甲州街道 その3 上高井戸→上石原(調布)
甲州街道その3では、上高井戸→仙川→国領→上布田→上石原まで歩きます。
距離は16.0Km、所要時間は4:14時間、消費カロリー1,680kcal、歩数19,922
※画像はクリックすると拡大でご覧いただけます。
上高井戸→仙川
今回は京王線芦花公園駅から出発です。
駅前商店街を歩いていくと旧甲州街道にでますので左折してすすみます。
程なく左手に「大橋場跡」があります。
武州烏山村と刻まれた石柱碑、脇には名主の下山家が建立した地蔵尊も。
身代わり地蔵尊、出世地蔵尊とも呼ばれたそうです。
南烏山りんれい広場内にせたがや百景の標石、その先千歳烏山駅入口の交差点を超えて給田町に入ると明治三年に建立された里程標(新一里塚)があり内藤新宿より三里とあります。
銘文にある品川県とは明治二年に布告された「府県施政順序規則」により荏原郡、豊島郡の半分および多摩群の一部を含めた地域ということです。五年には東京府となったと説明書きがありました。
「品川県」初めて聞きました。知らなことばかりで勉強になります。
路を京王線側へ入ると「給田観音堂」。
徳川ゆかりの尼寺跡とのことで静かな佇まいが落ち着きます。
先を進むと仙川にかかる大川橋、その先甲州街道と合流します。
右手に立派な山門が見えてきました。
天台宗昌翁寺、仙川領主の飯高主水貞政が所領うち拾四石を佛供に寄進し創建。
もと今川義元の家臣だったが家康に召されて随身、破損奉行に任ぜられたそうです。
破損奉行は材木管理や建造物の営繕担当。
すぐ先には、仙川一里塚跡の立派な石碑、日本橋から五里の距離です。
しばらく歩くと左手に目立つ建物が。
ビルの網目模様に見たことあるな感で私の脳みそが猛反応。
そうです、マヨネーズパッケージの網目模様、ここはキューピーマヨネーズ仙川キューポート。
あの赤い網目模様、洋食レストランの赤と白のテーブルクロスのチェック柄が参考。
確かに昔の洋食レストランやアメリカ映画に出てくるダイナーはチェック柄のテーブルクロスですね。
写真では小さくてよく見えませんが
入口の時計台では可愛いキューピーちゃんがお出迎えです。
マヨテラスと呼ばれている見学施設も、楽しそうです。
キューピーといえば3分クッキングのメロディーと福山雅治さんのあの歌が聞こえてきませんか?
口ずさみながらリズムに合わせてテンポよく先を急ぎましょう。サラダ♪サラダ♪サ~ラダ♪♪
この先分かれ道、右側へ進み旧甲州街道に入っていきます。
仙川→国領
旧街道に入ると瀧坂旧道標石、薬師如来坐像がある滝坂。
昔は人力馬力に頼っていた時代。
こちらは難所として知られていたそうですが付近には大正時代までは商店が並び賑わっていたようです。
途中、内田家の前に七十年前の滝坂という私設のていねいな説明ボードがありますのでご参照ください。
再び甲州街道と合流すると左手道路脇に庚申塔、先に大きな銀杏の木、金子のイチョウです。
こちらは調布市の天然記念物で樹齢約250年と推定されています。
雄と雌一対の大イチョウ、紅葉シーズンにもう一度訪ねてみたいですね。
すぐ先右側、真っ赤な山門とゴールドに輝く仁王像が出迎えてくれます。
曹洞宗大雲山金龍寺。
中国からお茶の種子を持ち帰ったことでも有名な栄西禅師元祖開祖。
徳川三代将軍家光が鷹狩の際に休息され、朱印を寄せられ今も朱塗りの山門が残存しています。
源頼朝の祈願による閻魔十大王の石像があったりと八百年以上の歴史がある寺院。
境内には見る機会も少ない当時の高札の復元跡や古地図での説明もあります。
ここでつつじヶ丘駅の近くにある和菓子屋に立ち寄りたいと思います。
みなさんの住んでいらっしゃる街にも自慢の和菓子屋さんが残っていると思います。
年々少なくなっていくのが残念ですが。
チェーン店やコンビニ・スーパーでも買えますが、和菓子屋さんの手作りの味は格別。
訪ねた街の和菓子屋さんで買い求めるのも楽しいものです。
こちらの今木屋さんは日本橋で明治元年に創業の老舗。
つつじが丘に移転されて70年近くになり店主は5代目とのことです。
気さくな店主で創業時の歴史話をしていただきました。
出来立ての、名物のいちご大福(300円)を頂くことにします。
きねつきだんご(90円)もおいしそう、かりんとう饅頭(120円)も、、、
買っちゃいましょう。
帰宅後頂きましたが、いちごは大きいし、こしあんはきめが細かく甘さ抑え目で。
近くにあれば通うこと間違いなし。
こしあんが絶品。
甲州街道に戻り、柴崎方面に向かいましょう。
妙円地蔵があります。
こちら金子村に嫁いだ妙円は失明して尼になり寿量妙円と号したそうです。
村人のため浄財をもとに地蔵菩薩像を建立、そばで念仏三昧の日々をおくったとの説明書きがありました。
野川に向かって歩いていくと左手に不浄や煩悩を吹き払う金剛夜叉明王を見ながら先へ進みます。
野川の馬橋を渡ると、この先旧道に道は分かれていよいよ布田五ケ宿。
上石原、下石原、上布田、下布田、国領の五宿。こちらは日本橋から五里と近く、間の宿的色彩が濃く、本陣、脇本陣はなく旅籠も9軒と規模は小さかったようです。
国領→上布田
旧道に入り国領駅近くには大正十四年勧請の昇福稲荷神社、その先庚申塔を過ぎて進むと武田信玄が中興した圓福寺。右手にわたって旧道から一旦甲州街道に向かいます。
立派な藤棚と石の鳥居が見えてくれば、ここが国領神社。みごとな藤棚があり、樹齢約400年~500年といわれ畏敬の念を込めて「千年乃藤」と呼ばれています。
泣き相撲も有名ですからテレビのニュースでご覧になられた方もいらっしゃると思います。
「フジ」の字は不二・無事に通じ
災厄を防ぎ守る御神木として敬い崇められているとあります。
ありがたいですね、こちらは御朱印も頂きましょう。
なお、藤の花は四月下旬から五月上旬にかけて開花します。GWに再訪かな。
すぐ近くに「調布のお不動様」と呼ばれる成田不動尊があります。常性寺です。
ご本尊は薬師如来で鎌倉時代に造像されたもの、市内では珍しい馬頭観音の像を彫った供養塔もあります。
たったひとつのお願い事を託す一願地蔵尊にもお参りして、御朱印を頂くことに。
この辺りは下布田、宿内家数九十五軒、旅籠は三軒だったそうです。
日蓮宗蓮慶寺が見えてきました。
金色の葵のご紋が山門の扉に輝いています。存在感がすごい。
三代将軍家光より御朱印を賜り、以来御朱印寺として「赤門」と住職の「乗籠」許されたそうです。
室町時代に遡る祖師像として貴重な市指定有形文化財(彫刻)、木造日蓮聖人坐像もあります。
上布田→上石原
上布田に入りました、調布の里の鎮守様、布多天神社に寄りましょう。
七日七夜祈願に訪れた広福長者という人が神のお告げをうけ、布を多摩川にさらし調えて朝廷に献上。
木綿の初めとされ、帝にこの布を調布と名づけられ以来この辺りを調布の里とよぶようになったそうです。
毎月二十五日の例祭日に奉納神楽があり境内には市がたち賑わいます。
菅原道真公が牛を大切にされたことから立派な御神牛や道真公が愛した梅の花も迎えてくれますよ。
近くの八幡神社から旧道に戻ると下石原。
天台宗の常演寺、鍛冶師の守護神、鉄の神でもある金山彦命が祭神の金山彦神社を左に見て歩きます。
まもなく臨済宗建長寺派金剛山源正寺。
参道口に六地蔵と庚申塔。
この先、本日のゴール上石原です。
西調布の駅前には、新選組局長、近藤勇生誕の地 上石原の大きなボードが。
近藤勇の坐像が境内にある天台宗長谷山西光寺に到着。
三代家光より御朱印地を賜った御朱印寺。
立派な仁王門は重宝、楼上に銅鍾を釣るので鐘楼門ともいい、記録には中興の大僧都弁雄が宝永年間(1704~10)に建てたと記されています。
旧道を飛田給方面に歩くと黒板塀の旧家が見えてきてさらに進むと飛田給薬師堂です。
石造瑠璃光薬師如来像が安置されています。
元仙台藩士松前意仙の造立、医業のかたわら人々を悟りの境地に導こうと自らこの像を刻んで安置したと伝えられています。
境内には行人塚があり、墓穴を掘って自ら入定し成仏したとの説明書きが。
人々は敬拝し信仰に励んだことでしょう。 飛田給の駅はすぐです。
今日のゴールとなります。
飛田給という地名、変わっていますが古代武蔵野の荒野を往来する旅人の飢えや病を救う施設「非田給」がこの地にあったことに由来しているそうです。
幕末の歴史が好きな方、新選組のファンの方は多いのではないでしょうか。
甲陽鎮撫隊顛末記には、近藤は従兄弟の隊士宮川新吉(京の天満屋で討ち死)の実家に立寄り五十両の香典を手向けたと記されているそうです。
ファンにはたまらない話ですし、実際に近藤が休息した西光寺を訪ねることは喜びもひとしおでしょう。
こんな歴史を思いながらの街道ウォークは飽きないし楽しみも色々あって続けられそう。
次回は府中から日野方面を目指して行けるところまで歩きます。
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