上野といえばアメ横、恩賜公園、不忍池、動物園、国立西洋美術館など観光客も多く訪れる街です。
それもあって昔から喫茶店だけではなく老舗の洋食レストランも多くあり賑わいを見せています。
上野精養軒やレストランキクヤは有名でしたが当時の私には敷居が高くて入れませんでした。
京成上野方面の西郷会館2Fにある大きな看板が目につく聚楽台には、何度か行ったことがあります。
上京の経験がある方は印象深い場所なのでご存じの方も多いと思います。
洋食はもちろん中華・和食・寿司・そばにうどんとメニューは豊富でデパートの食堂に近かった記憶があります。現在のファミリーレストランというところでしょうか?
ハンバーグやオムライスはご馳走でしたし、エビフライがとても高級な食べ物に感じたことを覚えています。
古めかしいビルでしたが東京に来たな~って感じでした。閉店になってしまい、今は見ることが出来ないのがとても残念です。
そんな上野界隈で外せないのが昔からあるレトロな喫茶店です。
当時は時間調整しようにも駅構内はとても混雑していて、居る場所がありませんでした。
コーヒー1杯300円前後だったと思うのですが、プチ贅沢なひと時を過ごせる貴重な空間でした。
うれしいことに当時のまま残っている喫茶店がいくつかあります。
前回の神保町編に続き、上野編として訪ねてみることにしました。
※画像はクリックすると拡大でご覧いただけます。
上野 古城
正面玄関口から陸橋を渡り上野警察に向かって歩くと右手上に高級喫茶古城の白い看板が見えてきます。
その先を右に曲がるとすぐお店の入口です。地下に向かうエントランスにいきなりステンドグラスとシャンデリアが表れて高級感を漂わせています。
店内は広々としておりこちらも入口同様に大きなステンドグラスが目を引きます。
店内もシャンデリアや大理石の壁がゴージャスな雰囲気を醸し出しており、まさしく王城です。
椅子もゆったり座れるソファー形式なので、宮殿でくつろぐ貴族気分が味わえます。と言っても宮殿でくつろいだことはありませんので、悪しからず。
オープンしてから60年近くたつそうですから、ほぼ私と同級生ということになります。
一杯550円也のコーヒーを味わいながら、自分の人生とお店の60年の歴史を重ね合わせて「お互いにまだまだ頑張ろうな」なんて、感慨にふけるひと時でした。
こんな思いが湧いてくるのもレトロ喫茶の良いところです。カフェでは味わえない感覚です。
上野 王城
不忍口を出てアメ横に向かって歩いていき、左手ガード下を知る人ぞ知る大統領に向かって歩き御徒町中央通りを過ぎて右折したところに王城があります。レンガ造りの外壁と紫色の看板が目を引きます。
ちなみに左折すると「マドンナ」という、これまたレトロな看板の喫茶店があります。
コーヒーの他にも定番のナポリタンやピラフ、トーストなど王城のメニューは軽食も充実しています。
ドリンク付1,000円のセットメニューが断然お得、大盛も出来ますよ。
今回はナポリタンのセットをオーダーしました。
このナポリタンというのは不思議な食べ物だと思いませんか?入っている具材、ケチャップソースの味、ベタベタ具合と焦がし具合など、お店によって様々なので食べ歩きが楽しめますね。
そして面白いのが日本独自のものということです。確か横浜のホテルが発祥と聞いた記憶がありますが、ナポリの人は、どう思っているのでしょう。西洋焼きそばというところでしょうか。
王城のはケチャップがやや甘めで上品な感じのナポリタンです。
しっとり感も程よくあるので大盛でも最後まで飽きずに食べられます。
カレーの後に飲むコーヒーがたまらなく美味しいという話をよく聞くのですが、個人的にはケチャップ味の後に飲むコーヒーの組み合わせがたまらなく好きです。
この原稿を書いている今も脳みそが既にナポリタンモードになってきました(笑)
王城のナポリタンセット、ぜひ一度ご賞味ください。
上野界隈と上京の想いで
私は北陸富山県の出身で東京と言えば東北の方と同じ上野駅がターミナルステーション、上野には思い出がたくさんあります。上京した当時は今から40年以上前ですから新幹線は無く在来特急で六時間半もかかりました。今は北陸新幹線「かがやき」で2時間12分ですから夢のような話です。
今思えば特急白山には食堂車なんかも付いていて、のんびりといい時代でした。
日本食堂という響きや社内案内のオルゴールの音が懐かしいです。
冒頭でご紹介した聚楽台はなくなってしまいましたが、不忍口を出て横断歩道を渡ったところに「じゅらく」があります。雰囲気は変わってしまいましたがメニューは洋食メニューが充実しています。
今度来たときはぜひ、大人のお子様ランチに挑戦しようと思います。
上京の想いで おまけ
学生でお金も無かったので、今はなき夜行列車の急行能登もよく利用しました。
朝の六時前には富山駅に到着しちゃうので苦労したことを覚えています。上野の出発は確か下のホームなんて呼ばれていた17番とか18番ホームだった気がしますが、今は様子も変わってしまいましたね。
また、当時は全日空でスカイメイトといって空席があれば半額で搭乗できる制度がありましたので、飛行機も利用しました。機材は懐かしの「YS-11」プロペラ機です。
北アルプスの高度を越せないため飛行ルートは一旦新潟沖まで飛んで西へ旋回して富山湾へ、天候によっては羽田から琵琶湖上空を通って北上して日本海から回り込むという、現在のジェット機のルートからは考えられない飛び方をしていたものです。
何事もスピードと効率優先で余裕のない世の中になってしまいました。
時間を気にしないで、ゆったり過ごせるというのが老後だからこその最高の贅沢かもしれません。
そう考えると昔は今より不便だったかもしれませんが、ある意味贅沢な時代だったのかもしれません。人としては・・・