東海道 その1 日本橋→品川
東海道その1は、日本橋→浜松町→品川を歩きます。
距離は15,2Km、所要時間は3:50時間 17,282歩、消費カロリー1122kcal
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日本橋→新橋
甲州街道、中山道に続きいよいよ東海道スタートです。中山道シーズン1終了からブランク約2か月弱。
酷暑で熱中症が怖くてウォーキングが出来ない日々が続きましたが、再開です。
体力的に少々不安もありますが行動あるのみ。本日は地下鉄の三越前駅ではなく、東京駅から「日本橋」まで歩いてスタート。
まずは朝のエネルギー補給をしましょう。
丸の内オアゾB1の「スープストック東京」でモーニング、濃厚なスープの味わいは元気が出ます。
お家の贅沢タイムの為に冷凍のスープもキープしてあります。
今日のラインアップから、定番のオマール海老のビスクと、緑の野菜のミネストローネをセレクト。
レギュラーカップセットが600円とモーニングはお得、石窯パンと+50円の全粒粉ロールを注文。
ドリンクはオシャレなウォーターサーバーでお水をいただくことに。さて、準備万端、出発です。
「日本橋」へ来るのも中山道以来となりますので久しぶり。
何度見ても麒麟と獅子に飾られたこの橋は美しく惚れ惚れします。怖いもの見たさで、晒し場跡の「滝の広場」をチラ見して、銀座方面に歩きましょう。
途中、工事現場の壁に「昔の日本橋の写真」が掲示されていました。
1911年開通式や魚河岸の写真、これは貴重な写真です。当然ながら首都高はありません。空が広い。
「コレド日本橋」を見て進みます。昔、白木屋さんがあった場所。以前歩いた甲州街道はここを右折、今回東海道はまっすぐ進みます。
日本橋高島屋を過ぎて、3丁目交差点脇に平和の鐘と「ヤン・ヨーステン像」があります。オランダ人で家康の通訳となった人です。
京橋を過ぎると高速道路の高架が見えてきます。この手前にあるのが「江戸歌舞伎発祥の地碑」。猿若中村勘三郎が中村座を創設したと、保存会の石碑にはあります。
すぐそばに、「京橋の親柱」、「銀座煉瓦の碑」、隣にはオシャレなガス灯も立っています。火災の被害から逃れるため不燃化計画として銀座煉瓦街が建設されました。江戸から明治と大火が多かったんですね。
通りを銀座方面へ歩いていくと松屋銀座、そして銀座三越と続きます。
こちらの屋上に「銀座出世地蔵尊」がありますのでお参りしていきましょう。
明治のころ地蔵尊の縁日は露店が多く出て大変賑わったそうで、当時の面影を伝える貴重なものです。
ここまで来たら、少し寄り道になりますが「歌舞伎座」を拝んでから街道歩きを続けます。
現在の建物は第五期となり平成二十五年から、バックに高層のオフィスタワーが併設されましたが、趣ある姿は失われてはいません。見るだけで胸が高鳴ります。
四丁目を過ぎると一流ブランドショップや有名老舗店が並びます。並行する並木通りには紳士の社交場「銀座の高級クラブ」が並びます。
小規模店舗を含めると約2,000軒ものお店があると言われている銀座。一晩でいくらお金が動くか興味があるところです。
私も仕事の関係で何度か飲みに連れて行ってもらいましたが、銀座のクラブは別世界でした。お会計も別世界。
みゆき通り、花椿通りを過ぎて右手に博品館劇場が見えれば八丁目交差点です。
「芝口御門跡」に立ち寄り、ガードをくぐれば「新橋親柱」。
新橋は芝口御門と同時に焼失した芝口橋の後に掛けられた橋。名前も新橋に代わりました。
すぐ隣に「銀座の柳の碑」があります。
東京の街路樹は銀杏の樹が多いのですが、柳というところが銀座らしさです。
新橋→浜松町
右手は新橋駅方面、左手の汐留にある旧新橋停車場、「鉄道歴史展示室」に立ち寄ります。
駅舎玄関遺構、鉄道発祥の地としての0哩(マイル)標識、約3mの「起動が復元」されています。鉄道ファン必見の場所、ここは日本鉄道開業の地ですから。
ゆりかもめ、JRの高架橋を過ぎると、「日比谷神社」の赤い鳥居です。
古くから旧麹町日比谷公園の大塚山という所に鎮座、その後移動して現在至るそうです。だから新橋にあるのに日比谷神社なんですね。納得です。
新橋、東新橋、汐留の鎮守様として崇敬を集めています。お稲荷さんも祀られています。
参拝を終えて浜松町方面へ。
大門の交差点手前、右奥の東京十社でもある「芝大神宮」へ向かいます。
「芝神明商店街」のゲートが見えてきました。御鎮座一千年を超える関東のお伊勢さん(芝神明)として人々の崇敬を集めています。
以前の勤務先で、新年の御祈願で毎年訪れていた親しみ深い神社。本日は生姜祭り期間中で賑わっています。
創建の時代には周辺に生姜が茂っており、神前に供えたところご利益があったそうです。
あの有名な江戸町火消し、「め組の喧嘩」の舞台でもあった場所。狛犬の台座にはめ組の文字が見て取れます。時代を感じる角が特徴的な狛犬が愛らしい。
私の時代、「め組」といえば、ラッツ&スターの「め組の人」、暴れん坊将軍「め組の頭」北島三郎さんが目に浮かびます。あれから時は随分流れました。
力持ちの興行が行われた時、力持ち力士のひとり、金杉藤吉が片手で差し上げたと伝えられている力石もありす。これを片手で持ち上げるとはすごい。
御朱印を頂きます。10年以上初詣に来ていたのに頂くのは初めて。何だかご利益ありそうな気が。
通りに出ると「増上寺」の大門がすぐ目の前。門の先に東京タワーと増上寺の三門。まだ先なのに、あの大きさには圧倒されます。
600年の歴史を持つ家康公ゆかりの秘仏「黒本尊」が祀られていて勝運祈願でも有名。
浄土宗の七大本山の一つでもあります。
「三解脱門」は1622年に再建された江戸初期の面影を残す唯一の建造物。
非公開ですが二階の内部には釈迦三尊像と十六羅漢像が安置されています。
正面の「大殿」はあらゆる法要が行える首都圏では最大級の御堂、ご本尊阿弥陀如来が祀られています。
正面右側が「安国殿」、家康公が尊崇した「黒本尊」が本堂中央に祀られています。
勝運、厄除けの仏様として広く尊崇をあつめています。
その他、広大な境内には、光摂伝、仏舎利、圓光大師堂、黒門、徳川将軍家墓所などがあり、あちらこちらに葵の御紋が散りばめられ威厳を発しています。
自分に負けないよう、勝運祈願を兼ねて、安国院殿の御朱印を頂きましょう。
すぐお隣が「芝東照宮」。
以前は増上寺安国殿と呼ばれ、還暦を迎えた家康公が自ら命じて彫らせた等身大の寿像がご神体として祀られています。
家光が植えたと伝えられる東京都指定天然記念物の「大イチョウ」が見事、高さが約21メートル、根本の周囲は約8メートル、樹齢約380年ですから立派なものです。
浜松町→品川
ここから東海道と並行する日比谷通りを三田まで歩きます。外見が特徴的なNEC本社ビルを過ぎると東海道に突き当たります。
この東海道が国道15号(第一京浜)となります。東京には国道1号(第二京浜)もあり横浜と結ばれています。
「いちこく」、「にこく」と呼ぶので、「にこく」が国道1号となり、少々紛らわしいのです。ちなみに、第三京浜もあって、こちらは有料道路となっております。
話しが脱線しましたが、こちら突き当りの交差点そばにあるのが、「江戸開城会見之地碑」。江戸無血開城につながる歴史的な「勝海舟と西郷隆盛の会見の地」、薩摩藩の蔵屋敷跡となります。
高輪方面へ進むと札ノ辻を過ぎて右手が「御田八幡神社」(みたはちまん)。
札ノ辻というのは、街道や宿場町など往来の多いところに高札を立てた場所のことで、全国に地名として残っています。
三田、高輪、芝浦、港南の氏神様で、歴史も1300年と古い神社。
参道の階段脇の狛犬、足元には子供の姿も見て取れる子連れ狛犬。拝殿前の狛犬は年代物で少々ずんぐりむっくり、狛犬好きにはたまらないお姿です。
隣のビル側面に大きく御田八幡神社と金文字で描かれており、車で通っても一目瞭然。
私も来るのは今回初めてですが、車でここを通ると必ず目にしてた名前です。
泉岳寺駅手前に「高輪大木戸跡」があります。江戸時代中期の1710年に芝口門に建てられたのが起源。
江戸の南の入り口として夜は閉めて通行止めとし、治安の維持と交通規制の機能を持っていました。
目の前で見ると、大きくて迫力ある立派な石積みです。甲州街道で尋ねた四谷大木戸は痕跡がなかったので、こちらは史跡としても重要ですね。
都営地下鉄の泉岳寺駅を過ぎて、忠臣蔵、赤穂浪士でおなじみの「泉岳寺」に向かいます。坂を上っていくと山門が迎えてくれます。
曹洞宗の寺院で、横浜鶴見の総持寺、福井県の永平寺とご本山は二つ。どちらも禅寺としても名前が知られていますね。こちらも修行僧がいらっしゃいます。
家康があの今川義元の菩提を弔うために江戸城に近接する外桜田に創建がしたのが始まりとのことです。
立派な山門二階部分には十六羅漢が安置されています。こちらに移転の際尽力した五大名の一大名が浅野家で、ここからのご縁という事。
討ち入りを果たした後、こちら浅野家の菩提寺に吉良の首を供えたこと、赤穂四十七士が眠る寺としても知られています。
首洗い井戸や主税梅、血染めの梅、「内蔵助の銅像」など歴史にまつわる見どころも多くあります。
4月と12月、年2回義士祭が行われています。赤穂浪士のお墓にお参りしたいと思います。
500円を奉納してお線香を頂き、一人一人に線香をあげていきます。浅野内匠頭長矩、夫人瑶泉院、内蔵助他預けられた四家に分けて葬られています。
四家とは細川家17名、松平家10名、毛利家10名、水野家9名。合計すると46??
理由は諸説ありますが、生きながらえた「寺坂吉右衛門」がここには入っていません。墓地には水野家の九人の隣に名前があります。
また墓地には松平家の10人の隣に「萱野三平」の名もあります。萱野は父が薦める他家への仕官と、仇討ちを誓った仲間への義理との板挟みで内匠頭の命日に自刃した忠節の武士。
この二人の墓もここにありますが、供養墓との案内になっていました。
私は、組織人としてのサラリーマンでしたが、忠臣蔵の話を聞くといつも胸が熱くなります。名誉と誇りを守り、上司を慕い敬う気持ちは大切にしたいものです。
帰りに義士堂小泉商店さんでお土産を物色、物腰が柔らかいご主人でとても好感が持てました。店先に並ぶ徳利に「赤垣源蔵」の名が、映画でも有名な「徳利の別れ」です。
別れを告げに行ったがお兄さんは不在、兄の羽織に向かって酒を酌み交わすという感動的なシーン。
買い求めて、帰宅後一杯。多くの物語と歴史があるんだと思いながら飲む酒は格別です。
街道に戻り2020年開業の「高輪ゲートウエイ駅」を左奥に見ながら進みます。
再開発進行中で、駅周辺には、まだまだオフィスビルが出来る勢い。
山手線の駅前になるわけですから、一等地ということです。お隣はリニアも開通予定の品川ですからなおさらですね。
程なく「高輪神社」の入口の提灯が見えてきました。室町時代中期創建の高輪一円の総鎮守。こちらも時代物の狛犬が迎えてくれます。
聖徳太子さまを祀る「太子宮」もあり、東京福めぐりのピンクの可愛い旗が立っています。「開運八社さんぽ」とあり、調べてみると浅草から大井町まで南北に都営浅草線沿いの8社が参加。
ゴールドの折帖に神社印と御神紋が押印され、最後に満願成就の印がいただけるありがたい企画です。
東海道が落ち着いたら、ぜひ8社まわって特別印を集めてみたいと思います。
わき道から桂坂に出て柴田錬三郎さんの旧居を過ぎると、左手に「洞坂」。
こちらを下っていくのですが、道は細く、かなり急な坂道でビックリ。「東禅寺」のお堂が壁の向こうに見えます。
敷地に沿って洞坂を下りきると、「山門」と仁王様が迎えてくれます。朱塗りの品格が備わった門でオーラを感じました。
「最初の英国公使館」が置かれた場所として知られ、仙台藩伊達家、岡山藩池田家他、多くの大名の菩提寺となっています。
臨済宗妙心派の寺院で「海上禅林佛日山 東禅興聖禅寺」が正式名。
尊王攘夷派の水戸藩浪士や松本藩士により襲撃事件も発生しており死傷者もでていたんですね。幕末、安政・文久年間は大変な時代。境内には立派な「三重塔」もありました。
街道に戻れば、すぐJR品川駅。
古いホテルやビルが解体され再開発の真っただ中であちらこちら工事中。
駅前にある高山稲荷神社に行ってみたのですが、こちらも再開発の影響か解体中で囲われています。
京都・伏見稲荷大社の分霊を祀ってある室町時代からの歴史ある神社、ご神体は先ほどの高輪神社にご移転されているそうです。
2024年4月末には近くに新しい社殿が完成し移転予定とのことで安心しました。
今回は神社仏閣他見どころが多く距離は歩いたのですが、品川宿には到達できず品川駅がゴール。次回、品川宿から川崎方面へ向かうこととなりました。
その1は芝大神宮、増上寺、泉岳寺と江戸時代を代表する3つの神社仏閣が一挙に登場。お江戸日本橋からの東海道ならではなせる業。
都心に多くの神社仏閣があることに改めて驚き、和菓子屋さんへの立ち寄りをすっかり失念していた自分に反省はするものの、満足いく街道歩き初回でした。
次回も見どころが沢山あります、楽しみが多い旧東海道の街道歩きは続きます。
↓↓ 東海道その2はこちら
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