりておがむ 観世音 心のあかを すすぐ梅川」との巡礼歌が紹介されています。境内には古い地神社碑や男女双代道祖神もある風情あるお寺でした。

吾妻神社鳥居
ヤマニ醤油
小澤寺

すぐ先、真言宗「等覚院」の門柱が見えてきました。石段を上ると、六地蔵、本堂、薬師堂が目に入ります。

本堂の前に大きな藤棚があり、案内には将軍家光公上洛のおり駕籠を止めてフジの花をご覧になったとあります。二宮町の天然記念物に指定されていました。花が咲くころ訪ねてみたいですね。また、立派な梵鐘も重要文化財で町内最古とあります。

等覚院
等覚院 本堂

少し先、「越地の辻の地神塔」があり、道祖神や天社神の石柱が見られます。ここから旧道は再び国道と一緒になり進むこととなります。

街道は押切坂までやって来ました。「茶屋薬師堂」には寄木造り彫眼漆箔の「薬師如来座像」がいらっしゃいます。像高261,5cmの大きく立派な坐像、大仏様です。ありがたいお姿、必見です。

「押切坂の一里塚跡」から旧道に入ります。この一里塚は日本橋から18番目、大磯宿と小田原宿の中間となります。この辺り、昔は梅沢の立場と呼ばれて茶屋や商店で賑わっていたところ。

越地の辻の地神塔
薬師如来座像
押切坂の一里塚跡

すぐ先の「松屋茶屋本陣跡」は、梅沢の立場、間の宿の中心となる本陣で大名たちが休憩した場所です。確かに大磯宿からここまでは結構な距離がありますし、押切坂ですから納得の立地です。

こちらは高台なので「箱根の山」も見え始めました。雲行きが怪しく、どうやら箱根は雨模様か。坂道を下っていく途中、コーナーの片隅で「男女双体道祖神」が見守ってくれています。

松屋茶屋本陣跡
男女双体道祖神
遠くに箱根の山が

押切橋を渡り、小田原市に入ります。西湘バイパスの橘インターを過ぎてしばらく進むと、「浅間神社」の鳥居が右手に見えてきます。境内には道祖神や石仏が多くあり、道祖神や「青面金剛像」は時代が感じられる姿でした。

浅間神社を過ぎると海が近い。思えば、ここまで歩いてきて「街道から相模湾」を身近に望めるのは初めて。やはり海岸沿いを歩くのは気持ちがいいもの。雲は低くなってきましたが、テンション上がってきましたよ。

街道から相模湾
浅間神社 拝殿
青面金剛像

途中右手には「車坂の史跡」。ここ車坂を詠んだ、太田道灌、源実朝、北林禅尼(ほくりんぜんに、十六夜日記の著者)の詩が紹介されています。ここは相模湾を一望できる景勝地、詠みたくなる場所なんですね。

存在感がある不動明王様がいらっしゃるのが「大山道道標」、従是大山道と刻まれています。横には時代物の常夜燈、こちらが羽根尾通り入口となります。

国府津方面へ道祖神を見ながら歩いていくと、常念寺入口の信号がありますので、こちらを右へ。東海道本線のガードをくぐり突き当りに「常念寺」入口の階段見てきます。

車坂の史跡
大山道道標
常念寺 入口階段

道祖神の横の階段を登って境内に入ります。本堂とかなり時代を経た石仏、「阿弥陀如来」さまが鎮座されていました。道祖神もかなり古そうです。たびたび出てくる道祖神は村境や辻にあって疫病や悪霊を防ぐ神様。

今日は男女双体道祖神がいつもより多く見られる気がします。これは夫婦仲良くしなさいというお告げなのでしょうか。確かに昨晩少し喧嘩はしましたが、今日は仲良く歩いているのでお許しください。

国府津の駅が近くなり海岸線が迫ってきました。西湘バイパス越しですが、伊豆半島、初島、小田原方面が一望できます。「箱根の山」も近くなってきました。

常念寺 本堂
阿弥陀如来 道祖神
箱根の山

街道沿いには、「親鸞聖人御庵室御勧堂碑」です。ここが草庵跡で、海と向き合い7年間過ごしたと伝わっているそうです。どのあたりまで出向いて布教活動したのか興味あるところ。

国道をはさみ、北側の少し先の高台には、その親鸞聖人によって天台宗から浄土真宗に改宗した「真楽寺」があります。寺号も親鸞に命名されたもの。帰名堂には親鸞が二つの名号を書いた石などお宝が安置されています。本堂の階段脇のソテツが見事。

国府津駅近くの街道沿いには古い有形文化財の建物が多く、古民家カフェもありました。名前も「毬亜樹(マリアージュ)」なんてオシャレですね。

真楽寺 本堂
親鸞聖人御庵室御勧堂碑
古民家カフェ

国府津→小田原

なまこ壁のうなぎ屋さんは「うな和」。国府津で愛されて55年の老舗でうなぎが輪になったロゴマークが目印です。

森戸川を渡り進むと江戸から19番目の「小八幡の一里塚跡」が左手にあります。続いて「三寶寺」が街道奥に見えてきます。浄土宗の寺院で門柱の大イチョウが見事。可愛い「六地蔵」が迎えてくれます。

うな和
三寶寺
六地蔵

「八幡神社」の社号標が街道脇に立っていますが鳥居が見えません。奥まったところにあるのを覚悟して街道から離れて向かいます。住宅街を歩いていくと鎮守の杜と鳥居が見えてきました。

建立は鎌倉時代以前と推定され小八幡村の鎮守様。境内には猿の姿に特徴がある「庚申塔」が並んでいます。村内に点在していたものが道路工事等の理由で集められたとあります。これだけ集まると見ごたえがあります。他にも道祖神や小さな石の祠など多数祀られていました。

八幡神社 社号標
八幡神社 庚申塔
八幡神社 拝殿

街道に戻り中市場の道祖神を通過。しばらく歩くと時代を感じさせる、「生かせ いのち 酒匂不動尊」の看板が目に入ってきます。真言宗成田山不動明王小社とあり、横には地蔵堂もあります。水掛不動は「酒匂不動延命水」と呼ばれ、地下水が湧き出ており飲めば長生きできるパワースポット。

酒匂不動尊
酒匂不動延命水

街道を挟んだ向かい側には大きな「大見寺」の門柱と「小嶋家の宝篋印塔」の案内が立っています。浄土宗の寺院で山門をくぐり正面が本堂。小嶋家は酒匂の旧家で名主・組頭を務めた家、墓石は小田原市内の個人墓で最も古いもので市の指定文化財となっています。

黒塗りの門が威厳を放つ「旧川辺本陣跡」はすぐ隣。現在は社会福祉法人ゆりかご園の看板がでていました。このような歴史ある建物は残していってほしいですね。

大見寺 本堂
小嶋家の宝篋印塔
旧川辺本陣跡

裏手に回ると日蓮宗の「法善寺」の山門です。こちらも、真言宗の寺院でしたが日蓮宗に改宗、日敬聖人開祖ということです。途中、他にも幾つかの寺院は日蓮宗に改宗とありましたが、日蓮上人ゆかりの地だけに日蓮宗の教化、影響力は強かったのですね。宗教のパワーを感じます。

酒匂川手前、南無妙法蓮華経の門柱、しだれ梅が咲き始めた参道の先に山門が見えます。こちらも日蓮宗の寺院、「法船寺」です。日蓮上人が身延山へ向かう途中、酒匂川は増水で川止め。こちらの地蔵堂に、お地蔵様が姿を変えた老翁に導かれ、弟子たちと1泊したとあります。こちらも、念仏信仰から法華経信仰へ改心したとあります。

法船寺
法善寺山門
法船寺 日蓮上人像

街道から離れて奥へ進むと、「大経寺」。こちらは浄土宗の寺院で本尊は阿弥陀如来像。境内に芭蕉の句碑がありました。「人もみぬ 春の鏡や うらの梅」鏡の裏にも春を見いだすところはさすがです。

「酒匂川」までやってきました、小田原宿はもうすぐ。

酒匂橋を渡りますが、昔は橋もなくそうはいきません。冬は架橋、夏は人足による徒歩渡しだったそうです。川幅も広く、川止めなどもあり難所だったことがうかがえます。「マンホールの絵柄」には川越し人足が描かれています。

広重の浮世絵、小田原酒匂川の絵にも箱根の山を背景に、駕籠や人を担ぐ渡しの様子が描かれています。よく見ると小田原城や小田原宿も、構図がすばらしいですね。

酒匂川
大経寺
マンホールに川越し人足

長い橋を渡り終え、先を右方向へ歩いていくと旧道に出ます。酒匂川の土手に向かって行くと、「二宮金次郎表彰の地碑」があります。小田原藩、七代藩主の大久保忠真が領民13名を表彰し、その中に金次郎が居たということです。これがきっかけで、その後の金次郎の活躍があったようですね。

すぐそばの旧街道沿いに「八幡神社」があります。多くの木々に囲まれた網一色村の鎮守で、松の木が見事です。境内にある「新田神社」は新田義貞を祀ったもの。近くには首塚もありますので、ゆかりの土地みたいですが尊氏に敗れた後、故郷の上州へ首級を持ち帰る悲しいお話が。

二宮金次郎表彰の地碑
八幡神社
新田神社

旧街道は国道を横断する形で先へ続き、住宅街の奥まったところに「新田義貞公首塚」があります。越前で討死し晒されていた首を奪い返して、本国(上野国・群馬)で葬るために東海道を下った家臣宇都宮泰藤。

残念ながらここ一色村で病にかかって、やむなく首はこの地に埋葬し自身もこの地で没したとのこと。忠義の話に胸が熱くなります。

最近は年末恒例の忠臣蔵も取り上げられる機会も減り、昭和のサラリーマン気質は過去に葬られる。滅私奉公を良しとはしませんが、忠義の気持ちは組織で働く以上は忘れてほしくない気がしています。

すぐ近くに、「上杉龍若丸墓」もあります。あの関東管領、山の内上杉憲政の嫡男「龍若丸」は北条氏康に降伏の使いとして小田原に出向きます。しかし、敵将の嫡男ということもあり、許されず若くして家臣と共に磔にかけられたとのこと。それを哀れんだ村人により、上杉神社として家臣と共に供養されたそうです。

ご存じ、上杉謙信(長尾景虎)は憲政の要請もあり、後に上杉家の家督と関東管領職を相続します。嫡男を失った事も関係していたのでしょうか?

旧道の案内
新田義貞公首塚
上杉龍若丸墓

街道を進み、山王川を渡ると右手に「山王神社」の鳥居と拝殿が正面に見えてきます。秀吉の小田原城攻めの際は家康が参詣したとも伝えられています。

由緒には「星月夜の社」といわれ、小田原の名所であったとあります。旧社地に星月夜の井戸があったことからこの名が付いているらしいです。井戸の水面に映る夜空、なんとも美しく風情ある呼び名ですね。

曹洞宗寺院「宗福寺」は、お隣山王神社の別当を勤めていた寺院。寺内にある「山王大権現」は、神仏分離令によりご神体を仮本堂内に安置、白山妙里大権現、稲荷大明神も合祀されたとあります。家康公が戦勝祈願で日参されたともあります。歴史ある寺社らしく、古い石仏が並んでいます。

山王神社
宗福寺
山王大権現

街道には「江戸口見附跡」と「小田原の一里塚跡」、日本橋から20里となり、いよいよ小田原宿に入ります。江戸時代には、門の土塁を一旦右に曲がって、さらに左に折れてから城下に入る形になっていたそうです。

小田原宿は本陣と脇本陣が四軒ずつあり、旅籠も江戸後期に95軒あったといいますから東海道でも大きな宿場であったことは間違いありません。

小田原宿と箱根の山
江戸口見附跡

街道からはずれて街中を海に向かって少し歩くと赤い鳥居が並んでいます。北條氏が建てた稲荷社、「北條稲荷神社」で、そばに「蛙石」があります。石碑には「小田原城主北條氏康悪夢に感じ創建せるところにして・・・」とあります。狐の祟りを鎮めるために建てた神社のようで、境内にはリアルなお狐様が数多くいらっしゃいました。

また「蛙石」は蛙石明神と崇められ、小田原に異変があるときには必ず鳴声を発するとあり、小田原城落城の際は夜な夜な盛んに鳴いたという名高い伝説もあるそうです。

北條稲荷神社 拝殿
北條稲荷神社
蛙石

旧東海道はメイン通りから一本裏に入り、「かまぼこ通り」の看板。通りに入るとすぐ、焼きたてちくわの「いせかね」、一子相伝の樽熟成、手づくりの塩辛が手に入る「わきや」、魚・水・技と三つのこだわり「やまじょう」と並び、レトロな喫茶「途上園」と続きます。

かまぼこ通り
いせかね
やまじょう

童謡「お猿のかごや」でおなじみ、小田原提灯が目印「小田原おでん本店」を過ぎると「古清水脇本陣跡」、「清水金左衛門本陣跡」には明治天皇小田原行在所跡があります。明治天皇もお泊りの、こちらの本陣は小田原に四軒あったうちの筆頭で、宿場町全体の掌握を行っており敷地面積は240坪とありました。

街道を挟んだ反対側少し奥には総鎮守「松原神社」があります。社誌によれば、北條氏の尊崇厚く社領一万石が寄せられ、氏綱、氏康等大事ごとに祈願したとあります。後醍醐天皇の時代には真鶴が棲み、「鶴の森明神」とも呼ばれていたとも。

小田原おでん本店
清水金左衛門本陣跡
松原神社

拝殿、狛犬はさすが立派で風格があります。古くは十二社あったようですが、現在も住吉神社、八幡神社などが祀られています。

境内には、戦勝ご利益の氏康公縁の「吉兆の大亀」があります。長寿の象徴の亀ですから、お賽銭10円で10日、百円で百日、千円納めると千日寿命が延びると案内書きがあります。千年で3年寿命が延びるという夢のようなお話、妻は100円入れていました。

松原神社 狛犬と拝殿
吉兆の大亀
御朱印

街道に戻ると本町交差点に、旧網問屋「なりわい交流館」があります。国の登録有形文化財に登録されている、木造二階建ての切妻造桟瓦葺が見事な建物で、一階が観光案内、お休み処、二階がイベント会場板の間になっています。

小田原名物は、かまぼこ、ひもの、梅干し、和菓子、木製品、市内の名所旧跡、お店の情報などのパンフレットが置いてありますので情報収集してから街歩きを始めましょう。

創業1814年かまぼこ御三家の「籠清」、小田原蒲鉾発祥の店、江戸天明元年創業の「うろこき」、足湯もあり、じねんじょ棒が人気です。行列を横目で見つつ、人通りで賑わう旧街道を少し離れて「徳常院」へ向かいます。

なりわい交流館
籠清
うろこき

すでに訪ねた、中山道や東海道の街道歩きでおなじみの八百屋お七。ここにある大仏は、その恋人、吉祥寺の寺小姓「吉三郎」がお七の菩提をとむらう為に作った大きな地蔵尊という伝説があり、「吉三地蔵」とも呼ばれているそうです。

お墓も刑場も見てきた身としては、見逃すわけにはいきません。想像していたより、すごく立派なお姿で延命地蔵尊として地蔵堂の中にいらっしゃいました。もとは芦ノ湖畔の賽の河原に安置されていたもののようです。

徳常院
吉三地蔵

街道に戻り、かまぼこチーズケーキが人気の「すずまつ」、テレビ番組にもよく登場する早瀬のひものがオープンさせたカフェ風のhimono stand 「hayase」、炭火で焼いた干物がその場で食べられる人気のお店です。

片岡永左衛門本陣跡から街道を進むと1633年創業の老舗「小西薬房」。建物、看板、エントランス共に趣があります。店内は右側がミニ博物館になっており、ズラッと引き出し小箱が並ぶ薬棚は必見です。

すずまつ
hayase
小西薬房

向かい側にはお城?こちらは650年の伝統を守ってきた「ういろう」、薬のういろう「透頂香」とお菓子の「ういろう」が有名です。お菓子は羊羹や最中も販売されています。

「透頂香」は頭痛、腹痛、めまいなど、色々な症状に効くそうですが、原料の生産が少なく十分作ることが出来ないので、対面販売のみということです。

お菓子のういろうは抹茶、小豆、黒砂糖の他、杏仁や栗もあります。昨日、アド街ック天国が小田原だった影響もあり、本日はすべて売り切れで購入出来ないという想定外のアクシデント。

蔵を利用した博物館もあり、外郎家ゆかりの品が展示されています。小田原駅前にも「ういろう駅前調剤薬局店」があり「ういろう」が販売されています。帰りに寄ってみたのですが、本日はこちらもすべて売り切れでした。

うす皮あんぱんを買い求めるお客さんで行列が出来る「柳屋ベーカリー」にも行ってみたのですが、こちらも本日は閉店。お向かいの「小田原市内電車」の展示を見学。国道1号線をチンチン電車が走っていたのですね。

ういろう
柳屋ベーカリー
小田原市内電車

街道から少し入ったところに見えてくる真っ赤な鳥居、大きな天満宮の扁額、「山角天神社」です。北條時代の道真画像は怒りの様相で、「怒り天神」の姿。市の指定重要文化財になっています。

梅に縁があることから梅花を詠んだ芭蕉句碑がありました。1820年に建てられた古いもの。童謡「通りゃんせ」の歌碑もありますが。こちらが発祥の地?。♪行きはよいよい帰りはこわい♪意味深な歌詞に惹かれますね。

山角天神社 鳥居
山角天神社 拝殿
「通りゃんせ」の歌碑

小田原城に向かいますが、二宮尊徳を祀っている「報徳二宮神社」へ参拝します。小田原が生誕地なんですね。

「二宮金次郎像」は、昭和3年に寄進されたもの。同じ像が全国の小学校に向けて約一千体制作されましたが、戦時中の供出で残っているのはこれ一体だけとあります。

また、報徳学園100周年記念として制作された10体の内1体の「二宮尊徳像」もあります。こちらの、説明書きには尊徳さんの「経済なき道徳は戯言であり、道徳なき経済は犯罪である」が紹介されていました。

報徳二宮神社
御朱印
二宮金次郎像
二宮尊徳像

神社の横が「小田原城址」、こども遊園地横を通って「天守閣」に直接向かうことが出来ます。難攻不落といわれた小田原城は城と城下を囲む総延長9kmに及ぶ総構えの規模、天守閣は高さ38,7メートル、3重4階の天守櫓は小田原のシンボル、美しいの一言です。本丸正門の「常盤木門」、二の丸正面の「銅門」も見ごたえあります。

小田原城 天守閣
小田原城 天守閣
常盤木門
銅門

ここから、本日のゴールまではあと一息。駅に向かう通りには、飲食店やお土産店がずらり並びます。疲れも忘れて、賑やかな街中を手土産を物色しながら歩いていけば小田原駅に到着。駅のペデストリアンデッキから見える小田原城も神々しい姿です。

小田原城 案内図
小田原駅

街道歩き初の25kmのロングウォーク、さすがに少々疲れましたが無事小田原駅に到着。二宮駅からの距離もありますが、鎌倉、室町、安土桃山、江戸と歴史にまつわる魅力的な立ち寄り先が多く歴史好きにはたまらないコース。

思いのほか時間と距離を要するコースでしたが、心地よい達成感が感じられ疲労感はありません。

ゴールの小田原宿は、見る、食べるに加えて温泉も楽しめるレジャースポット、改めてゆっくりと訪れて、食べ歩きなんかも楽しみたいと思える素敵な街でした。

次回は東海道シーズン1のラストとなるその10になります。箱根の峠越えの手前、箱根湯本迄向かいますよ。

↓↓ 東海道 その10はこちら

東海道 街道を歩く その10 歴史を訪ねる シニアの健康ウォーキング 小田原→箱根湯本
旧街道を歩く、東海道シーズン1の最終回は小田原から箱根湯本までの街道ウォーク。北條一門の歴史が色濃く残る小田原を後にして箱根の山へと向かいます。湯本は情緒ある温泉町、旧道の面影が残る石畳や早雲寺の見事な枯山水庭園など見どころ満載。鈴廣のかまぼこ博物館をはじめ、お土産の種類は豊富で目移りしちゃいました。

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