中山道 その6 桶川→鴻巣
その6は、桶川→北本→鴻巣を歩きます。
距離は14,5Km、所要時間は3:47時間、17,112歩、消費カロリー1059kcal
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桶川→北本
前回訪ねた街中を歩き桶川宿京口へ向かいます。
蔵造りの商家や本陣跡など、この宿場は何度見ても気持ちがやすらぎます。
京口の木戸址、桶川宿碑を確認してさらに街道を進みましょう。
まっすぐ道が続く北本までのロングウォーク。
二ツ塚の交差点を過ぎた先に「FUJIYA」さん、郊外型の店舗を見るのは初めてかも。
屋根にはペコちゃんとポコちゃん!
ペコちゃんは永遠の6歳、ポコちゃんは永遠の7歳だってご存じですか?
3kmほどひたすら歩けば、「中山道北本宿碑」に到着。
江戸時代初期にあった宿駅、本宿村は中山道が整備されると鴻巣に移されました。
宿場があったところは本宿(元宿)村と呼ばれ北本の地名の起こりとなっているそうです。
旅籠や店はありませんでしたが、下茶屋と三軒茶屋の二ヵ所には「立場」がおかれ旅人は疲れをいやしました。
【立場茶屋】たてばぢゃや
江戸の用語辞典 p245
宿場と宿場の間に設けられました、休息所でございます。お茶や餅の他、食事もできました。
少し先の観音堂で手を合わせて先に進めば「多聞寺」が見えてきます。
真言宗智山派、1661年創建。北本七福神めぐりでは毘沙門天のポイント。
境内には樹齢およそ200年の「ムクロジ」があり県の指定天然記念物。
根回りが7,8メートルの見事な大木、パワーをいただきましょう。
三十三回忌までご先祖様をお守りする13人の仏さま、「十三仏」が鎮座していらっしゃいます。
百か日を過ぎた父の為に観音菩薩さま、三回忌を過ぎた義父の為に阿弥陀如来さまに祈りをささげ寺院を後に。
すぐお隣が「天神社」、元宿村名主岡野家が京の北野天満宮を勧請したもの。
学問の神様を祀っている天神社、和算家が解法を記して神社仏閣に奉納した絵馬や額のことである「算額」の説明書きが境内にありました。
こちらの算額は平面幾何の問題とのこと。
算額研究が盛んだったんですね。
北本→鴻巣
北本の駅前を過ぎると「勝林寺」。
広々とした敷地と山門への参道、立派な石柱が印象的な浄土宗のお寺。
古い石仏が並んでおり歴史を感じます。
街道を挟んだ向かい側は「東間浅間神社」。
「東間の富士塚」はセンゲンサマと呼ばれて高さが6メートルの規模、頂きには木造の社殿が。
江戸後期に隆盛した「富士講」以前の古い富士信仰による築造で類例は少ないそうです。
本殿へ続くのは天国への階段?
あれを登るのか….疲れてきた足にプレッシャーが。
しかし、鳥居からまっすぐ伸びる参道と先の階段は美しいです。
がんばって登り社殿にお参りしましょう。
帰りは裏側に階段ではなく、安全に降りることができる迂回路がありました。
躊躇なくこちらへすすみます。
少し戻って高崎線の踏切を渡り、江戸時代初期の古中山道を進むと「原馬室の一里塚」。
こちらは西塚で東側の塚は明治16年の高崎線敷設により取り壊されたとのこと。
旧中山道の道筋が分かる貴重な資料です。
古道を進むと古い馬頭観音の石碑がブロック塀に囲まれて安置されていました。
踏切を渡って中山道へ戻れば「鴻巣宿加宿上谷新田碑」です。
人形の街「鴻巣」は間もなく。
人形製造のお店の看板も目立つようになり、道幅も当時をしのばせる雰囲気です。
前方に「八幡神社」の鳥居。
祭神は誉田別命で、本殿には騎乗の八幡大明神像を奉安しているそうです。
奥には浅間神社も祀られており、江戸期にはお隣の金剛院の境内に共に祀られていたことがわかります。
裏手に立派な山門、1471年創建の真言宗智山派「金剛院」です。
白壁に囲まれた大きな寺院、本尊は大日如来、山門を入るとすぐ左手に「不動堂」があります。
街道に戻ると「鴻巣市産業観光館」がありますので寄っていきましょう。
館内には江戸時代の享保雛から昭和に至るさまざまな時代のひな人形がならびます。
赤物と呼ばれている伝統工芸品の干支の人形なども展示販売されていました。
私の干支の猪がいい感じだったので妻に購入を相談。結果は・・・
鴻巣は江戸時代から受け継がれるひな人形のふるさとで明治になるとますます盛んとなりました。
越谷六軒、大沢三軒、岩槻三軒に比べ、鴻巣の人形業者は30軒、職人300人という記録があるそうです。
職人300人との記述には驚きました。
ひな人形は季節ものですが、売れに売れたんでしょうね。これも日本の大切な文化。
「是よりこうのす宿碑」へ向かいます。
こちらが鴻巣宿の東口。
裏手の金刀比羅神社にお参りをしてから、「勝願寺」へ。
浄土宗の寺院で関東十八檀林の1つです。
檀林とは僧侶養成機関・学問所のこと、家康から三つ葉葵の使用を許されています。
惣門、仁王門、本堂とどれも見ごたえのある建物。
本多忠勝の娘で真田信之の妻小松姫、信濃の国小諸藩主仙谷秀久、伊奈氏、牧野氏らの墓所となっています。
駅の方へ歩いていくと「鴻巣御殿跡」。日本一小さい「東照宮」があります。
鴻巣御殿は1593年、徳川家康によって鷹狩や領内視察などの宿泊や休憩所として建てられ、敷地は約1,4ヘクタールもあったそうです。
秀忠、家光の三代にわたって利用されましたが、1630年頃を最後として使われなくなり、現在は民有地。
東照宮は1691年に御殿地に祀られたもの。
街道へ戻り、「鴻巣本陣跡碑」、「中山道鴻巣宿碑」を見て「法要寺」へ進みます。
本尊には行基作と伝えられる大日如来が安置されています。
寺紋は「梅に鉢」で加賀前田家と同じ紋。
参勤交代における鴻巣の宿泊所として法要寺を利用することになった際使用を許可されたもの。
市神様の社前の狛犬が見えます。
市神社は鴻巣宿の繁栄を願って建立された古い社でした。
明治3年の大強風で潰滅し、狛犬だけが残されたそうです。随分古くて苦労された狛犬さん、ありがたいことです。
街道沿いの古い家屋は「田沼家の母屋と蔵」。
高祖父が西南の役に従軍し、賜った功労金を原資として明治12年に建てられたもの。
「鴻神社」は1873年に鴻巣宿の竹の森雷電社、熊野社、氷川社を合祀して「鴻三社」となり、明治に入り東照宮、日枝神社など多くの社を合祀して鴻神社となりました。
鴻巣の漢字名称の由来となった「こうのとり伝説」が伝わる神社でもあります。
境内の木の神と呼ばれる大きな木にこうのとりが巣を作ってたまごを産みます。
どこからかヘビが出てきてこれを食べようとすると、こうのとりが舞い戻りヘビを追い払いました。
その後、この地には災いもなくなり平和な日々が続いたそうです。
木の下にお宮をつくり、こうのとりのお宮「鴻の宮」と名付けこの地の守り神に。
こんな素敵なストーリーがある、ありがたい神社なんです。
縁結びと縁切りの三狐稲荷神社、女子力向上の幸の宮弁天社、夫婦円満のご神木「夫婦銀杏」がありこちらは樹齢700年以上の雄木と雌木ということです。
我が家も夫婦円満を祈りました。
効果があることを期待。
本日の予定はこれまで、お疲れ様でした。
鴻巣駅へ戻ります。
駅前に和菓子屋さんが。
「木村屋製菓舗」さんは明治38年創業の手作りにこだわった和菓子屋さん。
この地の名物、餡がたっぷりのお饅頭をお赤飯でつつんだ「いがまんじゅう」をお土産に。
お饅頭にお赤飯とは・・・ありそうで、なかった発想に脱帽。
栗入りは最後の一つ。
普通のこしあんと栗入りを購入、ラッキー。
おひな最中と花豆も頂いて帰ります。
名物の「川幅どら焼き」も大きくて迫力満点だったのですが、次回ということで。
今回で中山道も6回目となりました。
・健康になった気がする
・初めて見る風景は脳に程よい刺激
・空気がうまい、ご飯もうまい
・活きた歴史の学び、知る楽しみが
・おいしいお菓子に出会える
・汗を流した後のビールは最高
・お金がかからない
・夫婦の会話が増えた気がする
改めて、こんな街道歩きの良さを感じることができた6回目。
準備する楽しみ、歩いて見て回る楽しみ、帰ってから整理する楽しみ。
1回の街道歩きで3回も楽しめます。
だからおすすめなんです。
まだまだ街道歩きは続きます。
次回は熊谷宿を目指して吹上迄歩きますよ。
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