シニアの健康ウォーキング 街道を歩く 歴史を訪ねる 準備編
健康のためにウォーキングを取り入れていらっしゃるシニアの方は多いと思います。
私もその一人で、習慣として続けているのですが近所のウォーキングは同じ風景、同じコースで飽きてしまいました。
かといって、その都度コースを考えるのも面倒で何かいい方法はないかと悩んでいたところ見つけたのです。それは、書店にあった街道ウォークのガイドブック。
山と渓谷社発行の「ちゃんと歩けるシリーズ」を参照に歩き、このブログでは歩行距離やマップ、自分で歩いた記しとして途中の風景写真など記載していきたいと思います。
東海道、中山道、甲州街道、奥州街道、日光街道、これら五街道は江戸時代に整備された日本橋を起点とする江戸と各地を結ぶ交通網。徳川家康が整備を始め秀忠の代で基幹街道に定められました。
道路や宿場、一里塚などを整備し関所を設けて政治支配力を強めてきた江戸幕府、参勤交代制度も設けて約300年にわたって平和な世を築いてきたことは誰もが知るところ。
広重の東海道五十三次や十返舎一九の東海道中膝栗毛、時代劇の数々のシーンなどでも馴染みが深いです。
昔、多くの人が行き交った街道には歴史が刻まれています。
街道歩きの楽しみは宿場町の本陣跡や道中一里塚、関所跡、寺社仏閣などを訪ねてそのルーツを知ること。
ただ歩くのではなく事前に歩くコースの歴史を調べることも興味深いです。
そして、おいしい名産品に出会ったりできるのもいいですね。
また、何と言っても健康に良いということが魅力です。
歩いていると日頃の嫌なことは忘れてストレス解消にもなりますし、不眠の解消にもつながります。
筋肉は何歳になっても鍛えることが出来るんだそうです。
もう歳だからとあきらめる必要はありません。健康寿命延ばしましょう。
でも、私にとっても最大のモチベーションはこれ、ゴール後のキンキンに冷えたBEERが何よりのご褒美。
ウォーキングといっても街道ウォークは距離もありますし、目標があるので、もっともっととなりがち。
シニアらしく無理しないでコースを分割して関東近郊の街道ウォーキングをスタートさせたいと思います。
街道の最終地点まではスケジュール的に無理があるので、甲州街道、中山道、東海道の3つの街道から。
東京、埼玉、神奈川の範囲で歩いてみることから始めてみたいと思います。
定年後時間が出来たらゆっくりと全コースのゴール走破を目指します。
※画像はクリックすると拡大でご覧いただけます。
出発前の準備
本書には細かく見どころのポイントが書かれています。
迷わぬように事前にgoogleマップにてポイントを確認して効率よく回れるように準備したいと思います。
コースそれぞれ訪問チェックポイントをマーキングしてみましたが、結構あります。
実際の歩行コースや距離などはスマートウォッチのデータを参照にたします。
日帰りでコースを設定しますので、いつものウォーキング時同様トレーニング用のウエアとシューズ、小物をザックに入れ余計なものは持たないで身軽に出発することに。
たぶん、帰りはザックがお土産でいっぱいになりますので。。。
ウェアのレイヤリングは季節に合わせて、ベース、ミッド、アウターと山登りに準じて準備します。
乾きやすい、動きやすいが基本となります。
レインウエアや折り畳み傘も状況に応じて準備しておくと安心です。
シューズについてです。
山歩きの時は厚底の登山靴を履きます。
街歩きはウォーキングシューズではなく軽量のランニングシューズで歩いています。疲れない気がするので。
街から離れて山間を歩くときは低山歩きの装備が必要になりますので持ち物は別。
山は陽が落ちるのも早いのでご注意を。
今は、スマートウォッチがコースや距離、速度や心拍数までフォローしてくれるのでとっても便利です。
東海道
日本橋から京都の三条大橋まで約490km、53の宿場が置かれていました。
品川宿や箱根峠や関所跡などは関東ではよく知られています。
街道には安倍川餅や丸子のとろろ汁、桑名の焼蛤など名物料理も多くあります、小田原提灯なんかもね。
広重の東海道五十三次や十返舎一九の東海道中膝栗毛などの作品も有名。
中山道
日本橋から近江の草津まで67の宿場が置かれていました。
東海道は海沿いですが、こちらは内陸を経由して江戸と京都を結ぶ街道で約525km。
板橋を経て高崎、軽井沢、下諏訪で甲州街道と合流、木曽路へと続き草津宿で東海道に合流し京都に。
山道が続き碓氷峠や和田峠など難所も多く大変な道ですが、東海道は川止めが長期にわたる場合もあるので中山道を使う旅人も多かったようです。
甲州街道
日本橋から長野県の下諏訪まで200km強、内藤新宿から上諏訪宿まで44の宿場が置かれていました。
東京では国道20号としても馴染みが深く甲州街道という言葉も日常会話で出て来ます。
また内藤新宿の「百人組鉄砲隊」、八王子の「千人同心」など、万一江戸城が落ちたとき甲府へ逃れるため配置されていた、いわゆる避難路としての重要性もうかがえます。
そして幕末には逆に甲州街道を新政府東山道軍が東へ進軍し、近藤勇率いる甲陽鎮撫隊と戦うことに。
さすがの家康も想定外の出来事だったでしょうね。
日光街道
日本橋から日光に至る街道で21の宿場が置かれ、宇都宮までは奥州街道と共通。関東在住者には国道4号線、日光街道として親しまれています。
五街道の中でも家康公を祀る日光東照宮に至る街道ですから、早くから整備された街道。また、中山道の本郷追分から岩淵、鳩ケ谷、岩槻を経て幸手宿手前で日光街道に合流する日光御成道も脇街道としてあります。
東照宮を参拝する勅使が使用した街道は日光例幣使街道と呼ばれ、中山道倉賀野宿より太田宿、栃木宿を経て楡木宿より日光西街道と合流となっています。
⇩ 山と渓谷社発行の「ちゃんと歩けるシリーズ」を参照に歩きました。
↓↓ 全10回 日光街道 シーズン1 まとめはこちら
↓↓全10回 東海道 シーズン1 まとめはこちら
↓↓全7回 甲州街道 シーズン1 まとめはこちら
↓↓全8回 中山道 シーズン1 まとめはこちら
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