甲州街道 その6 日野→高尾
甲州街道その6では、日野→八王子→西八王子→高尾まで歩きます。
距離は19,4Km、所要時間は5:11時間、消費カロリー1,886kcal、25,088歩
※画像はクリックすると拡大でご覧いただけます。
日野→八王子
今回はJR日野駅から出発、八王子方面に向かいます。
中央線沿いを八王子方面に少し歩くと地元で「いずなさま」呼ばれている「飯綱権現社」があります。
原点は長野県飯縄山上に奉られた飯縄権現で高尾山とも関係が深いと言われています。
お隣が「坂下地蔵堂」。
西の地蔵とも呼ばれ、堂の前方には2体の大きな石地蔵と6体の小地蔵が並んでいます。
銅造地蔵菩薩坐像は日野宿西の出入り口に鎮座して旅人を見守っていたんですね。
旧甲州街道を登っていくと日野大阪上の交差点、眺望がよく気持ちがいいです。
さらに進んで歩いていくと右手に日野自動車本社の大きな敷地。
日野市教育委員会の一説によれば、ここには日野用水を開削した佐藤隼人を称え、連署を埋葬したことから「請人塚」と呼ばれるものがあるそうです。
「上人塚」とも呼ばれています。
佐藤隼人はあの斉藤道三の家臣、義龍に討たれたのち日野に帰農したそうです。
後の上佐藤家の祖。
本社敷地、西の外れに「日野台の一里塚跡」の解説ボードがありました。
南の塚は高さ2,6メートルと大きなものであったと記されています。
しばらく進むと今度は左手にコニカミノルタさんの看板が見えてきました。
こちらの敷地内には「富士塚」と呼ばれるものがありますが、富士信仰との関連ははっきりしていないそうです。塚と呼ばれるものは各地に点在しており興味深いです。
作られた理由は何だったんでしょうね。
一里塚に代表されるランドマーク的なものなんでしょうかね。
次に見えてきたのは「高倉稲荷神社」、この地の高倉新田の鎮守様です。
八高線を過ぎると大和田地区、こちらに「日枝神社」があります。
徳川幕府の安定と共に江戸の町は栄え、赤坂日枝神社を総鎮守とする日枝神社が分祀されました。
こちらもその一つで大和田の山王さまと呼ばれ江戸の昔より参詣が多かったと伝えられています。1,649年、徳川家光公より社領五石の御朱印を賜ったと伝えられています。
司馬遼太郎の「燃えよ剣」には、新選組の土方や沖田が山王さまの杜で大暴れしたくだりが描かれています。
すぐお隣に「東光密寺」があります。
大和田日枝神社の別当寺。
別当寺とは神社を管理するために置かれた寺のこと。本尊は薬師如来立像。
大和田町四丁目の交差点を過ぎると旧道が左に残っています。こちらには石仏石塔群。
道祖神、馬頭観音、1858年建立の道標「江戸むら大和田道」等があり歴史を感じます。
いよいよ浅川、川幅もあり立派な河川です。
四月から九月までは徒歩わたりでした。
鮎が名物で将軍家に献上されたそうです。
大和田橋には大戦時の空襲による焼夷弾の着弾位置がタイルで示されていました。
橋から見えるのが八王子ニューグランドホテル、手前の素敵な建物はイギリスから移築した140年前の教会。
ロケ地としても使われているようです。
橋を渡り、北大通を右へ進み途中から旧甲州街道へ入ると新町竹の鼻の一里塚跡、すぐ隣が「永福稲荷神社」、祭神は倉稲魂命(ウカノミタマノミコト)です。
古くはこのあたり一帯は竹の鼻と呼ばれていたところから竹の鼻稲荷神社ともいわれていたそうです。
境内には芭蕉句碑や江戸時代中期に活躍した八王子出身の力士「八光山権五郎像」。
相撲は神事と深いかかわりがあることから、五穀守護の神「倉稲魂命」の神前で願いを込めて相撲を奉納したとあります。
芭蕉の句碑には
「蝶の飛ぶ ばかり野中の 日かげ哉」
日陰は蝶の影だけなんて、さすが芭蕉。
広大な野原が目に浮かびます。
先に進むと街道は突き当たりとなります、新町の枡形。ここを左折してJR方面に進むと「市守大鳥神社」の真っ赤な鳥居が目に入ってきます。
神社前が八王子宿の江戸口で木戸があった場所。いよいよ八王子。
八王子→西八王子
八王子城は北条氏照の居城であったが前田利家の攻めにより落城。
後に領主になった家康は大久保長安に新たな街造りを命じました。
宿並は東から横山宿、八日市宿、八幡宿で構成され、総称して八王子宿です。
甲州道中宿村大概帳によれば、宿内家数は千五百四十八件、本陣二、脇本陣三、問屋二、旅籠三十四軒で人口は六千二十六人とあります。
大通りに出ると「子安神社」。
こちらは安産・育児・子授けの神様「コノハナサクヤヒメ」がご祭神、安産祈願のため「底抜け柄杓」を神水殿に奉納するならわしがあります。
徳川家光公以降代々の将軍家から朱印を受けており、御紋は三つ葉葵となっています。
駅から少し離れて「大義寺」に向かいます。
真言宗智山派、本尊は薬師如来、永福稲荷の芭蕉碑を建立した、江戸期の女流俳人松原庵星布の墓があります。
すぐ先に「八幡八雲神社」があります。横山党は武蔵国の武士団、武蔵七党の一つで70余りの氏族を含む最大規模の武士団でした、こちらは横山氏の根拠地あったと考えられています。
横山党の守護神で八王子総鎮守。
横山村、八王子のはじまりなんですね。
西へ少し歩けば「禅東院」、「とうがらし地蔵」があります。
飢餓の際に唐辛子を内藤新宿の問屋に卸し、救われたところから祈願の際に唐辛子を供えるようになりました。
甲州街道に戻ると、「八日市宿跡碑」。
八日市宿には新野本陣や山上脇本陣があり横山宿と並び中心的役割を担い賑わっていたようです。
すぐ横に立派な呉服屋さんがあります。
荒井呉服店。
八王子といえば「ユーミンの実家」。
1912年創業ですから100年以上の歴史。
再開発でビルになってしまい昔の面影はありませんが、ユーミンファンには聖地です。
甲州街道を歩いていくと、趣のある和菓子屋さんがありました。
ほていやさん。暖簾のほていさまのマークが歴史を感じさせます。
きんつば、田舎まんじゅう、あんこ玉、どら焼き、どれも手作りの品、帰ってから食べるのが楽しみです。
本郷横丁東の交差点を左に曲がってJRの線路方向に進みます。
ちょっと歩きますが住宅地を抜けると大木の茂みが、「産千代稲荷神社」です。
「史蹟大久保岩見守長安陣屋跡」碑が。
稲荷社は陣屋内社であったというから驚き。
長安は幕府の代官頭として八王子宿を開設。
街並みの南側に陣屋を置き八王子千人同心の組織化や千人町の成立に尽力しました。
通りを進むと、左手に立派な瓦屋根の存在感がある古い建物が見えてきました。
明治14年創業の「なかの屋」さん。
こんにゃくと寒天の専門店。
手作りのこんにゃくやあんみつ、ところてんが持ち帰りできます。
向かいにあるのが「笠間稲荷神社」。
八木宿の鎮守として祀られていました。
もともとはお寺の敷地に鎮座していてお寺だけが移転した珍しい例ですね。
大きな交差点が見えてきました。
「追分道標」です。
すぐ先に「八王子千人同心屋敷跡記念碑」があります。
千人同心は千人町と付近の村々に分かれて住んでいた半士半農の武士集団。
もとは甲州武田氏の家臣・小人頭と配下の小人たちです。
家康は9人を甲州国境9カ所の道筋奉行に命じ、その後小人たちは千人町に拝領屋敷地を与えられ甲州口の押さえとしたそうです。
近くには千人同心の墓がある「了法寺」。
こちら日蓮宗のお寺なんですが入口にはアニメの看板が、イメージキャラは弁財天。
甲州街道を渡ると「興岳寺」、御本尊は薬師如来像です。
石坂勘兵衛が甲斐の天目山の山中にて、毎夜キラキラ光るものを見出し、武田信玄に献上したという伝説があるそうです。
石坂弥次右衛門は八王子千人頭の一人で日光勤番の任にあたりました。
新政府軍が日光に迫った際、大鳥圭介等に謀り交戦せず日光を明け渡し帰還。
東照宮は戦火を免れたのですが、八王子には攘夷派の批判もあり責任を負い自刃。
後に、東照宮を今日にあらしめた功績者として世にたたえられるに至っています。
西八王子→高尾
西八王子駅北口から甲州街道を南浅川方面に歩いていくと「宗格院」です。
曹洞宗の「宗格院」には大久保長安が浅川の氾濫を防ぐために築いた「岩見土手」の一部が残っています。
幕末の北方警備と蝦夷地の開拓に尽くした八王子千人同心組頭見習い河西祐助の記念碑もあります。
江戸時代に千人隊拝領の馬場が宗格院の北側 にあったのでこのあたり「馬場横丁」と呼んでいたそうです。
甲州街道に戻り高尾方面へしばらく進むと街道沿いに「長安寺」が見えてきました。
参道の敷石は八王子市内を走っていた路面電車の敷設石であったもの。
路面電車が走っていたんですね。
調べてみると武蔵中央電気鉄道が1929年から1939年まで運営していたとありました。
現在の京王八王子駅から高尾山口あたりまでの路線だったようです。
高尾駅まで甲州街道沿いは見事なイチョウ並木です。
多摩御陵造営記念に追分町交差点と高尾駅入口の間、4kmにわたり770本のイチョウが植樹されています。
11月には、いちょう祭りが開催されます。
多摩御陵西の交差点を右方向へ行くと旧甲州街道に入ります。
武田信玄の六女、松姫所縁の「子育地蔵」がある「山王社」。
さらに旧道を歩いていくと立派な「黒塀の旧家」。維持していくのが大変そうですが、一度は住んでみたいものですね。
旧道が終わり町田街道の交差点を渡ると「熊野神社」です。
北条氏輝が再建した神社。
境内に「縁結びの木」と呼ばれるケヤキとカシの根本が一緒になって成長した「相生木」があります。
この木の根元に自分の名前と思いを寄せる人の名前を書いた小石二つを置くと願いが叶うとありました。
もっと若かりし頃に訪ねたかったと思う還暦過ぎのおじさんでした。
まもなく高尾駅。
北口手前、街道沿いに美味しそうな香りと心惹かれる看板が登場。
手造りパン「ウエスト」さん。
アイスメロンパンや甘食もおすすめと。
高尾と陣馬、山の名前のネーミングに魅かれて、「あんぱん」2種をお土産に購入。
いずれも一つ160円が割引価格で140円。
「高尾あんぱん」は餡子とホイップクリーム。「陣馬あんぱん」はごま餡ときなこクリームが入っています。
お家に持ち帰って食べたのですが、パンはフワフワ、餡子もしっとり、クリームとのマッチングも絶妙な組み合わせで美味しくいただきました。
「ウエスト」さんは30年ほど前にお父さんが甲府市で開業し、13年前にこちらに移転されたそうです。お父様から引き継いだ生地の作り方においしさの秘密があるのかもしれませんね。
ようやく本日のゴール高尾駅に到着です。
次回が峠越えになるので、いつもより距離は長めの高尾までの街道歩きとなりました。
さすがに疲れましたが、心地よい達成感に包まれます。
次回の峠越え、楽しみです。
↓↓その7はこちら
↓↓街道を歩く 準備編はこちら