東海道 街道を歩く その5 歴史を訪ねる シニアの健康ウォーキング 保土ヶ谷(天王町)→戸塚

街道ウォーク
photo by ゆう
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東海道 その5 保土ヶ谷(天王町)→戸塚

東海道その5は、保土ヶ谷(天王町)→戸塚を歩きます。
距離は15,8Km、所要時間は4:23時間 18,728歩、消費カロリー971kcal

※画像はクリックすると拡大でご覧いただけます。
※スマホでも読みやすいように、改行が多くなっております。PCでは少々見づらくなっていることをご了承願います。

保土ヶ谷宿 新町橋
富嶽三十六景 東海道保土ヶ谷

保土ヶ谷(天王町)→権太坂

前回の終了地、相鉄線の天王町駅からスタートですが、その前に腹ごしらえ。
乗換駅の相鉄線横浜駅構内に「立ち食い 星のうどん」があります。

立ち食いそばはお馴染みですが、うどん専門は初めて。入口で食券購入ですがメニューの多さにビックリ。

私はおすすめの「3種のきのこのかき揚げ天うどん」、家内は「梅とろろ昆布」。

お店の説明に「うどんはさぬき、汁は薄口の博多風」とあるように関東の黒いスープではなく、シコシコさぬきに出汁のきいた美味しいうどんでした。なぜ、横浜?なぜ相鉄?近くにあると重宝しそうな立ち食いでした。

入口で食券を
スープも麺も本格的

お腹も一杯になったところで電車で移動。相鉄線の「天王町駅」からスタート、保土ヶ谷駅方面に歩いて宿場の中心部へ向かいます。

駅前の公園には「旧帷子橋(新町橋)」が復元されています。絵画に描かれたり歌や俳句に詠まれるなど保土谷宿を代表する風景として知られていた橋。

街道を進み大門通の交差点を過ぎると、右手に大きなお釜が。高野山真言宗の「香象院」で、本堂手前のお堂には「延命地蔵尊」が7体のお地蔵さまと安置されています。

東国八十八か所霊場26番札所。入口の大きなお釜、「横川の釜飯」しか頭に浮かばない貧弱な発想力を反省しながら先を急ぎます。

「旧帷子橋(新町橋)」が復元
相鉄線 天王町駅
香象院 入口石柱とお釜
延命地蔵尊

街道と並行する一本裏の通りへ進みます。この道が古東海道で曹洞宗「天徳院」の山門が見えてきました。本尊は運慶作といわれる地蔵菩薩坐像。禅寺らしい落ち着いた佇まいです。

窓の上枠を火炎形に作った釣り鐘形に見える窓。禅宗寺院によくみられる火灯窓(かとうまど)といいます。中学生の時に座禅修行に行かされた私にとって、辛く特別な思い出がある窓。思いだしちゃいました。

天徳院 山門
天徳院 本堂 火灯窓

すぐ隣は日蓮宗「大蓮寺」、日蓮大聖人御霊跡、帷子の里との案内。階段を登って山門をくぐると正面に本堂が堂々たる構えです。家康側室「おまんの方のお手植えのざくろ」の木が本堂手前左手にありました。

大蓮寺 山門
本堂 手前左にお手植えざくろ

学園通りを挟んであるのが真言宗の「遍照寺」で、本尊の薬師如来像は鎌倉時代作。平成七年に横浜市指定有形文化財になっています。

街道に戻ると「旧中橋跡」。今井川はここで宿場を横切っており「中橋」が架けられていた場所となります。

下流域を浸水する状況で、幕末に現在の川筋に改修された歴史があります。改修で発生した残土を品川台場の埋め立て用の土として幕府へ献上したとの説明書きがかけられていました。

今と違って、たいした道具や設備も無いのに大規模な土木工事を行っていた当時の人々には頭が下がりますね。

遍照寺
旧中橋跡

街道歩きではすっかりおなじみになった、「助郷会所跡」、「問屋場跡」、「高札所跡」と続きます。

保土ヶ谷区役所が掲示している歴史の道の案内が大変分かりやすく、これらについての説明書きもあります。

東海道五十三次之内 庄野「人馬宿継之図」初代広重の問屋場での手続きや荷物の積み替えの絵も掲示されており、当時の様子がよく分かります。

そして左手前方には金沢道道標。金沢浦賀への出入り口にあたる追分、金沢横町とよばれました。休憩所の帷子番所の前に道案内の「石碑が4基」並んでいます。

金沢・浦賀往還には信仰や観光の枝道があるため道標として4基建てられました。右から「円海山之道」、「かなさわ、かまくら道」、「杉田道」、「富岡山芋大明神社の道」とあるようです。

街道は「東海道本線と横須賀本線の踏切」を渡って進み、すぐ突き当りとなり国道と合流。

こちら正面が保土ヶ谷「本陣跡」。小田原北条氏の家臣苅部豊前の守の子孫が代々つとめました。建物は現在も残っており門や立派な土蔵を見ることが出来ます。このような建物はぜひ残していってほしいですね。

石碑が4基
問屋場跡
東海道本線と横須賀本線の踏切
保土ヶ谷「本陣跡」

近くには、本陣が混雑した際に使われた「脇本陣跡」も。保土ヶ谷には藤屋、水屋、大金子屋の3軒の脇本陣がありました。

また、正式な本陣に匹敵する規模と格式を持つ茶屋が上方見附付近にあり茶屋本陣と呼ばれていたそうです。他にも旅籠屋が天保年間には69軒、旅人が休憩するための茶屋が文政7年には33軒あったそうで、保土ヶ谷宿の賑わいが想像できますね。

間口の広い格子が美しい存在感がある建物が見えてきました。「旅籠 本金子屋伝左衛門跡」です。現在の建物は明治初期のものですが、旅籠の面影を残す建造物で入口に掲げられていたお庭の写真も素敵なものでした。

脇本陣跡
旅籠 本金子屋伝左衛門跡

保土ヶ谷宿と書かれた垂れ幕がかかった建物です。お店かな?と思ったら「旧東海道保土ヶ谷宿お休み処」でした。

こちらは、自治会が運営する案内所で資料やお土産など置いてあり街道歩きに必要な情報があります。ボランティアのガイドさんが、この先の見どころや、道の間違いやすい箇所など教えてくれますのでとっても助かりました。

今日まで訪ねてきた、品川、川崎、神奈川、保土ヶ谷、戸塚、五宿の広重浮世絵缶バッジを購入。ひとつ100円は良心的なお値段、いい記念になりました。

旧東海道保土ヶ谷宿お休み処
広重 缶バッジ

この先にある一里塚跡、こちらは江戸から8番目のもの。日本橋を出発してから結構歩いて来たんだ・・・と実感が湧いてきます。昔の旅人はここまで一日で来たといいますから健脚ぞろいだったんですね。

ここには、保土ヶ谷宿の京都側の出入り口となる「上方見附跡」もあります。土居と呼ばれる土塁の上に竹木で矢来を組んだ当時の様子を再現してありました。

保土ヶ谷宿の松並木は境木まで3kmあまり続いており浮世絵にも描かれています。

この先、今井川に沿って300メートルの区間に松などが植樹されています。旅人を夏の日差しや冬の風雪から守ってきた「松並木」の雰囲気を味わいながら先へ進みましょう。

松並木が終わるあたり、国道を渡り道は旧東海道へ分かれます。

旧道を進むと右手に石段が見えてきました。山門をくぐると手入れされたお庭の先に本堂、日蓮宗妙秀山「樹源寺」です。

保土ヶ谷宿本陣、刈部吉次の奥方が日蓮聖人の御教に深く帰依され妙秀尼(みょうしゅうに)と号し、日蓮宗総本山身延山久遠寺の末寺として開山した寺院だそうです。神社仏閣と名家たる本陣の関りは大きいものなんですね。

松並木が再現
上方見附跡
右手奥から旧東海道へ
樹源寺 本堂

「青面金剛像」と「旧東海道権太坂道路改修碑」を過ぎて横浜横須賀道路を権太坂陸橋で渡ります。狩場のIC方面が一望できる気持ちがいいスポット。

権太坂→戸塚

きつい難所の一番坂、光陵高校の前に「権太坂の標石」があります。名前の由来は、耳の遠い老齢の農民に坂の名を聞いたところ、名前を聞かれたと思い、「権太」と答えたためとありました。

権左衛門という人が代官の指図によってひらいてできた坂道を「権左坂」と名付けたものが「権太坂」とよばれるようになったという説もあるようですね。諸説あるようですが、個人的には耳の遠い老人説が心和んで好き。

きつい難所の権太坂
権太坂の標石

この辺りは高台となり眺めは最高、今日は富士山もバッチリ見えます。切手収集が趣味だった私は趣味週間の北斎「富嶽三十六景東海道保土ヶ谷」がお気に入りでした。

ここに江戸時代のように松並木があれば、目の前に見えている富士山の感じは、まさしくあの浮世絵の風景のようなんだろうなと思うと感慨もひとしお。この場に立てるとは思っても見ませんでした。

登り坂を左に少し住宅街を下っていくと「投込塚之跡」です。難所だった権太坂で行倒れになった旅人を投げ込んだ塚で馬頭観音、金剛像がありました。出土した人骨は東福寺に埋葬されているとあります。

旅も命がけだった?これだけ歩けば具合が悪くなる方が出てもおかしくありません。救急車が来てくれるはずもなく、一般庶民の亡骸を国元へ運ぶわけにもいかず、ということなんでしょうね。

街道に戻ると「境木立場茶屋若林家」の素晴らしいお屋敷、参勤交代の大名までもが利用したと伝えられています。境木の立場は権太坂、焼餅坂、品濃坂と難所が続く中で、西には富士山が望める眺めのいい場所。茶屋で出す「牡丹餅」は名物として広く知られて賑わっていました。

権太坂からの富士山
保土ヶ谷 切手の初日カバー
投込塚之跡
境木立場茶屋若林家

先程から目につく「おじぞうさんもなか」の看板が気になります、行ってみましょう。街道から少し入ると「菓匠栗山」さんがありました。入口には大きくおじぞうさんの看板。

残念ながら人気の毎日つきたて「ごんた餅」は売り切れ、小倉あんと白あんの境木おじぞうさん「もなか」とまんじゅうを買って帰ることにします。

菓匠栗山
おじぞうさん もなかとまんじゅう

右手に緑で覆われた別世界が拡がっています。階段を登ると「境木地蔵尊」の地蔵堂。

鎌倉腰越の海辺に漂着したお地蔵さんを漁師が運んできたものを村人が引き取りお堂を建てて安置したと言われているそうです。ここでも、海からのお地蔵さんと漁師さんの話に出会えました。

境木地蔵尊
境木地蔵尊 地蔵堂

地蔵尊の前の広場にあるのが「武相国境之木」で武蔵国と相模国の地図が描かれ京都百十七里との表記。国境の杭があった場所なんですね。

武相国境之木
武蔵国と相模国の地図

そして、「焼餅坂」と続きます。別名牡丹餅坂で戸塚方面に下っていきましょう。

思ったより長くて急な下り坂、一服する旅人を目当てにした茶屋が並んでいて焼餅を売っていたことからこの名前が付いたそうですよ。

坂の途中、両側に大きな丘のような所が現れました。ここが「品濃一里塚」のようです。日本橋から9番目、東西に二つの塚があります。今までもいくつか一里塚を見てきましたが、ここは大きい立派な塚。両側共に一里塚公園となっています。

焼餅坂
品濃一里塚

住宅街の中、坂道を下っていくと高層マンション街が見えてきました。東戸塚の駅方面となります。

右手の高台に「福寿観音」と「お地蔵さま」がオシャレなコートをまとっていらっしゃいました。心なしかお顔からは笑みが、ご満足の様子です。

街道は「品濃坂上」に到着、こちらからも富士山が望めます。この先は急坂を下り、環状2号線の歩道橋を渡って東戸塚駅方面。高低差がかなりあって、途中から階段になります。

まだまだ街道は下っていき、結構な距離を歩きます。進んでいくと国道1号線に出て、しばらく柏尾川沿いを歩けば赤関橋。さらに先へ進むと国道と合流となり山崎製パンの横浜工場を右手見て歩いていきます。

品濃坂上
福寿観音のお地蔵さま
環状2号線の歩道橋より
まだまだ下ります

「王子神社」の交差点までやって来ました。こちらを左折すると前方は静かな杜。鳥居をくぐって社殿へ向かいます、風が変わりました。これが凛とした威厳のある様子なんだということが実感できる場所。何かを感じる場所。

この神社は護良親王を祭っており、本殿の地中に葬られているとの話があるようです。護良親王は後醍醐天皇の第三皇子で足利方に捕らえられて殺害されています。

王子神社 鳥居
王子神社 参道

NHKの大河ドラマ「太平記」が思い出されます。真田広之演じる足利尊氏、片岡孝夫演じる後醍醐天皇がイメージがピッタリでした。

護良親王、宮将軍を演じていたのが堤大二郎。武田鉄矢演じる楠木正成や根津甚八演じる新田義貞も良かったです。なんといっても片岡鶴太郎演じる14代執権北条高時が最高の演技でした。大河の中でもピカ一の傑作だったと思います。そうそう、宮沢りえもかわいかったですよ。

この先には、「護良親王首洗い井戸」もありました。ドラマのワンシーンが思い出されます。

王子神社 本殿
護良親王首洗い井戸

大山詣での柏尾通りの入口となる「大山道道標」を過ぎて不動坂の交差点から旧道に入ります。

見えてきたのは「赤レンガの建物」、鎌倉ハムの倉庫です。イギリス人のウイリアム・カーチスからハムの製造法を学んで鎌倉ハムが国産初の工場を設立したんですね。鎌倉ハムのホームページには工場設立130周年の文字が躍っています。

鶴岡八幡宮がある「鎌倉」の「鎌倉ハム」と思っていましたが違いました。戸塚宿のこのあたりが昔は鎌倉郡で、その土地の名を取って鎌倉ハムということが判明しました。知らないって怖いです。

この辺りで北条氏の家臣、石巻五太夫が家康を迎えたことから付いた名前の「五太夫橋」から旧東海道は国道に合流となります。

赤レンガの建物
五太夫橋

国道沿いを歩いていけば「宝蔵院」の大きな石柱、真言宗東峯山とあります。本堂左奥には地蔵堂もあり沢山のお地蔵さまが安置されていました。

本堂にて写経教室や書道教室、ヨガ教室など文化教室が開催されており地域住民との触れ合いを大切にされている寺院です。

右手前方に歩いていくと戸塚宿の入口、「江戸方見附跡」です。ここから京口までの2,2Kmが戸塚宿となります。

宝蔵院
江戸方見附跡

街道から少し奥に入ったところにあるのが日蓮宗のお寺「妙秀寺」。本尊は釈迦如来、広重の絵に描かれている「かまくらみち」の道標があります。確かに橋の左側中央に道標が描かれています。

浮世絵に描かれている本物の道標を目の前に見られるなんて、触れると300年前にワープしそうです。

妙秀寺
「かまくらみち」の道標

街道に戻って「戸塚の一里塚跡」を確認、江戸から十番目ですから40km。向かい側に赤い祠が印象的な「木之間稲荷」があります。江戸時代中期に創建されたもの。

「吉田大橋」をわたります。こちらが広重の戸塚宿で描いた場所になります。橋の袂には大きく絵で案内が出ており、先程妙秀寺で見た道標が中央にしっかりと見て取れます。

まもなく本日のゴール戸塚駅。途中右手にあるのは浄土真宗本願寺派のお寺、「善了寺」。本堂の前には親鸞聖人像が立っています。敷地内にはカフェレストランやデイサービスがある開かれた寺院です。

吉田大橋と広重の絵
戸塚の一里塚跡
木之間稲荷
善了寺

ようやくJR戸塚駅に到着、正直今回はき・つ・か・っ・たです。歩行距離16km、約4時間半の道のりで急な登坂、下り坂と私にとっても難所のコースでした。

こんな時、疲れた身体を癒してくれるもの。お茶もいいし、お団子もいい。でも何と言っても、あの富士山の堂々たる姿を見ると元気が出てくるんですね。きっと江戸時代の人々もそうだったんだと思います。

富士山信仰、浅間神社、富嶽三十六景などが人気だったことに納得。改めて富士山のファンになりました。これから先も天気次第ですが、東海道は富士山を見ながらの旅が続きます。そして、どんどん近づいてくるわけですから楽しい旅路じゃありませんか。次は藤沢宿をめざします。

↓↓ 東海道 その6はこちら

東海道 街道を歩く その6 歴史を訪ねる シニアの健康ウォーキング 戸塚→藤沢
その6は戸塚から藤沢まで17kmの神社仏閣充実の街道ウォーク。戸塚宿の上方見附を過ぎると大坂を登る街道歩きとなります。遊行寺の門前町として発展した藤沢宿は宿場の名残が多く見られる癒しの街。白旗神社では義経はじめ源氏の息吹を感じることが出来ます。

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