本の要約は他のサイトにお任せするとして、こちらでは老後生活の学びや気づきになると思われるところをピックアップして考えてみたいと思います。
知らなかった、参考になる、思ったとおりだ、おっしゃる通り、それは考えておいた方がよさそうだな、私も準備しておこう、それはないでしょう、みんな同じような事考えているんだな・・・
私なりに印象的な部分を引用し、感じたことを述べさせていただければと思います。
充実のシニアライフを過ごすための道しるべになることを祈って。
前回、第2弾小説に学ぶ「孤舟」に続き、内館牧子さんの「終わった人」のご紹介です。
終わった人 内館牧子
著者の内館さんはOL生活を経て1988年より脚本家、作家の道を歩まれています。
朝ドラ「ひらり」の原作脚本、大河ドラマ「毛利元就」のオリジナル脚本など担当されていました。
「ひらり」は主演の石田ひかりさんやドリカムの「晴れたらいいね」の主題歌で覚えていらっしゃる方も多いのではないでしょうか。もう30年前の話なんですね。
また、横綱審議委員会審議委員をつとめられ、好角家としても知られています。
こんな著者が、東大卒、メガバンク、役員手前、子会社専務という波乱万丈男の定年後をどのように描くのか。
前回の孤舟は渡辺淳一さんの男性目線からみた定年後の世界。今回は内館さんの女性目線からみた定年後の男性。捉え方の違いを比べてみるのも楽しみ方の一つです。
「生前葬」「散り際千金」「散る桜 残る桜も 散る桜」
人生が終わった人間として華やかに送られ、別れを告げる。生前葬だ。
p6.7
人間の価値は散り際で決まる。「散り際千金」だ。
自分たちだって、定年の日はすぐにやってくるというのにだ。
そう、「散る桜 残る桜も 散る桜」なのだ。
冒頭からこの印象的な3つのキーフレーズが、たたみかけて頭から離れません。
さすが内館さん、つかみはバッチリ。
同世代の方はリアルなこのフレーズにハートをわしづかみにされること間違いなし。
定年退職で職場を去るシーンは送る側と送られる側の気持ちが細かく描写されていて主人公、田代壮介の息遣いや悲壮な叫びが聞こえてきます。
この3つ、言い換えれば
・まだ元気でしっかりしてるよ、葬式はないだろう
・未練がましいのはみっともない、無理してでも最後はサラッといくぜ
・時がたてばみんな散るんだ、早いか遅いかの問題。最後は同じだよ
すべて同感、主人公はこれからどうなるんだろう。
ストーリー展開が一筋縄ではいかない予感が読み手の興味をそそります。
定年退職日は特別の日。この後、黒塗りのハイヤーで自宅まで送って頂く運びとなります。
施しを受けてバカにされている気がするものの、「散り際千金」と乗り込んだ車中で一人になった壮介は惨めな気持ちがさらに増幅されます。
ついつい過去のシーンが数々浮かんできて感情はさらに高ぶってきます。
「思い出と戦っても勝てない」という後半戦に出てくる4つ目のキーワードへのプロローグといえるでしょう。
自分の出社最終日はどうなるのか?想像できないですが4つのキーワードが頭をよぎることは避けたいところ。冒頭部分を読んで覚悟はできました。明るく去ります。電車で。
俺の妻にならなければ・・・
三十年以上も共に暮らす他人がいる不思議を思った。
p33
まったく別の地で生まれ、何のつながりもなかった二人の人生が、ある時重なったのだ。
考えてみれば、俺の妻にならなければ、もっと別に人生もあっただろう。
結局、俺は普通の男で終わり、そういう男と一緒になれば妻もそのレベルで終わる。
これは壮介が厳しい現実を日々突きつけられて落ち込んでいく生活でふと思ったこと、自信に満ちた戦う男を演じてきた頃には考えもしなかったことでしょう。優しさというより弱さであり、同情を誘います。
一方、未だに自分中心ですべて回っているんだという傲慢さを感じられる言葉かもしれません。
優しさなのか、自己中な傲慢さか?は賛否分かれるところです。
私も少なからず妻に対して、俺じゃなければもっと幸せになれたのでは?と考えたことはあります。
お金がすべてではありませんし普通が一番と言われる世の中ですが、上には上がある訳で、現在の状況に純粋に申し訳ない気持ちになる事もあります。でも、これが頑張ろうという自分への活力にもなるのでネガティブワードではありませんし落ち込むことはありません。
しかし、壮介は東大卒で大企業の役員候補だったエリート。
その前提と現状のギャップがここまで落ち込ませるのです。
そしてこの経歴が再就職にも足かせになるなんて。男は自信を失うと、どんどん落ち込む生き物。
プライドは大切だと思いますが、諸刃の剣ですね。
そして妻と最後は離婚ではなく・・・・「卒婚」ということに。
「卒婚」?って・・・上手いこと言いますよね~
内容については本文でお楽しみください。
スーツが息をしていなかった
「仕事を離れて、スーツにふさわしくない息をしていない男には、スーツは似合わなくなるのよ」
p229
スーツが死んで、息をしなくなるということか。
このママに見栄を張ってもお見通しだなという気になった。
新しく仕事を始めることになって自信を取り戻した壮介。帰りに昔行きつけの銀座のクラブに立ち寄った時のシーン。「再就職決まったんじゃない?」とママから声をかけられます。
前に見かけた時とは違って今日はスーツ姿が生きていると。
自分に自信をもって仕事しているとき、事がうまく進んでいるときは誰でも輝いて見えます。
スーツはもちろん、立ち振る舞いや言葉づかい、歩き方まで違って見えます。
ママの前にお見かけした時は「スーツが死んでいた」の言葉はインパクトがありました。
現役じゃなくなる、老いていくとはこうゆうことなんだと。
私のような営業にとってスーツは戦闘服です。新入社員時代には、お前スーツにまだ着られてるな、早くスーツを着こなせるようになれよ、なんて先輩からからかわれたことを思い出しました。
スーツの値段もピンキリ。吊るしからオーダーメイド、生地も様々です。
高級スーツを身にまといピシッと決めてるシニアの着慣れた姿は見てても気持ちがいいもの。
再雇用の今の自分、スーツは息をしているのでしょうか?気になります。
まだ成仏していないんだよ
「年齢に抗う気持ちは大切だと思うし、サポートしたいと思うわよ。でも、年齢や能力の衰えを泰然と受け入れることこそ、人間の品格よ」
p273
千草の言うことは正しい。
俺が年齢に抗い、こうも仕事をやりたがり、散り際を無視する。そのみっともなさに気づけと言っているのだ。
「壮さん、まだ成仏していないんだよな」
p274
トシの言葉に、俺は初めて自分の気持ちが理解できた。
傍から見れば、サラリーマンとして成功したように見えても、俺自身は「やり切った。会社人生に思い残すことはない」という感覚を持てない。成仏してないのだ。
妻の千草、妻のいとこで名の知れたイラストレーターのトシから言われたこと。
自分がやり切ったかどうかは自分しかわからない問題だし、自分で決める問題。
歳に抗っているつもりもないことには同意です。しかし、自分勝手に考えて頑張っても他人に迷惑をかけるようでは未練がましいと思われてもしょうがありません。
素直に受け入れることも確かに人間の品格。女性の意見は厳しくてシビア、鋭いですね。
人によって価値観は違うし体力も能力も経験も違う。人に活かされてきた人、活かしてきた人、全て自力で頑張ってきた人もいる。多種多様な存在の中で自分はやりきった、成仏できると思える人ってどのくらいいるのでしょう。
私はどこまでがやり切ったことになるのかは分かりませんが、定年=成仏と言われても無理がある事だけは理解できます。
頭と身体が元気なうちは挑戦を続けたいと思うのではないでしょうか。
若かりし頃のように、がむしゃらに頑張るのではありません。著者が紹介されていた国際政治学者、坂本義和さんの言葉ですが「重要なのは品格のある衰退」だということを心にとめておきましょう。
「終わった人」になると横一列
若い頃に秀才であろうとなかろうと、美人であろうとなかろうと、一流企業に勤務しようとしまいと、人間の着地点って大差ないのね・・・・と。
p528
着地点に至るまでの人生は、学歴や資質や数々の運などにも影響され、格差や損得があるだろう。
だが、社会的に「終わった人」になると、同じである。横一列だ。
あとがきで内館さんは、還暦後の会合への参加体験から 人間の着地点って大差ないのね・・・
とおっしゃっています。
我々世代は偉人に学んだり、校長室や社長室の歴代写真、あちこちに見られる銅像、紳士録、死んで名を残すという言葉など、着地点は大差があることを学び、また思ってきました。
世間一般の、人に対する評価軸は確かに大切だし大きいですが、この小説を読んでひと皮むけば人として横一列であり優劣を語ること自体がナンセンスだとも思えるように。
それぞれ、もっと自分の歴史に自信をもって胸を張っていいんだという勇気をもらえた気がします。
終わった人になればみな同じ。しかし、ただ流されることなく終わった人に至るまでのプロセスは努力の証しとして大切に生きていきたいとも思いました。
思い出と戦う気はありませんが、思い出は自分の証であり誇りなので忘れない人生を歩みたいと思います。人に自慢する為の思い出ではなく自分ための思い出として。
文庫本で540頁というボリュームがありますが、とても満足できる定年小説でした。
最後は私はハッピーエンドだという認識ですが人によって意見は様々かもしれません。
機会があれば、ぜひご一読をおすすめします。「卒婚」の件もありますので。
映画を観ての感想
私は舘ひろしでもないし妻は黒木瞳でもない、ましてや広末涼子とデートや食事なんてしたこともない。私はメガバンク勤務でもないし、役員でもない。なんて、ついつい愚痴が出てしまうほど映画の「終わった人」は舘ひろしのカッコよさが先に立ってしまうというのが私の素直な感想。
サングラスにコート姿で横浜をデートするシーンは1986年から放送されていたテレビドラマ「あぶない刑事(デカ)」のタカさんそのもの。そういえば、柴田恭兵も浅野温子もいい歳なんだな~なんて頭の中が映画から少々脱線しちゃいました。
本を読んで描いていたイメージとは違ってすべてが輝いて見えるし、うらやましいな~と思える場面が多くて新ためて役者さんのすごさを見せつけられた感じです。
娯楽作品として大いに楽しめましたし、老後に期待感を持たせてくれる作品でもありました。
おすすめです。元気もらえます。なんと、内館さんも出演されていましたよ。
定年小説を読んで思う事
還暦や定年を題材にした小説は何冊か読みましたが、主人公はほとんどが一流大学卒、一流企業役員、いわゆるエリート街道を歩んできた高学歴・高収入、幸せな家庭環境が定番。
それが定年を機に現実と過去の経歴や環境とのギャップが生じて七転八倒というストーリーが多いですね。
このギャップをどう乗り越えていくかが読者の興味をそそるところで、娯楽小説として楽しませて頂いております。だから人気を博して売れるし映画化もされるということです。
一方、私のような一般庶民にはこの展開は現実離れした他人事でリアリティーがありません。普通のサラリーマンが早期退職や普通に定年退職して、その後再就職など生活の為に苦労を重ねていく。
こんな泥臭い定年・還暦小説があってもいいのかなと思うのは私だけでしょうか?
話が暗すぎてこれじゃ売れないか!?
今回、印象に一番残ったのは「散る桜 残る桜も 散る桜」良寛さんの辞世の句です。
作中に啄木の句も紹介されていましたが、この句がインパクトがおおきく共感出来ました。
情景が目に浮かびますし、とっても意味深い。散る桜・・・日本人は桜に弱いですね。
良寛さんつながりで、私の好きな良寛さんの辞世の句を紹介します。
「うらを見せ おもてを見せて 散るもみじ」
最後は包み隠さず、すべてさらけ出して散っていく、そんな人生でありたいですね。
最後まで長文にお付き合いいただき、ありがとうございました。